今年の夏の選手権で八重山商工の伊志嶺吉盛監督が勇退することがマスコミに大々的に報道されました。2003年春から13年の間八重山の高校野球を牽引した名物監督の引退は、沖縄の高校野球の一つの時代が終わったことを実感します。
ブログ主から見た伊志嶺監督は間違いなくエリートです。ここでのエリートとは学歴エリートやスポーツエリートの意味ではなく「己の使命に殉ずる人」のことです。八重山地区の野球のレベルアップのために己のすべてを捧げたことに対して素直に敬服するしかありません。
伊志嶺監督を有名にしたのは2006年に彼が率いる八重山商工が春夏連続で甲子園に出場して合計3勝(春1勝、夏2勝)を挙げたことでしょう。特に春のセンバツ初戦の高岡商で衝撃的な全国デビューを果たしたことは今でも覚えています。
伊志嶺監督は、沖縄の離島のチームが県予選で勝てない原因を痛感していたはずです。その理由は1.体力面で沖縄本島のチームに劣ること、2.時間の感覚が沖縄本島のチームと違うことの2点です。
1の体力面ですが、離島のチームは身体能力とテクニカル面では沖縄本島のチームに負けていません。ただしトーナメントの連戦をこなすだけの体力に欠けるのです。そのためベスト4あたりからは自分がイメージした通りにプレイができない→ミスが連発→負けるのパターンに陥ります。このあたりは80年代の沖縄のチーム(興南、沖縄水産)と同じですね。沖縄の高校球児が体力の壁を越えたのは88年の夏の甲子園で沖縄水産がベスト4に進出してからです。故裁弘義監督が豊見城高校を率いてから10年以上経過して初めて本土水準の体力レベルに達することができたのです。
残念ながら沖縄の離島のチームは、まだ体力面で沖縄本島のチームに及ばないのです。伊志嶺監督は徹底的に鍛え上げることによって初めてフィジカル面で八重山のチームが沖縄本島のチームに匹敵するレベルに達します。だからこそ2006年のチームは春夏連続で甲子園に出場することが可能だったのです。現在離島で最強のチームは仲里真澄監督率いる八重山高校ですが、やはりフィジカルの面で本島のチームに劣る傾向があります。フィジカル面だけでも沖縄本島のレベルに匹敵するまで選手を鍛え上げた手腕はさすがの一言です。
2の時間の感覚ですが、この点は最後まで悩みの種だったようです。現在の高校野球の平均試合時間は2時間で、攻守にすばやい切り替えが要求されます。特にミスしても短時間で気持ちを切り替えて次のプレイに集中することが求められますが、離島の選手はこのような気持ちの切り替えが大の苦手です。伊志嶺監督はよく「内地から八重山商工に入学してくる生徒もいつの間にか島の時間に順応してしまう」と嘆かれていましたが、確かに島ののんびりした時間感覚が身についてしまうと、精神面での気持ちの切り替えがスムーズにできません。離島のチームは気持ちがノリノリのときは強いのですが、いったん調子が下降気味になると、そこからスィッチを入れ替えてプレイすることが本当に不得手なのです。
80年代前半の興南高校の野球がまさにそんな感じで、沖縄の高校野球の歴史上でも屈指の身体能力を持った選手たちでチームを構成しても負けるときは実にあっさりでした。離島のチームは80年代の沖縄本島のチームを見ているようで、伊志嶺監督のスパルタ指導でも完全に克服できない現状です。今後はこの点を克服できるか注目していきたいところですね(続く)。