暮らしの基本である衣生活を見ると、驚くほど質素である。どこへ行ってもどんな偉い人でも、男女とも地味な上衣に紺かグレーのズボン、要するに人民服です。清潔ではあるがアイロンかけの後もなく、作業服などはTシャツをはじめつぎ当ての服も少なくありません。だからといって中国のデパートにカラフルなものがないのかといえば、日本と同様子供服や婦人服、種々なものがかざられています。
なぜ着ないのか考えさせられます。でも冬は人民服やコートの下からは着るそうです。子供服だけは日本と同じです。木綿の生地も切符制だときき、服装の質素な原因がうなずける気がしました。
あくまでも質素に / つぎをあて大切に使う
ぜいたくは許されず「物は修理して使えるだけ使う、派手なものぜいたくなものは買わない、着ない」という傾向は特に解放後強くなったということです。
中国の女の人は全然お化粧もしない。日本流の美粧院がない。ヘアスタイルも若い人から老人まで、ショートカットか長い三つ編みです。しかも、奥さんの髪はそのご主人が、ご主人の髪は奥さんが、それぞれ好みに合わせて切るという。何とも家庭的な相互扶助の光景が目に見えるようです。まるで、日本のあの戦時中(非常時)が思い出されました。
解放前は、やはり華やかな服装や流行もあったようですが、プロ文革、批林批孔運動が深化された現在では、服装は特に質素になったという。礼式や結婚式の場合も、やはり人民服スタイルだということです。
私が特に興味深く思ったのが、くつやくつ下・手袋が片方だけ、半値で買えるということでした。パンティーストッキングの流行以来、片方がダメになったら、両方一緒に捨ててしまう日本の消費生活のあり方に大きく考えさせられました。また、片手、片足のない身障者に対する福祉政策の面からも、社会主義国の人間優先の福祉政策に驚くやら感心するやら…。わが国でも身障者をはじめ多くの谷間の福祉問題も大いに考えて頂きたいものです。
それにしても、中国での交流訪問の二週間余りの間、私も女として「装う」ということについて、いろいろ考えされられました。
たしかに、日本は高度成長政策をとり続け、その利潤追求のみに力を入れ「消費は美徳なり」の宣伝におどらされて、ムダ遣いが身についてしまった。特に女性は「装う」ことにあまりにもお金をかけすぎる。中国はもちろんですが、他の国に比べても明らかに日本の女性は着倒れの傾向がある。
しかし、中国のこのような衣生活は「非常時」として過渡期のものとして理解すべきなのでしょうか。「装う」ということへの婦人たちの欲求は、仮に完全に男女が平等になったとしても、人間の欲求としてなくなっていくものなのだろうか?…などひとり考えたりしています。(昭和50年10月13日付琉球新報夕刊02面)
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