(続き)例えば、私たちのおじいちゃん、おばあちゃんの、そのまたおじいちゃん、おばあちゃんたちが味噌汁を食べてたという歴史があって、朝はパン食にするにしても、どうしてもゴーヤーチャンプルー(ニガウリの炒めもの)というものが沖縄にある、食べたことないけどあるんだというのはわかるわけです。こういう味噌汁の余韻というのがあるわけです。おかず、漬物というのがまだ残っているわけです。
川満勝弘(カッちゃん)
沖縄市史資料集・4 ロックとコザ(1994年版)に掲載された川満勝弘氏の証言全文をアップします。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その31
□音楽の現状とルーツ こういうアメリカの若者を相手にしているから、ロックをやっていると、アメリカでは音楽のどこを大事にしているということがすぐダイレクトに伝わるし、そういう基本的なものがわかってくると、こことこことここの三つを大事にすればだいたいのものは、あとは時間が経てばマスターできるものだというのがわかるんです。これを見失って枝葉だけのものを仕上げていっても、アメリカでは通用しないというのが実状です。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その30
(続き)また、むこうはまともな英語で沖縄へ来たんですが、私とつき合っている間にブロークンイングリッシュになってしまい、本人が気づかないということもあります。それで他の人から「おいマーク、おまえ、What kind English you speaking(おまえどんな英語を使っているの?)といわれたりするわけです。「Why? (どういうこと)」、「Your 〔language〕 is fany? You think so? (あなたの言葉は変だよ、そう思わないの)」という具合に、私と話したから、アメリカに帰っても、こうしてブロークンイングリッシュにしないと話せなくなった人がたくさんいます。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その29
□音楽への取り組み方 普通のミュージシャンは、あーしよう、こうしようと練習をやるんですけど、私の場合はやらなさすぎるんじゃないかな。私の場合は、なんかやっても無理というか、練習やったらその練習したものが崩れていくから、「あんたはもう練習しない方がいい」とみんなからいわれるんです。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その28
□中野サンプラザでコンサート これは東京でデビューするときの話です。
一九七七年八月にはじめて「中野サンプラザ」でデビューコンサートしたとき、蛇を食いちぎるバンド、ステージに女の人を上げてレイプするバンドとか、男のチンチンを切るバンドとか、鼻からタバコ、ビールいろいろ、とにかくたいへんだといって、ハードロックの超ハードロック、日本、東京上陸と週刊誌にも報道陣にもう騒がれ過ぎるくらい騒がれました。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その27
(続き)すると、マネージャーは「いや上がってる」と怒っているのです。それで私も機械を見て上がっていたので「私じゃない、彼(ミキサー)。彼にいってよ、僕にいわないで。何でいつも僕の顔を見ていうのあんた。僕が大きくしたわけじゃないよ、大きくしたのはあの人」というと、
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その26
□軍のブラックリストに載る 私たちがコンディショングリーンの時に、日比谷野外公会堂でコンサートをやったのは、復帰後じゃないですかね。
私はヤマト(本土)で考えられないようなことをやっているから、いろんなことやってきて覚えてないですよ。私は那覇市民会館や内地の日比谷(野外公会堂)での演奏はだめなんです。使用許可がおりないですよ。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その25
□コザ事件のとき コザ事件(一九七〇年一二月二〇日)が発生したときに、私は胡屋十字路の陸橋近くにあったアスターハウス(今のケンタッキーフライドチキン)で明け方までライブをやっていたので、気づかなかったんですよ。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その24
□冗談だけど、いたずらが好き 私は今独身ですけど、いたずらが好きですね。たとえばこういうこともやりました。
「今日バンドの練習がライブハウスであるから」
といったら、「ぜひ練習しているところを見たい」とかいう若い女性四、五人で来るとしますでしょ。これがまた、ただはやらんで何かいたずらを考えるわけです。
ロックとコザ(1994)番外編 - サウンドシティー回の検証記事
今回は “番外編” として、「ロックとコザ(1994)」の “番外編” として、川満勝弘さんの証言に対する検証記事をアップします。実は、川満さんに限らずオキナワン・ロックの面々の証言には時系列が曖昧な部分があって、整合性が取れないケースが散見されます。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その23
□ヘビのステージング 辺野古のステージでは、ハブでやっていたし、コザ方面ではアカマターとかニシキヘビでやっていましたよ。
人間には怖いという感覚がありますが、怖いというのや苦手なものというのには、けっこう私はむかっていくタイプなんですよ、私も怖いから。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その22
□エスカレートするステージ 私たちが客席にこの🐔を投げつけたりすることは、まだ簡単なことです。私たちは、ステージの上でセックスするんですよ。考えられませんよ、本当に。これは一度だけ、最初で最後ですけど、セックスというよりなんというか、アメリカ人の女性とすっぽんぽんになってステージの上で抱き合って、セックスまではしなくて、愛の戯れをやったことはあるわけです。その間演奏は泊めないで、ずっとそれにマッチしたアメリカの音楽をやるんです。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その21
(続き)そのころ、私たちは音楽ではもう勝っているので、これだけ米兵がいっぱい集まってきてもあんまり私たちに物を投げなくなっていましたが、そのだめ押しをしようというわけです。
でも、そのかわり自分たち同士ではテーブルをひっくり返したりして騒ぐので、そこで経営者は「静まれ」といってカウンターの後ろに置いてある空気銃を「バーン」と撃ったりするような、それぐらいの店でしたよ。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その20
□チビの加入と脱退 また(アメリカでレコーディングするとき)、紫のチビ(宮永英一さんのこと)が「カッちゃんアメリカ行くんだってな、僕も入れてくれ」といって来たんです。「アメリカに行って試してみたいよ。紫でも行けなかったしさ、紫解散してしまうし、コンディション二回目だろ、お願いカッちゃん、俺何でもやるから連れてってくれ」とチビがいうので、「おまえ本当にじゃエツーと仲良くしろよ」といったのに、
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その19
□Where’s Bank? (銀行はどこ) そうして、ロサンゼルスのオフィス街でようやく銀行を探し当てて入ったのはいいのですが、パジャマで黄色いサンダルを履いて米を買うつもりで出ていった奴らが、しかもカラジ(髪)もこんなしているヤナ・カーギー(長髪で変な風貌)ですから、警備員が入れてくれないわけです。
エディに「エツー、お前が銀行に行ってこい。ワッター(俺たち)二人で行ったらこいつ車持って逃げるよ。俺、ここで座っておくから、おまえ早く行ってドルに替えてこい」といわれてエツーが銀行に行ったんです。