3月19日から始まった選抜高校野球も4月1日に大阪桐蔭高校の優勝で幕を閉じ、我が沖縄県の春の高校野球大会も4月2日に決勝が行われて、沖縄尚学が5年ぶりの優勝を果たしました。同時期にWBCも開催されて、ブログ主は野球三昧の日々を送ったのですが、イベントも一段落しましたのでブログもぼちぼち本題の歴史ネタの記事をアップしていきたいと思います。
今日は琉球・沖縄の歴史を語る上での最大のタブーは何かを考察します。下記はブログ主の仮説ですが、戦後世代(アメリカ軍の占領行政時代を経験した人たち)と、復帰世代(本土復帰直後に生まれた世代)の意識のズレを考えたところ、戦後世代はもしかすると以下の三つの概念を理解していないかもしれません。それは、
・内面の良心の自由。
・平等の概念。
・時効の概念。
それぞれに詳しく説明すると、時間がいくらあっても足りませんので、今回は「時効の概念」について説明します。
この発想は、戦後世代とは直接関係はないのですが、琉球独立論者の著作を読んだときにふと思いついたことです。それは「1879年の琉球処分は国際法違反である」と記載していることです。つまり
・琉球処分は明らかに国際法違反である(違反の根拠の詳細の説明は省略します)
↓
・だから処分は無効である。
↓
・処分は無効であるから、現在日本国が沖縄を領有することは認められない。
↓
・それゆえに現在の沖縄県は日本国から独立する権利がある。
とのロジックですが、この話では「130年以上の前の出来事に対して、日本国に対して責任を負うよう要求している」ことに外ならず、琉球処分に対して現在の沖縄県は何らかの権利を日本国に要求することができると主張しています。言い換えると「琉球処分の歴史的事実には時効は適用されない」と宣言していることになり、時効の概念を真っ向から否定していることになります。
歴史的事件における時効の概念の適用はまだ確立しているとは思えないのですが、時効を認めないと「復讐の概念」が事実上野放しになってしまい、憎しみが未来永劫連鎖することになってしまいます。それゆえに近代法では思い切って時効の考え方を導入して、一定期間を経過すると権利を放棄しなければならなくなるのですが、琉球独立論者にはそのような発想に欠けることに気がついて本当に驚いたことがあります。
時効の概念の欠如は独立論者だけではありません。戦後世代にも欠けているのではないかと疑わざるを得ません。なぜならアメリカ軍の占領行政時代を経験した世代に「沖縄戦で起こった諸事実はもはや時効である」と主張すると猛烈な反発に合うからです。この件については琉球・沖縄の歴史を語る上でのきわめて重大な点なので次回の記事で詳しく述べたいと思います(つづく)