今回は読者のみなさんお待ちかねの沖縄ヤクザ関連の記事を提供します。第1次から第4次の沖縄ヤクザ抗争を調べると必ずといっていい程 “ミンタミーヨシフミ” という人物が登場します。コザ派→山原派の首領であり、昭和45(1970)年12月8日に結成された沖縄連合旭琉会理事長新城喜史(しんじょう・よしふみ)さんのことですが、彼に関して興味深い記事を発見しましたので紹介します。
沖縄ヤクザ関連
昭和あるある – 暴力追放宣言決議(全文)
昭和 51 年(1976 年)12 月 6日、暴力団上原組が那覇市安謝の曙町に”山口系大平組直系上原組”の看板を掲げたことで、地域住民および那覇市が大さわぎになった案件があります。第四次沖縄抗争のいきさつについての説明は割愛させていただきますが、同月 12 月 17 日の那覇市定例議会では、本会議冒頭にて「暴力追放宣言」を採択、同月 19 日には那覇市安謝で「暴力追放住民総決起大会」も開催され、その結果上原組は安謝から撤退せざるを得なくなりました。この件に関して 17 日付琉球新報から該当する記事を書き写しましたので、読者の皆さん是非ご参照ください。
残波岬の決闘
今回は “残波岬の決闘” について記事を纏めてみました。ブログ主が確認した限りでは “残波岬の決闘” と思わしき事例は2件あり、一つが昭和 29年(1954年)の那覇とコザのアシバーたちの揉め事に関するものと、もう一つが昭和39年(1964年)の空手道場の門下生間のトラブルに関するものです。この2件は実際に決闘は行われなかったようですが、もしかしたら他にも決闘の事実があるかもしれません。
昭和29年の決闘について、比嘉清哲著『沖縄警察五十年の流れ』から関連項目を抜粋しました。読者のみなさん是非ご参照ください。
残波岬の決闘(昭和39年度)
昭和39年(1964年)の”残波岬に決闘”に関しては相反する伝聞情報が多くてどれが事実か判断できません。現時点で公開されている情報を二つ掲載します。
56年前の琉球新報の記事から
本日は昭和37年(1962)12月27日付の琉球新報から興味深い記事を見つけましたので紹介します。現代と同じくアメリカ世時代も「歳末助け合い運動」が実施されていて、二千五百㌦の寄付金が集まったニュースが報じられていました。ブログ主が全文を書き写しましたので、早速ですがご参照ください。
(注)当時の1㌦は360円で、それに約4倍すれば現在価格と見做すことができます。
沖縄ヤクザ関連の蒐集したエピソードを適当にならべてみた – その4
今回は、昭和36年(1961年)9月9日に起った「西原飛行場事件」について言及します。この事件は同年11月号の『月間沖縄』で公にされ、その中で始めて又吉世喜の存在がマスコミに登場しました。そして昭和38年(1963年)3月号の『月間沖縄』と昭和40年(1965年)9月9日付琉球新報特集記事『組織暴力(6)』のなかで同事件の詳細が掲載されていますが、一部記述に食い違いがあります。
沖縄ヤクザ関連の蒐集したエピソードを適当にならべてみた – その3
今回はひさびさに沖縄ヤクザに関する記事です。昭和40年(1965年)9月4日付「琉球新報7面」に『組織暴力』とのタイトルで計15回の連載企画記事が掲載されていました。警察の”G”資料を元に当時の記者たちが総力をあげて取材した特集記事で、これらの特集を組まざるを得ないほど当時の沖縄社会はアシバーたちが幅を利かせていたことが分ります。これら特集記事の中でブログ主が気になった点をいくつか抜粋しますので、アングラネタ好きの読者の皆さん是非ご参照ください。
とある善良な市民がマスコミデビューしたときの記事を見つけた件
今回は沖縄戦後の新聞をチェックした際に発見した記事について言及します。昭和25年(1950年)10月14日付うるま新報に掲載された「女中殺し」の事件ですが、後に”善良な市民”としてコザ市で名士扱いを受けた人物の名前が記載されています。
*カンパン:沖縄戦後に各地に設置された収容所兼労務宿舎のこと。RTBカンパンは那覇、AJは普天間にあった。
*被害者の名前は黒字で伏せています。
とある沖縄ヤクザ界の大物と思わしき人物の記事を見つけた件
本日『うるま新報』ほか戦時中および戦後の新聞をチェックしている際に、偶然ではありますが興味ある記事を発見しました。本命は「玉城繁政」という人物を調べていたのですが、それとは別に沖縄ヤクザ界における大物と思わしき人物が引き起こした事件についての記述が見つかりました。早速ですが読者のみなさん、是非ご参照ください。
あるお方のマスコミデビューと思われる記事を見つけたお話
ブログ主はここ数日にわたってこれまで蒐集した史料をチェックしたところ、実に気になる新聞記事を見つけました。昭和49年(1974年)9月23日付の琉球新報において組織暴力団「沖縄連合旭琉会」に関する記事が掲載されていましたが、その中に ”富永清” の名前を見つけました。これはもしかして彼の名が初めて県内2紙に登場した記念すべき記事の可能性があり、今回当ブログにて掲載します。ヤクザネタ好きな読者の皆さん、是非ご参照下さい。
短銃で射たれ重傷 – 壷屋、暴力団のヤミ打ちか
前回ひさびさに沖縄ヤクザ関連の記事を掲載しました(『縄張り”暁に死す”』)。予想通りアクセス数が凄かったので、今回も調子に乗って昭和 37(1962)年11月13日に発生した又吉世喜銃撃事件について言及します。この事件は本土から”ヒットマン”を派遣して銃撃という沖縄ヤクザ史上初の事件であることと、この後抗争事件で銃撃が多発する歴史的?な出来事になりました。今回は当時の新聞と警察関係者、および昭和38年3月号の『月間沖縄』からの資料を掲載します。是非ご参照ください。
縄張り”暁に死す”
今回は当ブログ読者のみなさんお待ちかね?の沖縄ヤクザネタを掲載します。ブログ主の手元にある史料から、昭和36年11月号『月間沖縄』に掲載された西原飛行場における暴行事件について掲載します。その事件の概要は下記ご参照ください。
沖縄ヤクザ関連の蒐集したエピソードを適当にならべてみた – その2
以前、沖縄ヤクザに関するエピソードを当ブログにて紹介しました。この記事は予想の斜め上をいく反響があり、調子に乗ったブログ主が現時点で蒐集したエピソードを掲載します。ちなみに沖縄ヤクザの歴史に興味を持った理由はただひとつ、以前にも指摘しましたが大日本帝国時代にはアウトローを束ねる組織がなかったからです。
「喜舎場朝信を救う会」について調べてみたよ
先日(4月29日)に公開した記事、“沖縄ヤクザ関連の蒐集したエピソードを適当にならべてみた”がブログ主の予想の斜め上を行く反響でしたので、今回も調子に乗って沖縄ヤクザ関連の記事を掲載します。前回の記事において(個人的に)一番衝撃だったエピソードに、昭和38年2月に「喜舎場朝信を救う会」が開催された件がありますが、実際に当時の新聞を調べたところ本当にあったので、今回は書き写し分を掲載します。(注、月間沖縄では開催日が2月13日とあるが、琉球新報では2月14日午後3時となっています。開催場所がコザ市照屋の区民館(公民館)であることは一致。)
沖縄ヤクザ関連の蒐集したエピソードを適当にならべてみた
唐突ですが、今回は沖縄ヤクザ関連のネタを適当に並べてみました。実は琉球王国および戦前の沖縄には現代のようなヤクザ組織はありませんでした。沖縄戦後、アメリカ世になって初めてアンダーグラウンドの世界を仕切る反社会的な集団が誕生します。この点は琉球・沖縄の歴史を語る上で重要なので、ブログ主は不定期ですが当時の新聞などを確認して情報を収集しています。大雑把にいって昭和27(1952)年から昭和42(1967)年ごろまでのエピソードを思いつくまでに並べてみました。是非ご参照ください。
※令和05年01月28日、サイト内整理に伴い、一部加筆・修正済。訂正を加えた分は青地で表記しています。