ロメオが帰国してからもう2カ年になる……。
まるで熱病にかかったように抱きしめて愛をささやいてくれて5年前の彼、バクチに負けて1カ月の給料の大半をなくしてしよげていた彼、子供ができてからの冷たかった彼、それでも帰国する時は泣いて再会を誓い合った悲しみ……愛憎を超えて、過去の想い出の1コマ1コマが脳裏をよぎる。
ロメオが帰国してからもう2カ年になる……。
まるで熱病にかかったように抱きしめて愛をささやいてくれて5年前の彼、バクチに負けて1カ月の給料の大半をなくしてしよげていた彼、子供ができてからの冷たかった彼、それでも帰国する時は泣いて再会を誓い合った悲しみ……愛憎を超えて、過去の想い出の1コマ1コマが脳裏をよぎる。
◎…夜のとばりが下りはじめ、街にネオンが灯るころ真赤な唇と白い顔の妖女たちがどこからともなく現れる。そこはコザの特殊地帯A通り。B子はこの通りの奥に住んでいる。女教員風な感じのするズングリした女である。彼女(仮にB子としておこう)は他の女に比べて決して悪どい客引きをする女ではない。ただ男の近づくのを待っている。他の女からは離れて壁にヤモリのようにくっついて…。取締りの警官をケイカイしているのだろう。この商売も楽ではなさそうだ。
昭和32年(1957年)9月13日から全20回にわたって琉球新報で掲載された “基地の街エレジー” のまとめ・解説ページを作成しました。理由は、当時の時代背景をある程度説明しておかないと、記事内容を理解できないのではと考えたからです。
基地も街だからって米人相手のバァーやキャバレーばかりがあるわけではない。コザ十字路の北方に吉原という一画がある(正確にいうと美里村吉原区)。センターや、八重島、島袋、諸見などが11時で1日の仕事に終りをつげ、大戸を下すころ、こゝ吉原の街はようやく目をさます。中部の客だけでなく、遠く那覇から宴会帰りの客が押しかけ中々の繁昌ぶり。酔客が千鳥足で窓々の娘達を冷かす中、夜は更けてくる。
夜更けの街角、詩になるようなこの言葉も中部の街で拾うと、面白い、おかしい悲しいエピソードの数々となってくりひろげられる。一言に基地の街とはいっても、そこに住んでいるのはやっぱり私たちの仲間だ。昼働く仲間、夜働く仲間、あすのために働く仲間の奏でる「基地の街・エレジー」にしばし耳をかたむけてみよう。
裏通りのオデン屋……その名はゆき子(26)。コクハイのグラスを右手にドロンとした赤い眼を向け、しんみりとした口調で訴えるように、あざけるように長々と語る。
私にだって青春が……短い青春だったが……あったんだ。中学を卒えた年、すぐ軍の洗濯女になり、小さい体で一生懸命働いたよ。
以前に当ブログで尚衛(しょう・まもる)氏の論説全文を紹介しましたが、今回はブログ主なりの解説記事をアップします。令和4年1月1日付八重山日報 – 沖縄本島版 – に掲載された尚家当主の論文は、仲村覚さんのツイッター上で初めてその存在を確認しましたが、ブログ主的に2~3の気になる点を見つけましたので、そのあたりを中心にまとめてみました。
軍事力の強化を続ける中国への対応を念頭に、日米の軍事一体化が加速する中、県は基地が集中することによる沖縄の軍事的な脆弱さなどを対外的に発信し、分散化を求める戦略を立てている。それと同時に2022年度以降、アジア太平洋地域の国々へ働き掛け、協力関係を構築していく構えだ。
新年明けましておめでとうございます。今年は、沖縄県が日本に復帰して50周年という節目の年でございます。
50年前に祖国復帰の瞬間を沖縄で迎えた方も多いと思います。一方、大学進学や就職によって故郷沖縄を離れ、ニュースなどで沖縄が日本に復帰した瞬間をご覧になった方もいらっしゃると思います。
(続き)今回は “こども御開門” の後に有料区域内に入場し、現在進行中の “見せる復興” の様子を公開します。令和2年(2020)6月12日に入場した時に比べるとだいぶ様子が違っていましたので、その点を中心に編集しています。
令和4年元日、ブログ主は首里城公園を訪れて “見せる復興” の現場を見学しました。毎年恒例の新春イベントとプラスして現在の首里城公園(有料区域含む)の様子をアップしますが、写真の撮影枚数が予想以上に多くなったため、2度に分けて記事を掲載します。読者のみなさん、是非ご参照ください。
今回はブログ主から読者の皆さんへの “クリスマス・プレゼント” として(笑)、昭和47年5月1日付琉球新報夕刊3面に掲載されていたよど号赤軍派メンバー記者会見の記事を紹介します。
閑古鳥鳴くバー街 24日午後6時、吉原内の中間にあるT字型道路横のかっぽうが開店準備。売防法が実施される以前は遊び、酔い客でにぎわっていたが、最近では閑古鳥が鳴くといったしまつ。男3人、女2人の従業員が店先で雑談しながら客待ち。そばを仕入れにきた行商人が「景気はどうか」と聞いていたが、店の従業員は「ごらんの通りだ」とションボリ。
【コザ】「更生保護政策の裏付けのない売防法の実施は無意味だ」。花柳街として広く知られるコザ市、美里村にまたがる特殊婦人の町「吉原」からは何の保護措置も受けないまま夜の女たちが新しい生活を求めて毎日のように1人、2人と姿を消していく。一方管理売春業者は「転業の見通しはないし、女には逃げられるので全くお手あげだ」とボヤク。
◎朝鮮人は 白衣(麻○絹)を着、異様の帽子を戴き、何んとなく神代ゆきたる感あり。朝鮮鞋(=靴)又甚だ面白し。士族以上の女は頭より衣服を被(かぶ)り居れり、之又甚だ異様に感じぬ。始めて来たる日本人が遠望して「扨ても朝鮮は美人多き所よ」と思ひしに、よく見れば痘痕(朝鮮は痘痕の多き由)あとにて失敗せし話ありと〔云ふ〕。彼等は常に長き(三尺ばかり)烟管(えんかん=キセル)を持てり。あゝ之れ彼の国民をして懶情(らいだ)不活発となせし一原因か!
(続き)前の記事で廃藩置県以前の琉球社会には(一部の例外を除いて)結社の概念がなかったことを説明しましたが、今回は補足として女性たちの世界についても言及します。女性たちの世界の代表的なものに辻町、仲島、渡地(わたんじ)などの花街と那覇東町を代表とする市場があります。