琉球・沖縄の歴史の概要その2

玉城くんの時代には3人の有力な権力者が存在していましたが、これは1台のPCに3つのユーザーアカウントが存在する状態*と考えましょう。ただし残念なことに肝心の中山の系統は玉城くん以降さっぱりふるわず、5代目のときについに新しい利用者によって乗っ取られてしまいます。それが察度くん*です。

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*便宜上北山、中山、南山の政治/社会制度がほぼ同一であると仮定します。

*察度(さつど:1321~1395)現在の宜野湾市大謝名出身らしい。1350年(貞和6)に中山国の王となります。王統は察度と武寧の2代で1406年に佐敷の豪族である巴志(はし)に滅ぼされます。

ここで察度くんは考えます。どうしたらPCの利用権を強固にすることができるのであろうかと……そして出た結論が中華の皇帝からPC利用のお墨付きをもらうことです。それが冊封*で1372年(応安5/建徳3)に明の光武帝からPCの利用権を与えられます。ただし中華の皇帝から付与されたのはPCの利用権であって所有権ではないことです。

*光武5年(1372)の冊封は歴史的事実ではないという説もある。

中華の皇帝は建前上世界の領土をすべて所有しています。そのため誰がPC利用するかどうかは皇帝が勝手に決めても構いません。察度くん以降の歴代のPC利用者はあくまで利用者で本当の所有者は皇帝という考えが冊封です。実際に中華の皇帝は北山くんにも南山くんにもPCの利用権を付与しています。

中華の皇帝から冊封を受けたことには歴史的事実です。その事実を曲解して沖縄は中国(あるいは台湾)の領土と主張する輩を見かけますがそれは間違いです。事実中国大陸の政権は1912年(明治45)の辛亥革命以降かつての皇帝システムを全否定した政治制度を採用しているではありませんか。

冊封はあくまで中華の皇帝システムが健在の場合の話で、現代の政治システムで歴史的事実を悪用して沖縄の領土権を主張することは本来許されるべきではありません。主張するならかつての皇帝システムに戻してからです(続く)。

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