婦人の見た中国 ④ 物価とくらし

新中国は、旧政権が残した極度のインフレを克服し、八億もの人口の食糧を確保することを国策の一大目標として、国家では生産を発展させ、需要をみたすことに力を入れ、計画第一、価格第二の政策をうち出し、更に、工業を発展させ近代的な農業生産手段を大量に農村に提供する。農業と工業は、いわば車の両輪のように互いに依存し、促進し合う関係にある。この二つを同時に発展させるために、いわゆる「二本の足で歩く」という方針がうち出され、国民経済は回復し、インフレ状態をおさえることが出来たという。

中国の物価は、ここ二十五年来公定価格は変わっていない。「早馬も物価の値上がりには追いつかない」というように、年間20%以上の物価上昇を続けている沖縄では、想像も出来ないことである。そこで、中国各地での交流で家計についてきいてみることにした。日本流に、一々家計簿をつけているわけでもないようですが、家計の内容が単純だから男の人でも、即座に答えてくれます。

25年間も物価変わらず / 衣、食、住などは完全保護

中国の労働者の平均月収は、50元‐60元(12,000円‐15,000円)程度です。

子供4人と夫婦の6人家族の例を見てみますと、母親を除いた5人で働いて月の総収入が250元、家は昔ながらの中国住宅で、すべて国有化され、家賃は月4元ということです。光熱費が4元、6人家族でお米が20㌔程度で16元40銭、上質の豚肉500㌘で96銭、牛肉が80銭、野菜3銭、このような内容の食費が1日1元から1元50銭、米代を合わせて食費の総額が60元から70元というところ。中国では子供の教育費(下級学年)が半年で約5元、塾やおけいこごともあるようですが、月謝を払う必要はない。いろいろな課外活動もさかんに行われているが、それもみな国の機関から専門家が派遣され、すべて無料で習うことができる。

中国では、市場は国営で、市場間の連絡調整がスムーズに行われ、売れ残りが少ないという。野菜は人民公社から出荷され、万一売れ残りが出たり、腐ったりした場合は、国が補償してくれ、農民への不利益は全くないとのことです。また、労働者は、生産を通じて農民を支持し、解放軍は軍服を着た労働者であるという。労・農・兵が協力し合っているのである。

私たち沖縄では、常に子供の教育、保育所問題、失業、税金の問題をかかえ、生活は異常なまでのインフレ、物価高にいためつけられ、悩まされているが何ともうらやましいことです。

衣類は、木綿が1㍍で約160円、絹の薄手の生地が4㍍(ダブル幅)で1,500円前後、しゅすやどんすが4㍍(シングル幅)で3,000円程度、とにかくビックリする値段です。私たちも「友誼商店」と呼ばれる外国人専門の店で、絹織物を買うことが出来ました。

中国のくらしは、交通機関もバスと自転車が主で、わずかにタクシーがあるだけ、マイカーなんてゼロに等しく、農村では洗たくもまだ畑の中を流れるかんがい用水でしかも、ブリキかんを切ったようなタライを使っている。また、農村のトイレには手洗がなく、仕切りのドアのないトイレは都会の工場や学校などにもザラにある。暑い南部の方でも、扇風機があるだけで、暑さに悩まされました。

たしかに私たちの基準からすれば、中国の生活のレベルは決して高くないが、それでも五保護(衣・食・住・医療・葬儀)が完全な上に家族全体の総収入から毎月40元‐50元の貯金が出来るという。「解放前は毎日質屋通いでしたが、解放後は銀行通いです」。以前の生活から考えればまるで夢のようですとある母親はうれしそうに話してくれた。(昭和50年10月14日付琉球新報夕刊02面)

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