
昨日、俺が調子に乗ってとある組織の “代替わり” を語ってみようと題した記事を配信し、旭琉會の新体制の今後について言及しました。ただし記事配信後に改めて気づかされたことがあり、今回 “続編” としてまとめてみました。
とある動画に、旭琉會の最高幹部が14日から稲川会など関東の組織へ挨拶周りに出向くとあり、具体的な日程やメンバーについての言及がありました。真偽のほどは定かではありませんが、ブログ主が注目したのは挨拶周りのメンバーです。動画によると、糸数会長、知念、狩俣の三巨頭に、新垣修(組織委員長)、上原芳正(理事長補佐)、満元幸次(事務局長)の6人とあり、注目はやはり今回の新人事で抜擢された新垣修氏です。
ということは、今回の挨拶周りの目的は2つあり、一つは糸数會長の就任に対する挨拶と、もう一つは「後継者は誰か」を周知させることです。そしてブログ主の読み通り新垣氏が後継者であれば、旭琉會のトップの継承に時間がかかった理由も理解できます。
もしも新垣氏が三代目を襲名した場合、平成23年(2011)11月に誕生した旭琉會は三代続けて富永一家からトップを輩出することになります。そうなると他の一家、とくに三代目旭琉会の流れをくむ一家から不満の声が上がって来るのは容易に想像できます。富永会長の死後、本来であれば後継者の擁立は花城松一会長代行が行なうはずも、体調面の問題があり永山克博暫定代表がその役割を引き継いだわけです。
つまり永山さんは二代目引き継ぎと三代目擁立という2つの仕事を成し遂げたわけであり、その間の苦労は並大抵なものではなかったはずです。とはいえ9日の代替えは順調に行われたように見受けられるので、會内で十分なコンセンサスを得ていたことは間違いありません。もちろん永山氏だけでなく、糸数、知念、狩俣の三巨頭、とくに三代目旭琉会の流れをくむ知念秀視理事長の果たした役割は大きかったと推測されます。
ここまでブログ主なりに旭琉會のトップ継承について考察してみましたが、思いのほか組織運営がしっかりしていると確信しました。ブログ主がりうきう・おきなわの歴史史料をチェックして痛感するのが「結社のセンス」のなさですが、旭琉會は組織として正常に機能していることが理解できました。それはつまり我が沖縄社会に結社のセンスが根付いた傍証でもあります。
だがしかし、物事には例外があります。ワシントン事務所における沖縄県の対応、特に甚だしいまでの議会軽視の姿勢を見るにつれ、
反社のほうがまともな組織運営しているってどういうことよ
と余計なツッコミを入れつつ、今回の記事を終えます。