今回から数回にわたって、琉球藩当時の社会と朝鮮人民民主主義共和国(以下、北朝鮮)との比較記事を掲載します。以前当ブログにおいて、現在の北朝鮮が150年前の琉球王国の状態と同じと記載しましたが、今回は真面目に「本当に同じ状態かどうか」と検証します。ちなみに前回の記載の内容は下記参照(当ブログ、琉球藩の時代 その9より抜粋)。
(中略)つまり
1.国王とその一族が名誉と権力と富を一手に握り、
2.上流階級は国体護持すること以外は考えることなく、
3.人口の多数を占める百姓と無禄の士族は困窮に苦しみかつその状態から抜け出すことが極めて難しい状態、
という理想的な悪政を敷いている状態でした。苛政は虎より猛しとはまさにこのような状態ですが、上記の3点は現代でもどこかで見覚えがあるのではないでしょうか?
そう、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)がまさに150年前の琉球王国の状態と同じなのです。尚王家を金一族に変えたらそっくりではありませんか。だからハッキリ言って現代の沖縄県民には北朝鮮を馬鹿にしたり笑ったりする資格はありません。
この記事は当然ながら賛否両論がありました。琉球王国は北朝鮮のようなスーパー監視社会でもなく、強制収容所もなかったとのご指摘もありました。ご意見はごもっともですが、ブログ主は「比較対象が李氏朝鮮末期でないだけ、ありがたいと思え」と声を大にして云いたいです。かつての沖縄の革新系知識人にとっては北朝鮮と金日成主席は憧れの的でしょう、だからわざわざ比較の対象として持ち上げたのですが…(すっとぼけ)。
では今回はブログ主が知る限り、真面目に現代の北朝鮮と、琉球藩時代前後の琉球社会について比較検証します。先ずは共通点を探っていくと、
- 支配者一族が、権威と権力と富を一手に握っている。
琉球王国の場合は「王国」ですから、支配者である尚家が権威、権力、富を一手に握ってもおかしくはありません。1609年(慶長14)に薩摩藩に敗北しても、王国の形式は維持されたので、琉球国内における尚家の存在は絶大なものがありました。
北朝鮮の場合は国名に「人民民主主義共和国」と謳っており、共産主義がベースの国家ですので、本来は支配者である金一族が、名誉や富を独占するのは可笑しい話です。このあたりの事情は、重村智計氏の著作「北朝鮮データブック」の記述が分かりやすいので、抜粋します。
〈金正日体制を支える親戚、縁戚者〉
私は、韓国に留学した1970年代中頃、韓国の企業や社会が家族主義で支えられている事実に、いたく驚かされた。一族に優秀な若者がいると、みんなで応援して大学まで送り出す。そして、出世すると今度は兄弟家族はもとより、親戚も世話になる。
親族のめんどうを見るというのは、儒教社会での美風だった、企業でも、幹部は社長の親戚縁者ばかりというのも、決して珍しくなかった。家族や親族しか信用できない、という感情もあった。
こうした朝鮮半島の儒教的伝統と、家族主義からすれば、北朝鮮の権力層に見られる家族主義も、特別なものではないかもしれない。しかし、すでにアジアの多くの国が近代化していくなかでは、これからはますます理解されにくくなるであろう。
金日成主席は、一挙に全権を握り反対者のいない体制を作り上げたわけではない、政治的な駆け引きを繰り返し、反対者を説得あるいは排除しながら、金正日書記の後継体制を築いたはずだ。そうした闘争の中で、最終的に信頼できるのは、親戚縁者であった。
権力者の一族が名誉や富を独占するのは、古代や中世社会では珍しくありません。ただし琉球王国と北朝鮮の共通点は、社会の背景に儒教的発想があることです。儒教のレベルは朝鮮半島のほうが断然上ですが、琉球国においても(士族階級の)教育は、四書五経をはじめとした漢学ですので、士族社会においては儒教的思考が根強いと考えても間違いではないでしょう
支配者の一族とその縁故者が、社会の富や名誉などを一手に握ることは、実は危険な状態です。一見安定した権力基盤を築いているように見えますが、一旦緩急あらば(緊急事態のこと)権力基盤がもろくも崩れてしまう極めて不安定な状態になってしまいます。理由は支配者一族以外の階層がすべて敵に回ってしまうためで、あっという間に社会が転覆してしまいます。琉球藩の時代がまさにその状態で、最後にあっさりと琉球藩を廃され、沖縄県が設置されたのも、王族や上級士族以外の社会階層からの強力な援護がなかったことが原因なのです。(続く)