史料

ソ連の裏と表 ⑵ – 陰の声…第二の農奴制 – 極右と極左は同じ結末

(二)ソ連とは ソ連正しくはソビエット社会主義共和國連邦ということである。ロシア共和國、ウクライナ共和國、白ロシア共和國、ウズベック共和國、カザフ共和國、グルジャ共和國、アゼルバイジャン共和國、リトワニア共和國、モルダビア共和國、ラトビア共和國、キルギース共和國、タジック共和國、トルコメン共和國、アルメニア共和國、エストニア共和國、及びカルロヒン共和國の十六ヶ国からなる連邦である。

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久高島印象記 (4)- 又吉康和

 結婚 日本全國には結婚に關する奇が多からうが、我が久高島も亦その一つであらう。先づ婚約は男女幼い時兩方の親の勝手極めて置く、子供達の心中は始めから眼中にない。これからに現代離れして居る。

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華麗な郷土博物館 – 戦前の首里城北殿のお話

昭和11(1936)年6月の新聞切り抜き集をチェックしている際に、偶然ですが首里城関連の記事を見つけました。首里城正殿が沖縄神社の拝殿として利用されたのはよく知られていますが、北殿が郷土博物館として改修されていた事実は初めて知りました。

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久高島印象記 (3)- 又吉康和

 われ等は神の探し出す心持で此の憧憬の島に上陸した。此の島の住民は誰でもアマミキヨが島を造、白樽が開だと信じて居る。交通不便の爲め古い風俗慣が古の儘遺されてゐる。彼れ等は太陽は東の海より出て、西の丘の彼方に沒するものだと信じ、雨は龍が雲を集めて降らすものと信じて居る。草も木も神に依つて生じ、人間も犬も猫も神の使であると信じて居る。そこにはコロンブスの亞米利加發見もなく、ニユウトンの引力もなく、ダーウヰン進化論もない。地上の幸、不幸は總て神の喜怒哀樂に依つて支配されて居るものと信じて居る。

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久高島印象記 (2)- 又吉康和

 白樽一男二女を擧げた。長女於戸兼樽(オトカネタル)は女の職に任ぜられ山嶽の祭を司つた。長男眞仁牛(マニウシ?)は父の家統を繼ぎ、其の子孫繁昌した。(外間根人は其の後裔である)二女思樽(ウミタル)は巫女になつたが後玉城間切の巫女に擧げられて、城内に居た。其の天姿の艶麗と貞操律儀堅く、物腰の端正なること常人の及ぶ所でなかつたのでち評判となり終には國王に召され宮中に入り其の寵愛を受けた。

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久高島印象記 (1)- 又吉康和

 それは各間切に諸按司が城を築き、石垣を高くして兵火のえない昔のことであつた。玉城間切は百名村(今の玉城村字百名)に白樽と云ふ一人の若い男が居た。此の男は性質温厚篤実で、從つて親に孝友と交つて信、常に自分の良心に從つて惡を斥け善事を爲した爲め、間切内の人氣者であつた。それで領主玉城按司のお目がねに叶ひ、若按司鬼武能の姫の婿に選ばれて目出度夫婦となつた。白樽は世の幸を一身に集めた故に、他若者達から羨望の的となつた。

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彽徊趣味断片 – 此一篇を末原實一郎氏に捧ぐ –

今回は大正13(1924)年4月発行の『沖縄教育』から「彽徊趣味断片」と題した随筆を紹介します。筆者は当時編集長を務めていた又吉康和さんで、往年の首里郊外の景観が美しい文章で紹介されています。

原文はすこし読みにくいところがあったので、思い切ってブログ主が旧漢字を訂正しました。プラス”其の”や”尙ほ”などの現代では使わない用語もひらがなに変換することで原文のよさを損なうことなく、現代人にも読みやすい文章に編集しました。音読することをお勧めします。大正時代の知識人のレベルの高さを実感しつつ、当時の首里郊外の情景が目に浮かんでくる名文です。読者の皆さんぜひご参照ください。

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為政者の悪行は石碑に刻んで……

以前、ツイッターをチェックしている際に、11月13日付の沖縄タイムス社の阿部岳記者のツイートが目に留まりましたので全文を書き写します。

”尊敬する歴史家から「為政者の悪行は石碑に刻んで、100年、200年後の子どもたちに伝えるべきだ」という話を聞いた。”

この尊敬する歴史家が誰か記載はありませんが、ここはひとつブログ主が『球陽』を参照に為政者の悪行を紹介しますので読者のみなさん是非ご参照ください。

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【暫定】尚王家の悪行で打線を組んでみた。

今回はちょっと趣向を変えて、ブログ主独断で尚王家の悪行で打線を作成してみました。

昔、琉球王国時代のぐう畜エピソードで打線を組んだことありますが、王家限定でもハイレベルの悪行が確認できます。上位打線が鬼畜レベルで草も生えませんが、いまから紹介するエピソードは紛れもない史実です。今回は解説はなしで淡々と事例のみ紹介しますので、読者の皆さんぜひご参照ください。もちろん異論は認めます。

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黑い首里城

令和元(2019)年10月31日の首里城正殿および関連7棟の火災がキッカケで、ブログ主も改めて首里城関連の史料をいろいろチェックしようと思い立ちました。実は建築に関しては素人(プラスあまり興味がない)であることと、首里城に関しては語り尽され感があったので当ブログでもほとんど取り上げていませんが、今回改めて調べてみること思わぬことに気がつきましたので早速ですが纏めてみました。

首里城正殿は令和の火災を含めると5回焼失しています。1回目から3回目までは『球陽』の記載をまとめると、

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ありし日の首里城公園の様子

既にニュースなどで大々的に報道されていますが、10月31日に首里城公園内で、正殿をはじめ主要7棟が火災の被害にあいました。正殿と北殿は全焼とのこと、”復興の象徴”として再建に尽力してきた方々の思いを考えると心が痛みます。

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すごい写真が見つかったんだけど

先日、祖母の遺品整理中に「なんでこんな写真がうちにあるの???」という写真がいくつか見つかりましたので、その一部を掲載します。

戦前、戦後、復帰後、および外国、なぜか皇室の写真まで見つかったという驚きの内容です。大量の写真のなかのごく一部の写真を加工してアップしました。参考までに簡単な説明もつけましたので読者のみなさん是非ご参照ください。

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交通解消難にモノレール

今月1日に浦添市まで延長された沖縄都市モノレール(ゆいレール)に関して、同日の沖縄タイムス27面に仲本安一(なかもと・あいち)さんのインタビュー記事が掲載されました。

ゆいレールに関するエピソードでは必ず名前が出てくるのが高良一(たから・はじめ)さん、平良良松(たいら・りょうしょう)元那覇市長、そして西銘順治元県知事あたりですが、参考までに10月1日の沖縄タイムスの記事一部を書き写しました。読者のみなさん是非ご参照ください。

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おかあさんありがとう – 「母の日」の入選作文と図画

1964年5月8日付琉球新報に「おかあさんありがとう」と題した母の日図画作文コンクールの記事が掲載されていました。琉球新報とデパート・リウボウとの共同企画で全琉の小学生からおかあさんへの感謝の気持ちを表す図画と作文を募り、特賞、一等などの入選者はその作品が掲載されていました。

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