俺が調子に乗って沖縄の高校野球の歴史を語るシリーズ 伊志嶺吉盛監督の勇退について思うこと その3

伊志嶺監督は気性が激しいことでも知られています。よく言えば熱血ですが、その気性が激しいエピソードを2つほど紹介します。

その1:2005年秋の九州大会で八重山商工が準優勝してセンバツ出場をほぼ確実にした後の島民の会話。

・島民A:八重山商工がセンバツに出場できそうだ。

・島民B:それは喜ばしいことだけど、あいつら問題を起こさないか心配だ。

・島民C:そうだな、よし伊志嶺さんに見張りをつけるかw

その2:2006年夏の甲子園2回戦(対松代高校)の伝令

・伝令くん:「監督が、裕太、ヤー死ね!(裕太、お前死ね)と言っているけど…」

・マウンドに集まったナイン一同が伝令に一言「ヤーが死ね!(お前が死ねよ)と言って来い(笑)」

ご本人も気性が荒く、2006年のチームもやんちゃ揃いで、こういうエピソードも生まれたのですが、ただし最近の八重山商工の選手たちはおとなしいように見えます。選手たちに激を飛ばして発奮させる指導ではうまく対処できないのではないでしょうか?ご本人も丸くなったとおっしゃっていましたが、おそらく時代の流れを痛感していると思われます。

それと2010年以降から島内の中学生の有望選手が八重山高校に進学する傾向が強くなります。伊志嶺監督の気性の激しさと練習の厳しさ、そして遠征などの経済的な負担も無視できず、地元の選手が八重山商工への進学を避けるようになったのです。その結果、県外からの野球留学生たちが野球部を支えるようになったのですが、地元の選手と県外の選手たちを融和させることにも一苦労されたことは間違いありません。

2006年に甲子園に出場した後も八重山商工野球部は苦難の連続ですが、それにも負けず熱い情熱を持って生徒たちを指導したことは素晴らしいの一言です(そして公式戦での結果も出しています)。これぞ本物のエリートの行動そのもので、石垣島の球児たちは多いに見習って欲しいことと、いくら感謝してもし足りないほどの功績を残したことを忘れてはいけないのです。明日(18日)の試合は奇しくも石垣ダービー(八重山vs八重山商工)になりました。対八重山に勝利すると、次の試合は春のチャンピオンである糸満高校との試合です。非常に厳しいブロックに入りましたが相手に不足はありません、最後の最後まで全力を尽くして甲子園出場を勝ち取ることを願わずには居られないのです(終わり)。