閑話 歴史に時効の概念を導入せよ その2

前回の記事において「沖縄戦で起こった諸事実はもはや時効である」と主張すると猛烈に反発されると記載しました。この点の説明の前に歴史における時効の概念とは何かを定義します。

ちなみに民法上の時効とは「ある事実状態が一定の期間(時間時効)継続したことを法律要件として、その事実状態に合わせて権利ないし法律関係の損喪変更を生じさせる制度」とあります。すこしややこしいのですが、歴史における時効の概念は下記のように

「一定の時間が経過したら、ある歴史的事実に対して相手に責任を問わない」

とでも仮定しましょう。「事実は語れども、責任は問わず」と言い換えたほうがいいかもしれません。一定の時間の規定が極めて難しいのですが、ブログ主は50年あたりが適当かと考えます。

なぜ歴史においても「時効の概念」が必要なのかと疑問に思われる方もいらっしゃるでしょうが、その理由は

・時効の概念を定義しないと、歴史的事実を基点として「復讐の概念」が野放しになること

・当事者と相手方の力関係によって、ある歴史的事実の取り扱いが恣意的になってしまうこと

の2点を挙げることができます。「当事者と相手方の力関係によって、ある歴史的事実の取り扱いが恣意的になってしまうこと」とは少し分かりにくいかもしれませんが、下記のエピソードを参照いただけでは理解できると思います。

朝鮮戦争のときは中国の義勇兵が参戦して韓国軍に多大な被害を与えた。ところが、いざ韓中国交樹立(1992)の際は「謝罪」といった言葉が出てこない。盧泰愚政権のとき韓中国交は成立したが、盧泰愚大統領(当時)は江沢民と会談して「お国の軍隊がわが国に…」と話し始めたところ、江沢民は「それは昔のことでしょう」と一喝され、この一言で終わりになってしまった、という。

私はこの話を韓国人から聞いたのだが、彼は、「わが国の長い歴史を考えると、盧泰愚が江沢民に対して食い下がれなかったのもしかたない」というのだ。

上記の話は長谷川慶太郎・佐藤勝巳著『北朝鮮崩壊と日本~アジア激変をよむ』 1996年光文社刊行からの抜粋ですが、当事者の力関係によってある歴史事実(このケースでは朝鮮戦争)がいかに恣意的に解釈されているかが分かります。つまり時効の概念がないと、当事者間で力が上のほうが歴史を都合よく解釈して責任を追及できる(あるいは責任を有耶無耶にする)ことが可能になるのです。だからブログ主は歴史的事実においても大胆な時効の概念を導入すべきと主張するのです。(続く)

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