前回記事において、琉球王国時代の田舎百姓の民家(再現)をアップしました。古代から20世紀初頭まで、百姓階級の民家の作りがほとんど変わってなく、しかも一定期間権力者によって強要されていたことは余り知られていません。この事実は現代の歴史家にとって余程都合が悪いのでしょうか、歴史書で大きく取り上げることはありません。
史料
資料 琉球王国時代の民家 その2
前回の記事において、琉球王国時代の百姓たちの民家について説明しました。では『おきなわ郷土村』にある王国時代への突撃レポートを開始します。
資料 琉球王国時代の民家 その1
今回は琉球王国時代の田舎百姓の民家について記事を掲載します。その前に当ブログを訪問される皆様にとって琉球・沖縄の民家のイメージはおそらく下図のような感じでしょうか?
資料 右翼とウヨク、左翼とサヨクを分かつもの
「右翼とウヨク、左翼とサヨクを分かつもの」関連の資料をまとめました。
・史記列伝 伯夷列伝 第一 君臣の義とは何かを明示した逸話で、幕末の尊王思想に多大な影響を与えます。
・拘幽操 山崎闇斎著 ブログ主の現在のレベルではまだ歯が立たないのですが、湯武革命論の否定とは何かを明示した内容です。
・闇斎の学問の特徴 少年日本史(平泉澄著)内の山崎闇斎(上)から抜粋 平泉澄教授の『少年日本史』の中でも山崎闇斎の項は傑作といっても過言ではありません。本当は全文を掲載したいのですが、今回はその一部を抜粋します。これだけでも崎門の学の本質が看破できます。
・靖献遺言:現代語訳 浅見安正著(他)明治44.6 刊行 言わずと知れた幕末のスーパーベストセラー。近代デジタルライブラリに現代語訳があったので、リンクを貼り付けします。
太田朝敷関連の史料
太田朝敷関連の史料まとめです。史料は随時追加します
※令和05(2023)年1月15日、ブログの大整理のため、当ページの誤字脱字の訂正、レイアウト変更、および資料を追加します。今回のチェックで興味深いのが、「おおた姓」の表記に関して、大正5(1916)と昭和12(1937)の資料では「大田」と表記されている点です。ちなみに、昭和5(1932)年に刊行された『沖縄県政五十年』では「太田」と名乗っているため、案外当時はどっちでも良かったのかもしれません。
ちなみに、旧漢字は読者の便を図るべく訂正済なので、原文は引用元リンク先でご確認いただけると幸いです。
台湾事件関連の史料
明治7年(1874)の台湾事件関連の史料まとめです。史料は随時追加します。
琉球新報ほか沖縄のマスメディア関連の資料
琉球新報ほか、沖縄のマスメディア関連の資料を掲載します。
※令和05(2023)年1月19日、一部記事を削除し、関連リンクを挿入しました。あと読者の弁を図るべく、記事レイアウトも変更済です。今後、沖縄マスメディア関連の資料は、新規の記事として当ブログにてアップするのでご了承ください。
公同会関連資料
現時点(2016年11月12日)で確認できた公同会関連資料です。新資料を入手しだい更新します。(アイキャッチ画像は脱清人、左端が琉球人(田名真宜)です)。