第二章「好戦的な民族」と「平和的な民族」からの抜粋です。人口論から戦争について考察した部分を掲載します。
人口が増えると標準から外れたタイプが生まれる
人間を、背の高い人と低い人、あるいは好戦的な人と平和的な人、と二つに分けて人数を数えると、普通の人がいちばん多くて、背の高い人や低い人は少なくなる。
ところが人口爆発が起こって人口ピラミッド全体が大きくなると、正規分布の裾野が広がる。背の高い人も、低い人も、それまでより多く現れるようになる。特別高い人や低い人も出現する。
そのとき、社会がどちらかの方向へ変化すると、それに適応できない人が死んで、適応できた人だけが生き残る。たとえば、世界的規模で地震が多くなれば、足の速い人が生き残る。反対に、足の遅い人は滅びていく。「オリンピックの陸上競技で黒人選手ばかりが活躍するのは、なぜか」という質問に、「足の遅い人はライオンに食われ、逃げ足の速い人の子孫だけが生き残ったから」という答えがある。これを笑い話の一種のように聞く日本人が多いが、実はこの話に、淘汰というものの本質がある。
動物はいつでも両方に裾野を広げて、世の中の動きを見ている。世の中が変わって足の速いほうがよければ、それがだんだん増えてだんだん正規分布の標準が移っていく。右へ行ったり、左へいったり、そのときの環境に応じて動く。大企業も同じで、多少は変わった人を社内にもっていないと変化に弱い。
だから、動物は常に少し標準から外れた子供を産む。どちらが生き残るかを天秤にかけているわけで、これは環境に適応していくための技術である。
人間も人口が増えると、極端な人が出てくる。普通なら滅びるが、そういう人が適応しやすいように世の中が変われば生き残る。
ヨーロッパが鉄砲と船でアジアを侵略して以降、アジア人も変わったし、ヨーロッパ人も変わった。象徴的に言えば、好戦的な人たちが金持ちになって、女をたくさん抱えて、子どもを産ませた。
産業革命以降は、安らぎやゆとりを大切にするような人は滅びて、勉強や人を支配することが好きで徹夜で働くような人が生き残った。
この二百年間でも人類は変わった。明治維新の頃、日本の人口はわずか3000万人だった。日本の人口は、江戸時代からずっと3000万人台だったのだから、ほとんど変わらなかったが、昭和初期には3倍に増えて9000万人を超えた。当時は植民地の人口を含めて一億になったと喜んでいた。
戦後は9500万人ぐらいに減ったが、昭和45年に1億人に回復した。いまは1億2600万人である。明治維新のときに比べて4倍に増えたから、かなり裾野が広がっている。オタクだとかフリーターだとか、結婚したくない人だとか就職したくない人だとか、そういう人の分布が広がっている。さて、これからの時代はどんな人が適して残っていくのだろう。
教育改革論も家庭教育論もこのぐらいの視点から論じてもらいたいものである。
人口過剰になると戦争が始まる
人間が戦争をする根本原因は淘汰の結果である、クラゲから始まって、アングロ・サクソンに至る淘汰の結果であると書いてきたが、人間が戦争をする原因として、その他に人口論がある。いまの日本では意外に知らない人が多いので紹介しておきたい。
ガストン・ブートゥールというフランスの人口学者は、戦争の唯一の原因は人口問題だ、と本に書いている。書名は『幼児殺しの世界』(宇佐美英治訳、みすず書房)である。
人類は昔から人口過剰に悩んでいて、その解決にはいろいろな方法を開発したとブートゥールは書き始めて、ローマ時代の奴隷制度は人べらしの一手段であったし、現代の戦争もその一つであると説く。原因が何であれ人口が過剰になって農地や資源が不足すると、昔からどの国でも、どの民族でも戦争を始め、その結果たくさんの人が死ぬ。人口過剰が解消すると、やがて平和になったというのである。
戦争の根源に迫る考えだと感心したが、そこで連想したことが二つある。
第一は、人べらしの手段は他にもいろいろあるということで、まず思いつくのは、宗教の力を借りて若い男女を隔離することである。
たとえば、タイでは若い男は出家修行させられる。そのあいだの食事は精進料理だし、女人禁制の生活だから、少しは人口増加が抑制される。修行を終えてからも多少は性を抑制する人間になるだろうと期待が持てる。また、チベットでは今でも男の子がいる家庭は、必ず一人はラマ僧にさせなくてはならないように決められている。
それから大都市の発生も、人口抑制の手段かもしれない。大都市の誕生は人口爆発の結果で、そこでは人命軽視の生活が放任された。人べらしのニーズが背後にあったからだろう。大都市は歴史始まって以来、常に人口消耗の地であった。人口過剰になった農村から「一花咲かせたい」という人が移動してくるが、大部分の男女は定職を得ることなく、苦しい労働の果てに若い人生を終えた。
戦前、中国の港に集まる苦力で25歳を迎える者は稀で、19世紀、ロンドンのソーホー地区に集まる少女は20歳に達する者が少なかった、という話は当時の物語や小説に登場するから各自で確かめられるとよい。
日本も大同小異である。地方から江戸や大阪に出てくる人は男は下層労働者になり、女はいずれ転落して夜の花になると相場が決まっていた。そして貧乏と性病の嵐が若い男女をなぎ倒していった。
もう一つ、人べらしの手段があって、それは産児制限、つまり“間引き”である。大きなお腹をしていた女性が急にスリムになると、近所の人がわけを聞く。「山へ芝刈りにやりました」と答えると、それは男の子でしたという意味になり、「川へ洗濯にやりました」と答えると、女の子でしたという意味になる(桃太郎の童話との関係は知らない)。
戦後の日本でも大々的に中絶をしたようである。厚生労働省は出産数を発表しないので噂話だが、ヤミに埋もれた数字を加えると、年間の中絶数は40万から60万ではないかという。
その結果はどうかはともかく、日本は女性が生涯に子どもを1.3人しか産まない国になり、その結果たいへん平和主義の国になった。東京都の場合は特に出生率が低くて1.2人だから、人口消耗の地としての伝統はいまも生きている。
避妊と中絶の技術進歩もあるが、大都市には家庭生活以上に幸福な職業生活や享楽の生活が花開いている。当然結婚したがらない若い男女の比率は増えてゆく。いまの日本もそうだが、ヨーロッパとちがってアジアに千年の平和があったのは、こうしたお寺や大都市の発達があったからで、大都市の発達は戦争回避の装置であったと考えられる。
若者比率の高い国が戦争を起こす。
第二に考えたことは、この説を数字にしてみようということである。5歳区分の国連統計を使って戦後50年間の各国の仁子分布を表にして、人口爆発国および若者比率が上昇した国は必ず戦争をするものかどうかを調べてみた。すると面白いことが分かった。
15歳から25歳の若者が全人口に占める比率が15パーセントを超えると、その国は戦争をするのである。何らかの原因で10パーセント以下に下がると、戦争は止む。なるほどガストン・ブートゥールの言うとおりである。
たとえば、第三次、第四次中東戦争のとき、世界でいちばん若者の多い国はイスラエルだった。なぜ若者が多かったのかというと、若い移民を受け入れたからである。アシュケナジムと呼ばれるロシア系移民が大量に流入した。イスラエルに入ってくるのは若い人ばかりで、老人は流入しない。若者が赤ん坊を連れて入ってくる。または結婚して子どもを産む。
アシュケナジムというのは人種はトルコ系だが、宗教はユダヤ教という珍しい人たちである。その昔、中央アジアのある国が、北のロシアからギリシア正教、南のトルコからムスリムの板ばさみになったとき、ユダヤ教への集団改宗を選んだのである。
ユダヤ教徒はすなわちユダヤ人と定義すればユダヤ人であるが、先祖伝来、イスラエルに住んだことはない人たちだから祖国復帰といってやってくるのはおかしいとアラブの側は主張する。
その通りだが、ソ連はアシュケナジムを追い出す政策を取り、当人たちも喜んでイスラエルへやってくる。一方、ヨーロッパ・アメリカの各地にいるユダヤ人はあまりイスラエルに移住しないから、結局イスラエルはアシュケナジムだらけになっている。半分ぐらいそうだという話もある。イスラエルはアラブ人と戦うためにアシュケナジムの若者は歓迎だが、近頃はアシュケナジムがくるから周辺に領土の拡張が必要になるという事情もあるらしい。
同じような例はたくさんあって、たとえば第二次世界大戦が終わった1945年につづく46年、47年は、アメリカでもベビーブームの年だった。そのベビーブーマーが20歳になったときに起こったのがベトナム戦争である。
ベトナム戦争は1964年8月、トンキン湾事件という些細なことを理由に開始された。65年には19万人が派兵され、69年には54万人がベトナムに駐留した。理由不明のまま戦争が続行され、約5万8000人の戦死者を出して、75年にようやく全面的に撤兵した。撤兵する理由も再攻撃しない理由も明確はものはなかったが、最大の理由は、アメリカ国内の若者比率が低下に転じたからだと私は考えている。
若い失業者一人に職を与えるより兵士にするほうが安価で簡単だ、というのは万国に共通する法則である。また、過激な若者が戦死してくれるのは政権党にとっては嬉しい話で、そういう事情はアメリカ大統領にとってもローマ時代の皇帝にとっても同じことである。ローマの皇帝は、功名を立てた兵士がちが帰国するのは政治不安の元だと考えて、いっそうの遠隔地に戦争を拡大したそうである。
万里の長城が延々と延長されて万里に及んだのも同じ理由で、労務者を国内に帰さないためだったと想像できる。
日本の高速道路も1万キロをめざしてつくりつづけられたが、最近ようやくストップの運びになったのは、若者の減少という同じ理由に違いない。
さらに言えば、アメリカで失業の恐怖により強くさらされていた少数民族の下層労働者は、ニクソン支持でベトナム戦争には賛成だった。反対していたのは富裕な大学生で、徴兵反対が主な動機だったらしい。ベトナム戦争開始から25年後には、第二次ベビーブームで生まれた赤ん坊が成人したが、そのころ起こったのが1990年8月のイラクによるクウェート侵攻を契機とした湾岸戦争だった、というのは実に分かりやすい話である。つまり戦争は20年か25年ごとに起こるのである。現在のブッシュ・ジュニアの対テロ戦争が同じ原因によるものかどうかはまだ計算していないが、若いアジア系移民の増加や自由貿易協定による失業の増加などが想像される。
いつ、どの国が戦争を始めるかは予測できる
若者が多い国は戦争をする、というのは、きわめて素朴でよく分かる話だ。若者が総人口の15%も占めたら、まず第一に食べさせるのに困る、第二に、若者は変化を望む、第三に若者は闘争的である。隣にボケッとした高齢者の国があったら、それを取ってやろうと思う。理由は何とでもつく。歴史がそれを証明している。
たとえば、昭和15年の時点で、15歳から25歳の若者比率が15パーセント以上の国を地球上に探して色を塗り分けてみると、それはドイツとイタリアと日本である。この三国に若者が溢れ返ったのは、1924年にアメリカが突然、移民の受け入れをストップしたことが大きい。これが第二次世界大戦の原因の一つであるとブートゥールは指摘している。
この人口論から言えることは、日本人、ドイツ人、イタリア人が特別に好戦的な民族だったわけではないということである。
人口論の例外は、第二次世界大戦の韓国と日本である。この両国は、戦争をする代わりに高度経済成長を遂げた(韓国は経済成長をベトナム派兵の両方をした)。日本は昭和35年から50年にかけて、韓国は昭和40年から60年にかけて、それぞれ高度成長を遂げた。戦後のドイツも、同じ列に加えることができるだろう。
その意味で、世界平和を守るための国際貢献としては、産児制限がなかなか有効な施策である。“人口熱気”さえ抑制しておけば戦争は起こらない。したがって高齢化社会は大歓迎である。世界は日本を見習わなければならない。
また、15歳から25歳の若者が全人口に占める比率が15パーセントを超えている国が危険な国であるなら、「将来人口の予測表」を作れば、近いうちに戦争を起こしそうな国がどこかを予測できる。現在の人口統計の10歳の人数を見ればだいたいのことが分かるから、意外に簡単である。現時点で10歳の人口が膨らんできる国は、十年後が危ない。
小子化支援が最大の戦争予防策
現在(2002年)、それはどこの国かというと、中国である。中国は一人っ子政策を採っているが、それを守っているのは年だけである。辺境は自由に放任されているので、実際は子どもが多い。十年後に戦争か内乱が起きる可能性が高い、危険な国ということになる。
中国は日本から受けた巨額の経済支援を資金として、軍備を増強している。日本はODA大綱の4原則を根拠に抗議をするが、中国は「軍事費の増加はインフレの範囲」としか答えない。ここで別の方法を考えるとすれば、経済援助はやめて「一人っ子政策援助」をするのがよい。アジアの平和に貢献する効果は大である。
国連が世界平和を本気で考えるなら、15歳~25歳の若者比率は10パーセント以下にするという数値目標を決議すべきである。それを実現するためなら日本は援助を惜しまないーということが日本の長期防衛計画になる。
日本では、女性が一生のうちに子どもを1.3人以下(平成15年は1.29人)しか産まない。これは地球環境の上から見て、たいへんよいことだから、世界中の国は日本を見習えと国連は大々的に言うべきである。戦争防止のためにも、これがいちばんいい。
アフリカの某国が人口1人当りの所得で見て貧乏であるという計算には、大量の赤ん坊が計算に入っている。赤ん坊を5人も6人も産んでおいて、1人当たりで貧乏だと言っている。援助すると、また産むからキリがない。
数値目標で言えば、日本は援助するとき、出生率を1.4人と計算して、それでも貧乏ならば援助はするが、それ以上の子どもは親の責任だと言えばより。つまり定額援助である。定額の中で豊かになりたければ、産児制限をしなさいと言うおである。日本は言う資格がある。
全世界の出生率が1.4人になれば、戦争は必ずなくなる。後継者難になり、みんな親の跡を継いでそれで充分生きていけるようになる。イライラしなくなり、膨張発展主義がなくなり、静かな老大国ばかりになるだろう。これが平和の近道である。それが真に根本的なPKO(平和維持活動)である。意外なところに簡単な答えがあると感じる。
各国で申し合わせて、次々に子どもを産む国には援助しない、あるいは経済封鎖をする、と決めれば戦争は減る。
ところが、いまはその正反対をやっている。戦争を起こすのにいちばんいい方法は、第一に食糧援助をして、子どもをたくさん産ませることである。そうすれば、約20年後には必ず戦争が起こる。人口爆発国に食糧援助をするなどはとんでもない話で、もしもするのであれば、コンドーム付きでなければならない。
第二に、そこへ武器輸出することを禁止すればいい。中近東やアフリカなどで機関銃を作れない人たちが機関銃を持って戦争しているのは、考えてみればおかしな話だ。先進国が武器輸出をしなければ、槍で戦争するはずだ。それが機関銃だの地雷だの戦車だのになるのは、売ったほうが悪い。
つまり、いま国連がなすべきは、食糧援助をやめることと、武器輸出を禁止すること、それから産児制限の手段を配ることである。もう一つ付け加えるなら電力の供給援助という意外な方法もある。
加納時男氏(元東京電力副社長)は発展途上国の人がたくさん子どもを産むのは、電気がないからだと述べておられる(『なぜ原発が必要か』 祥伝社)。その理由は、第一に、電気がないと幼児の死亡率が高くなり、その補充のため子どもをたくさん産むようになる。第二に、電気がないと水汲みその他の労働力として子どもを産む。第三に、テレビなどの娯楽がないために子どもが生まれやすくなる。
これは説得力のある議論だと思う。加納氏は冗談を言っているのではないかと思われる方がいるかもしれないが、私は大賛成である。スマトラの奥地に火田民(焼き畑農民)を訪ね、なぜ子どもを6人も産むのかと質問したときの先方の答えがこのとおりだったからである。
特に“子どもを働かせて楽をする”との答えはいまの日本人には意外だが、歴史の常識である。「モーターとポンプを援助するから、子どもをこき使うのはやめなさい」と言うのは、現地を知る人の発言だと思って感心した。
人口構成がつくる社会の雰囲気
人口構成の推移が社会の雰囲気をつくるということは、このところ日本人が忘れている話である。戦前の日本は右を見ても左を見ても若者だれけで、学校へ行けば生徒が大勢いて、席を取るのに苦労したような時代だった。そういうイライラがつづく環境で過すと、人命尊重などとは思わなくなる。人間が多すぎるのだから、少しは死んだほうがいいといった雰囲気が生まれてくる。
反対に若者が少なくなると、赤ん坊を抱えている女性は大事にしなくてはいけない、という気になってくるから不思議だ。
同様に高齢化社会になれば、「敬老の精神なんてとんでもない、老人だらけなのに、いちいち尊敬してなどいられない」という雰囲気が生まれてくる。多いものは粗末にし、少ないものは大事にするという、ごく素朴な本能が働くのである。
その意味から言うと、日本が高齢化社会になったという話も、もう一度、検討し直す必要があるだろう。65歳以上の人がついに総人口比15パーセントを超えた、これは大変だという話がよく言われるが、こういう言い方はいけない。
65歳だからといって、シルバーシートに座らせる必要があるとは思えない人が多いし、座席を譲られて「自分はまだ年寄りではない」と腹を立てる65歳もいる。つまり、65歳を老人だと思えば老人だが、そう思わなければ老人ではないのである。
以前、当時島根県知事の恒松制治(元独協大学学長)にうかがったことだが、老人会やシルバー会の類を作っても誰も入らないので、その中に青年会をつくったそうだ。敬老会の中に青年会をつくって、65歳から70歳までの人は青年ということにしたところようやく人が集まったという。
あるいは、金沢市の町内会で雪下ろしをしたとき、町内でいちばん若い人が屋根に上がると決めたら、それが65歳のひとだったそうだ。しかも、その65歳の男性は実際に雪下ろしの作業をしたという。いまの65歳は屋根に上がっても大丈夫らしい。
どういう人を高齢者として特別扱いするかを考えてみると、たとえば人口の3%で区切り、それ以上を高齢者と決める方法がある。そうすると、いまの日本では75歳以上の人が高齢者になる。
このやり方では、フィリピンの高齢者は48歳以上の人である。インドでも47~48になる。この場合、高齢者として特別扱いする人は常に3%だから、社会の負担は増えないーというのはどうだろうか。
厚生労働省が決める生産年齢人口という考え方がある。現在では、15歳から65歳未満までを生産年齢人口と呼んでいる。それ以上の高齢者か、それ未満の子どもは扶養対象人口とするので経済評論家は「生産年齢人口が減ってきたから日本経済は弱くなった」と言っているが、厚生労働省の定義にとらわれず実際に生産年齢人口の幅を広げることはできる。
ある社会で何歳から何歳まで働くべきかは、文明、文化のソフトの問題である。生産年齢人口の概念を変えれば、多くの人が働き出すだろう。社会としても使いようがある。高校卒は働くことにして、大学は老後に行くとよい。大学時代はアルバイトをして、老後は大学院に行くというのはもう始まっている。
戦争をする年齢も変化中である。積極的、攻撃的、好戦的な年齢は確かに15歳から25歳だが、実際の戦争は10歳でもできるし、日本の自衛隊を見れば分かるが50歳でもできる。武器という体外遺伝子の発達で、武器使用がボタンやハンドルやスイッチの戦争になってきたからである。
戦争論をするときの常識も変わらなければならない。
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