結婚を前提としない恋愛、一夫一婦制以外の性関係は考えられないといいましたが、たしかにこの国には絶対といっていいほど売春がないとのことでした。
復帰後(史料)
婦人の見た中国 ⑤ 結婚観
中国の結婚は「自由結婚」をもとにしている。
わざわざ「自由」を強調するのは、革命以前は人身売買的な結婚やいいなずけ結婚が少なくなかったからだと思います。しかし解放後は結婚観も大きく変容しています。
婦人の見た中国 ④ 物価とくらし
新中国は、旧政権が残した極度のインフレを克服し、八億もの人口の食糧を確保することを国策の一大目標として、国家では生産を発展させ、需要をみたすことに力を入れ、計画第一、価格第二の政策をうち出し、更に、工業を発展させ近代的な農業生産手段を大量に農村に提供する。農業と工業は、いわば車の両輪のように互いに依存し、促進し合う関係にある。この二つを同時に発展させるために、いわゆる「二本の足で歩く」という方針がうち出され、国民経済は回復し、インフレ状態をおさえることが出来たという。
婦人の見た中国 ③ 教育
教育には、その国の現状とその目指すところが最もよく表現されているといわれているが、プロ文革以後の中国では、思想第一、政治第二という階級教育の大原則をふまえた上で、基本的な教育方針を設定している。すなわち、徳育、知育、体育のいずれの面でも成長させ、社会主義的自覚をもつ教義を備えた勤労者に育てあげることである。教育はプロレタリア階級の政治に奉仕しなければならないという方針がとられ、中国全土で貫かれ教育革命が進行している。
婦人の見た中国 ② 衣生活
暮らしの基本である衣生活を見ると、驚くほど質素である。どこへ行ってもどんな偉い人でも、男女とも地味な上衣に紺かグレーのズボン、要するに人民服です。清潔ではあるがアイロンかけの後もなく、作業服などはTシャツをはじめつぎ当ての服も少なくありません。だからといって中国のデパートにカラフルなものがないのかといえば、日本と同様子供服や婦人服、種々なものがかざられています。
婦人の見た中国 – まとめページ
この度、ブログ主は50年ほど前の新聞史料を整理・収集している際に、極めて興味を覚えた記事を見つけましたので、当ブログにて全文を公開します。ただし、現代の沖縄県民には理解しにくい部分もあるかと思われるため、ブログ主なりに解説したまとめ記事も作成しました。
婦人の見た中国 ① 婦人の地位
お隣の中国との交流が年々盛んになっています。沖縄県の各界各層をもうらした「第三次訪中団(比嘉佑直団長)がこのほど帰国しました。
今年は「国際婦人年」とあってメンバーの半数は婦人にしてほしいとの中国側の要望で、婦連、県労協婦人部、日本婦人会議の代表はじめ、大学講師、舞踏家など九人の婦人代表が参加しました。働く婦人の代表として参加した県労協婦人部長の垣花静枝さんに、婦人の目で見た最近の中国について報告してもらいましょう。
恐怖の白い粉(10) 続・中毒患者
妻や子どもは父から逃げる 「ヘロインのある環境に近づかないことだ」‐“白い悪魔” のアリ地獄から死ぬ思いの辛苦をなめて、ようやく立ち直った元バンドマンのAさん(二五)はきっぱりと言い切った。彼は昨年八月ごろ好奇心からヘロインをうち始めた。日々深みにはまり、禁断状態に陥ると全身が気だるく、寝返ることさえ苦痛を覚えるほどになった。
恐怖の白い粉(9) 中毒患者 ㊤
80%は米軍人・軍属が占める 麻薬中毒者 – 。そのいまわしい幻覚のいきつくところには「死」と「犯罪」がまちうけている。“白い快楽のくすり” は人間を廃人に追いこむ。廃人に至る過程には、ヘロインに財産を吸い取られ、麻薬代を工面するために殺人すらいとわない凶悪犯罪の影がつきまとっている。麻薬のとりこになってしまうとおしまいだ。
恐怖の白い粉(8) 追跡捜査
警察 – 税関の合同捜査カラ振り 「宜野湾市普天間のアパートでヘロインの取引がある」– 。CIDからの情報だ。県警麻薬特捜隊の隊長・山城常茂警部は、小渡良勇警部補の第一班の出勤を指示した。指令を受けた小渡班は取引の舞台となる民間アパートの張り込みを昼から開始した。
取引は九月二十五日午後八時。同日午後七時三十分、小渡班は普天間署に集結した。沖縄地区税関の取締官の緊張した顔もみえる。県警と税関の合同捜査はまれだ。「きょうの家宅捜索は期待できる」張り込みを続けている捜査員からいい情報が舞い込む。那覇地裁から夕方に出た家宅捜索令状も届いた。あとはタイミングをみはからって踏み込むだけだ。
恐怖の白い粉(7) 甘い汁
一日三万六千円も麻薬代につぎ込む 「一日六千円(約十七㌦)– この男はそれだけかかっているんだ、ひどいもんだ中毒っていうヤツは…」とある捜査員が言う。「この麻薬天国・沖縄にあてはめて考えてごらんなさい。少なくとも米兵など外国人三千五百人、沖縄の人らが千人。合わせて四千五百人の中毒患者がいるんですよ。たいていの患者は五千四百円から六千円は使う。なかには一万円、一万五千円というのもいる。ひどいのは一日三万六千円だ。一週間は七日ですよ。七日。とてつもないでっかい数字にふくれあがりますよ」
恐怖の白い粉(6) 原産地とルート
タイ国、専売制度を設け売りさばく いわゆる「発見の時代」にヨーロッパ人がやってくるまで、東南アジアの人々は、アヘンを知らずにいた。アヘンが公然と流れるようになったのは十九世紀。それは、十八世紀にイギリスの「東インド会社」が中国にアヘンを持ち込んできたのが最初だという。アジア人にアヘンは膨大なもうけになることを教えたのは今世紀になってからといわれる。一九二〇年ごろになると、タイ政府がアヘンから吸い上げた利益は、国庫収入の十五 – 二〇%を占めたという。
恐怖の白い粉(5) 運び屋
現役女性軍人が重要な役割 麻薬を運ぶ方法は、直接人間が持ち運ぶのと、物だけを送るという方法があるのは前回で述べた。もっぱら人間に運ばせていた “沖縄マフィア” の場合はどうだったか – 。
“運び屋” ハリー・キャッシー(二六)は現役女性軍人である。彼女は “沖縄マフィア” の中でも重要な任務を背負っていた。県警では、春先に得たいくつかの有力な情報から “運び屋” の中心人物はキャッシーに間違いない – との確信を持った。それ以後八月十日に逮捕されるまで、まる五カ月間の追跡が昼夜を徹して行われたのである。張り込みにつぐ張り込みが根気強く続けられた。
恐怖の白い粉(4) 巧妙化する密輸手口
決して過去の手口を使わない 「麻薬を運び込む際、決して過去に使った手は二度と使わない。常に新手をあみ出している」と捜査員は真剣なまなざしをうかべて語る。麻薬Gメン、警察、税関の目が光り、取り締まりが強められていく中で、麻薬を運び込むのはかなりの危険が伴う。苦労して手に入れた麻薬。それを密輸入する寸前でみつかり、つかまってしまってはもとも子もない。犯罪者となるかどうかの接点で動き回っているのが “運び屋” である。それだけに密輸業者たちは、できる限りの知恵をふりしぼって、運ぶ方法を考える。
恐怖の白い粉(3)手から手へ
張り込み捜査員の目前で取引 二年前のことだった。日がサンサンと照り輝くある夏の午後のコザ市センター通り。「麻薬取り引きが行われる」 – との情報をキャッチした捜査陣は、取引予定場所を包囲する形でかれこれ一時間、息を殺して張り込みを続けていた。ある者は向かいの店内から、ある者は観光客を装って三人連れで刻一刻、その時を待った。