前回の記事において、「大里の下司の思い按司が節(1の29)」に登場したてるきみ(照君)とももとふみあかり(百踏揚)が同一人物である可能性について言及しました。参考までにてるきみ〔tirucimi:ティルチミ〕はてる(照)=太陽、きみ(君)=神なので、日神を意味します。
阿麻和利
ももとふみあかりの謎 その3
今回は “王族のふみあかり” について言及しますが、彼女に関しては巻六「首里大君、せんきみ、君がなし、百踏揚、君の辻のおもろ御双紙」の中にももとふみあかり(百踏揚)の名を冠したオモロが9つあることがよく知られています。
ところがブログ主が衝撃を受けたのが巻一「首里王府の御さうし」に掲載されていたオモロで、それによって従来の彼女のイメージが一変する事態となりました。そして彼女の名が登場するオモロをチェックして出た結論が、
ももとふみあかりの謎 その2
前回の記事において、ももとふみあかり(百踏揚)女神官は古りうきう時代に複数存在していた可能性について言及しました。そして同女神官と島尻地方との関わりについて考察していきますが、その前に王族以外の “ももとふみあがり” について言及します。
尚泰久王の謎
今回は、ももとふみあかりに関する人物として尚泰久王(1415~1460)の “謎” について考察します。彼は定説によると尚巴志(1372~1439)の五男で、越来の按司から第6代のりうきう国王に即位した人物です。そしてももとふみあかりの実父としても知られていますが、彼にはこれまで解せなかった謎があります。それは神號が2つあることです。
ももとふみあかりの謎 その1
今回から阿麻和利に絡み、数回にわたってももとふみあかり(百踏揚)について考察します。彼女は阿麻和利の正室として知られていますが、ブログ主が「おもろさうし」に登場するももとふみあかりを調べてみたところ、彼女ほどイメージが二転三転した存在はいません。
阿麻和利の謎 – 勝連按司(3)
今回は勝連按司に絡んで、通説の「阿麻和利」について言及しますが、ご存じの通り彼の出自については確定した定説はありません。ちなみに阿麻和利の出自が初めて公に明らかにされたのは、ブログ主が知る限り明治38(1905)年、琉球新報に掲載された「阿麻和利考」においてであり、偉大なる伊波普猷先生は「敵者である夏氏※」と断った上で彼の出自について紹介しています。
※参考までに夏氏とは大城賢雄を祖とする一族で、七代目が有名な湛水親方幸地賢忠(1623~1683)です。
阿麻和利の謎 – 勝連按司(2)
前回の記事において、ゑそにやすゑ(恵祖根屋末)について言及しました。もちろん勝連按司と関わりがある歴史用語なので説明したわけですが、それ以上に古代から16世紀におけるりうきう社会において、王や按司たちの権力の継承ルールが17世紀以降とは違うことを認識していただきたいからです。
阿麻和利の謎 – 勝連按司(1)
今回からは勝連城の城主こと按司〔?aNzi:ア”ンジ〕について言及しますが、その前に17世紀以前のりうきう社会において為政者たちから最も意識された「王」について説明します。
阿麻和利の謎 – 玉ノミウヂ御嶽
前回の記事において勝連城における最も重要な場所である「玉ノミウヂ御嶽」について言及しました。おもろさうしでは「たまのみうち(玉の御内)」と表記され、意訳すると「美しい御庭」になります。
阿麻和利の謎 – 肝高(2)
前回の記事にて、肝〔cimu:チム〕の原義について言及しました。「霊気」または「霊気が宿る」の意から転じて「心」になったのではと推測ましたが、ちなみに肝には「中心(もっとも重要な場所)」のニュアンスが含まれます。となると勝連城の中心はどこかについて考察する必要がありますが、その答えは現地を訪れたことですぐにわかりました。
阿麻和利の謎 – 番外編(3)
今回は番外編として謝名もい〔zanamee:ヂァナメー〕こと察度の伝説について考察します。今回取り上げるのは察度が勝連按司の娘を娶る物語ですが、ちなみにこの話の初見は羽地朝秀著「中山世鑑」です。つまり17世紀の意識高い為政者が、りうきうの伝説をどのように解釈していたかを知る貴重な内容と言えますが、先ずは物語の大意を紹介しますので是非ご参照下さい。
阿麻和利の謎 – 肝高(1)
今回は勝連の対語である「きむたか」について言及しますが、その前におもろさうしの対語表現について説明します。
おもろさうしでは対語が多数見受けられますが、これは「同じ言葉をくり返し使わない」という理にかなった文学表現です。ちなみにおもろそうしの対語表現は、最初に人名(あるいは地名)を唱え、別行で性質や特性を表記するケースが多く、たとえば首里森(首里城のこと)の対語は真玉森であり、意訳すると「美しい首里王城」になります。
阿麻和利の謎 – 勝連(2)
前回の記事で、かつれんの方言読み(カッチン)から、ブログ主なりに語源を考察してみましたが、実際に勝連城跡を訪れた際に、謎があっさり解けた感を覚えました。確かにあの場所は「古りうきうの住民たちにとって神の恵みを実感できるところ」で間違いないのです。
阿麻和利の謎 – 勝連(1)
今回から数回にわたって「勝連」の名称についてブログ主なりに考察します。というのも「おもろさうし」に登場する「かつれん」は二つの意味を含んでいることに気が付いて、強い興味を抱いたからです。
阿麻和利の謎 – 番外編(2)
前回の記事において、おもろさうし巻10「ありきゑとのおもろ御さうし」にあるりうきう開闢のオモロについて言及しましたが、今回は「中山世鑑」に掲載されている天地開闢物語との違いについて深堀します。