この度、ブログ主は50年ほど前の新聞史料を整理・収集している際に、極めて興味を覚えた記事を見つけましたので、当ブログにて全文を公開します。ただし、現代の沖縄県民には理解しにくい部分もあるかと思われるため、ブログ主なりに解説したまとめ記事も作成しました。
あらかじめお断りしておきますが、特集記事に登場する垣花静枝さんは、ブログ主が案ずるに、熱烈な毛沢東シンパとかではありません。たしかにこの特集記事からは、中国共産党による指導のもとちうごく大陸に理想郷が現出している、そして現代人ならば「彼女は共産党のプロパガンダに踊らされている」と否定的な感情を抱くかもしれません。
だがしかし、理想郷は存在していたのです。
彼女の脳内に💛
そして、この特集記事は「わたしのりそうとするさいきょうのりうきう」のロールモデルとして、ちうごく側の説明を利用した垣花さんの “お気持ち表明” に過ぎない代物なんです。だからといって彼女の “お言葉” が無価値というわけではありません。この特集記事をチェックして痛感したのが、アメリカ世が残した社会の矛盾に苦しむ沖縄の現状を彼女は真剣に憂いていたことです。そして文化大革命がちうごく社会に残した爪痕、特に経済に悪影響を及ぼした実態を読み取ることができる貴重な特集記事と捉えることもできます。
なお、昭和50年当時はロールモデルとしてちうごく大陸側の説明を使いましたが、もしそれが事実ではないと気が付いたら一体どうするのでしょうか。その時は別のロールモデルをもち出して “お気持ち” を表明すればいいだけの話なんです(それで有耶無耶にする)。これは昭和の「進歩的文化人」と呼ばれる人たちの行動様式そのものですが、さらに進んで地球上にモデルとする社会がなくなってしまった場合はどうするかと思いますか?
答えは簡単で、「沖縄は差別ガー」「米軍基地ガー」と大声を出すことで、過去の言論を有耶無耶にしてしまうのです(だから米軍基地あり、かつ日本国によって言論の自由が保障されている沖縄はある意味住みやすい)。前に当ブログで言及した “うちなーの奥義” の変形バージョンとも言えますが、実際に我が沖縄には「学びの国との表現がぴったりするような気がした」と喝破し、その後北朝鮮の拉致問題が明るみに出たあとは、過去の言動をなかったことにした
石川元平さんとか、石川元平さんとか、石川元平さんとか、
という実例もあったりします。
少し話がそれましたが、昭和50年10月11日付琉球新報夕刊に掲載された特集記事(全6回)の全文を貼り付けておきますので、読者のみなさん是非ご参照ください。
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