続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話

Tsugumichi_Saigo

前回の記事において「琉球藩の場合は、おせっかい焼きの日本人が「同じ民族だから」ということで引き取ってくれたことです」と記載しましたが、今回は、頭の体操の一環として、もしも明治政府が琉球藩を引き取らなかった場合どうなったかをシミュレートします。歴史にイフは禁物なんて野暮なことは言わずに、調子に乗りまくって日本以外が琉球王国を引き取った場合を想定して記事にします。

そもそも明治政府が琉球藩を廃して沖縄県の設置を決意したのは、明治7年(1874)の台湾出兵における日清間の交渉で、両国が日本の出兵を「義挙」と認めることに同意したことがきっかけです。ちなみに清国側は明治6年(1873)の台湾における小田県民遭難者への掠奪行為に対する「義挙」と解釈し、琉球民は対象外と判断します。明治政府は明治4年(1871)の宮古島島民遭難事件に対する「義挙」と解釈し、台湾事件の決着によって清国は琉球藩民を日本人として認めたと判断します。

この時の両国の解釈の違いが、明治12年(1879)の廃藩置県における日本と清国の外交問題に発展することになるのですが、もしも台湾出兵が日本の敗北で終わった場合*、日本と清国のパワーバランスは間違いなく清国優位になります。その結果琉球藩における明治政府の影響力は低下し、当然ながら廃藩置県は実施されず、従来どおりの日本と清国との両属になっていた可能性があったのです。

*西郷従道都督を中心とした征台軍は台湾南部に上陸後に順調に現地占領を続けます。ところが征台軍には補給に難点があり、しかも現地の劣悪な環境によってマラリアが蔓延して極めて危うい状況にありました。清国側は北京での日本との交渉を延ばし延ばしにして、その間に軍備を整えていたので、もしも日清間の交渉が決裂して清国が派兵を決意したならば、台湾の日本軍は敗北した可能性が高かったのです。

台湾事件の結末が、清国優位に終わった場合は、琉球藩における清国の影響力が高まり、相対的に日本の影響力が低下します。仮に琉球の帰属をめぐって日清間で対立が発生した際は、当然ながら清国優位に交渉が進むことが予想され、最終的に日本の帰属から外れたならば、清国外藩としての琉球王国が復活します。つまり日本との政治的なつながりが絶たれる形になるのですが、その場合琉球王国はどのような運命を辿るのでしょうか。(続く)

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