斉彬くんの死後は島津家では久光くん*が実権を握ります。久光くんは斉彬くんの時代と違って諸外国のネットワークにはあまり関心を示しません。ただし薩摩藩内で銅の価格が高騰したことによる対策として尚泰くんに無慈悲な指令*を下してPCを破壊一歩手前までに追い込みます。
*島津久光(1817~1887):島津斉彬の死後に薩摩藩の最高実力者として君臨します。ブログ主にとって前述の斉彬と久光は琉球に対するあまりのやらかしっぷりに対して鬼畜のツートップとしか認識できません。
*1861年に琉球王府は「御国許(薩摩藩)で銅が少なくなったので銅銭1文に対して鉄銭2文の交換比率で対応するように」との布令を出します。ちなみに従来は銅銭1文に対して鉄銭1文(50枚)の交換比率で、この政策運用によって鉄銭の価値は従来の半分になってしまいます。
*首里や那覇の都市部、あるいは農村では主に通貨として流通しているのは鉄銭で、この政策運用によって当然のごとく物価が騰貴します。簡単に言えば人為的にインフレを起こしたのですが、最終的には1868年に銅銭1文に対して鉄銭32文(1600枚)まで鉄銭の価値を下落させます。当然鉄銭は通貨としての価値をほとんど失い、琉球国の経済は地獄のどん底まで落ちてしまいます。
*この政策は琉球・沖縄の歴史上で最悪の経済・金融政策で間違いなく、この一件だけは薩摩藩の後継である鹿児島県に対して謝罪と賠償を要求したい気分になります。
久光くんの無茶苦茶な指示を強行したおかげでPCには取り返しもつかないほどのダメージを負うことになります。もはや終了のお知らせを待つのみ*の状態ですが、天はPCを見捨てることはありませんでした。日本で政変が起こり天皇さんを中心とした新政府が発足*したのです。
*1853年から1871年の18年間は琉球・沖縄の歴史上で最悪の時代で間違いありません。
*1867年11月(慶応3)の大政奉還で政権が徳川家から明治天皇へと移り変わり、その後明治政府が発足します。
天皇さんは尚泰くんに対して「(このPCは俺の物だけど)お前さんがユーザーとして利用していいよ」*と申し出ます。お土産もたくさん準備して尚且つ減税も提案*したので、尚泰くんをはじめ王府の要人たちは万歳三唱しながら提案を承諾します。
*1872年(明治5)に明治天皇より琉球国を琉球藩へ国王尚泰を藩王に封じられます。
*具体的には以下記載の通り。
1.琉球国の債務(鹿児島藩に対して)をチャラにする。
2.明治政府への貢租は2割減(約1万石→8200石)。
3.しかも代金納で可(10~12月の大阪の米相場の平均値で換算して8200石相当の代金支払いでok)という至れり付くせりの内容です。
日本の政変によってPCそのものは廃棄スクラップの運命だけは免れます。だがしかしほっとしたのもつかの間、この後天皇さんとそのスタッフからの提案に対してPCユーザーである尚泰くんやその配下のスタッフは度肝を抜かれてしまう事態が起こります。