新年の挨拶

あけましておめでとうございます。

旧年中は、当ブログを訪問いただき、まことにありがとうございます。

去年の5月19日、当ブログがスタートして以来、おかげ様で記事数もPV数も順調に推移しました。浅学菲才のブログ主がアップした記事も間もなく180ページになります。目標の1000ページ掲載まであと800余り、今年も歴史その他の記事をどんどん掲載しますので、どうか皆さん,宜しくお願いします。

さて、本ブログの当初の目的は「うちなーんちゅ」の概念はどのようにして誕生したかの追及でした。ブログ主が仮定したアメリカ軍の占領行政時代の経験が、うちなーんちゅの意識を全県レベルで醸成したことの証明はまだ道半ばですが、琉球・沖縄の歴史を調べるうちに予想以上の新発見にめぐり合えたことは、真に幸運としか言い様がありません。

現代社会において、琉球・沖縄の歴史の基本思想は

  • 琉球・沖縄は薩摩の侵略以外400年間ずっと差別されてきたという被差別意識。
  • 昭和20年(1945)の沖縄戦以外に悲惨な歴史的事実はない

の2点に尽きます。当ブログは結果として上記2点のイデオロギーに挑戦する形で記事を掲載することになりましたが、その理由は「将来において冷戦時代の発想では沖縄は取り残される」という危機感があったからです。

現代の社会システムは東アジアで冷戦が続く前提で運用されていると云っても過言ではありません。簡単にいえば中国共産党、朝鮮労働党、そしてベトナム共産党が存続することを前提にして、政治や経済が運用されているのです。思想信条も同様で、現在の嫌中感情はまさにその典型例ですが、問題は誰も本気で東アジアで冷戦が終わると思っていないことなのです。

ブログ主は、東アジアでの冷戦は日米の勝利で終わると確信しています。残念ながら現在の中国共産党と朝鮮労働党には現実の変化への対応力に欠けていて、政権が何時までも続くとはとても思えないからです。近い将来において、東アジアで冷戦が終了すると、日本社会は政治や経済、果ては思想信条に至るまで改変を強要されます。その時の対応を誤ると(つまり冷戦時代のシステムを固辞すること)、日本社会は長期にわたる停滞を余儀なくされてしまいます。

現代社会は換言すると「アップデートの時代」です。政治や経済、そして個人の思想信条に至るまで常に改変を要求される厳しい時代で、過去の成功体験に固執すると確実に社会からフェードアウトされてしまいます。沖縄の問題は、冷戦時代の思考が強すぎて将来を見据える人材が極めて少ない点です。中国共産党や北朝鮮が崩壊してからでは遅いのです。今から準備しておかないと21世紀の激変の時代を生き抜くことができません。当ブログの記事が、21世紀における新しい琉球・沖縄の歴史観の誕生に少しでもお役に立てるようであれば、これ以上の嬉しいことはありません。まだまだ至らぬ点だらけですが、沖縄の将来のために飽くことなく調子に乗って記事を掲載しますので、どうか宜しくお願いします。(終わり)