お隣の中国との交流が年々盛んになっています。沖縄県の各界各層をもうらした「第三次訪中団(比嘉佑直団長)がこのほど帰国しました。
今年は「国際婦人年」とあってメンバーの半数は婦人にしてほしいとの中国側の要望で、婦連、県労協婦人部、日本婦人会議の代表はじめ、大学講師、舞踏家など九人の婦人代表が参加しました。働く婦人の代表として参加した県労協婦人部長の垣花静枝さんに、婦人の目で見た最近の中国について報告してもらいましょう。
「男女平等は、社会全体の社会主義的改造の過程で、はじめて実現できる」。この毛主席の教えを学習し、中国では、今や完全に男女平等である。勤労婦人は政治的に解放され、経済的にも独立し、あらゆる分野の仕事が、婦人たちの前に門を開いている。機械工をはじめ、塗装工、地下資源、調査員、飛行士、技師等中国の婦人は、社会主義革命と社会主義建設の事業の中で、ますます大きな役割を果たしている。こうして、婦人の社会的地位は大いに高まってきた。
完全に男女が平等 / 誇り持ちいきいきと活躍
中国の婦人と交流するとき、必ず毛語録にある二つの言葉が引き合いに出される。すなわち「婦人は夫の半分を支える存在」「時代は変わった。男の同志に出来ることは女の同志にも出来る」この二つを合言葉に、中国の婦人たちは、儒教の男尊女卑思想を批判する「批林批孔運動」をすすめ、今日では解放前の四つの権力(政権、族権、神権、夫権)から解放され、まさに夫の半分を与える存在として、各分野で男子と同等に活躍している。最近では、革命委員に多くの婦人幹部を送り出すために国をあげて取りくんでいる。
男女平等という場合、婦人労働者の母性保護はどのようになされているのだろうか。まず、子供は胎内からすでに大事にされていて妊娠とわかった日から婦人労働者は七時間労働へと労働時間が短縮される。産休はもちろん有給ですが、通算五十六日と以外と短い。異常出産とか、難産の場合は、七十二日間延長が認められる。
生理休暇制度はないが、きつい人は休めるようになっており、出来るだけ軽い仕事につくように配慮される。また職場で生理用品が支給される。夏場では、ソーダ水が自由に飲めるということである。
子供は、産休明けから各職場の託児所にあずけられ、三歳から地域の保育所へ入れる。保育所は全日制と全託制(月曜日から土曜日まであずけ、週末に引き取る)があって、自由に選べるようになっている。
育児時間制度はないが、母親労働者は、子供が一カ年半まで、労働が七時間に短縮される。中国では、母親労働者への配慮と各分野へ婦人が進出し、仕事に専念出来るように社会的に保障されている。
婦人労働者の定年は五十歳で、退職後、毎月の手当は、もとの賃金の七〇%が支給される。
婦人が働きつづけること、技術をもって社会に進出することは、婦人の地位を確立するだけでなく、働くことは、社会に貢献することであると、誇りをもって実にいきいきと活躍している姿が印象的だった。「働く婦人の子は非行児が多い」「子供は母親が育てるべき」などと、日本では、結婚し、子供を持って働く婦人たちにとって、いつでも肩身のせまい気持ちにさせられる。中国の婦人にはそのような精神的圧力が全くありません。みんなが一生懸命働き、家族みんなが共に家事もしているからその必要がない。
また日本の社会に根強くある「家事・育児は女の役目」という男女の役割分担意識も、中国では家庭や地域においてぬぐいさられているといってよい。買い物は男性が最も好む家事の一つで、市場でも買い物客の七割が男性である。
日本で、もしこれだけの男性がいつも買い物すれば物価値上げ反対の運動も厳しくもり上がるかも知れません。しかし家事は家族で分担してやるといっても、サボル男性もいるという。婦人に家事をおしつけて、ノホホンとしている男性がいた場合は、地域や職場の集会でとり上げ、徹底的な話し合いをして克服しているという。
職場では、男性と同時間働き、保育所へかけつけ、子供を引き取り、買い物、炊事、洗たくと二重、三重の負担を負わされている日本の働く婦人から見れば、何ともうらやましい限りである。
職場でも「女だから」と賃金、待遇で差別されることもない。(昭和50年10月11日付琉球新報夕刊02面)
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