安村ツル(旧姓久場ツル)

あの頃を語る 安村つる子女史の思出話 その2(原文)

學科は今と大した差はないが敎授方法や形式が今とは異つてゐまして餘程滑稽なのもありました。圖畫の時間などは今ぢや鉛筆クレオン水彩畫などもやつておりますが私の時代はら日本畫でして墨繪でした。疊の上に紙を敷きましてそれへ筆を運んでゐたものですよ。墨繪だと言ひますと今は日本全國どんな學校を搜しても年が年中筆で繪を畫かせてゐる學校はまあ無いのでせうね。音樂の時間もですね、今ぢや樂譜の符號でやつてゐますが私たちは123でしたが今でもこの123式はやつてゐますけどドレミでなくわたしたちはヒフミと發音してゐました。つた唱歌も國歌とか「金剛石をかずば」等でした。

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あの頃を語る 安村つる子女史の思出話 その1(原文)

安村つる子女史は今は亡き夫良公氏との間に四女を擧げ目下首里市金城町に居住され子妹の敎育に專念されつゝある首里第一小學校に奉職中なりしも今學期を機會に敎育界を勇退されることなつた。本縣最初の女敎員で女子敎育界の元老である。今仝女史を訪ふて當時の敎育况の輪廓や挿話を描いてみる。

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身分制度と和装

ここ数日、ブログ主はこれまで蒐集した史料をチェックしたところ、ふとしたことから琉球女性が和装した “本当の理由” について気が付きましたので、当ブログにて纏めてみました。

当ブログの読者であればご存じかもしれませんが、我が沖縄の歴史のおいて初めて和装した人物は “偉大なる” 安村つる子女史(1881~1943)です。外間米子監修『時代を彩った女たち』によると、彼女が明治32年(1899)に和装した理由を「当時「源平時代の古代服」といわれた琉装を、日琉同祖論の立場から和装に改めるべく(下略)」と記述してますが、実はこの説明は正確さを欠いているのです。

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ハジチ考

ここ数日、当ブログのアクセス数が異常な伸びを示していたので、Google Analytics を使ってその原因を探ってみました。どうやら令和元年8月26日の沖縄タイムス電子版の記事がきっかけで、当ブログの該当記事にアクセスが集中したようです。

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琉球・沖縄の歴史で文字が読めた最初の女性についての再考

以前、当ブログにて琉球・沖縄の歴史上で確認できる限り最初に文字が読めた女性について言及しました(琉球・沖縄の歴史上最も偉大な女性の思い出話)。今回は『琉球新報』あるいは『沖縄県史 – 資料16、女性史新聞資料明治編』を参考に、同時代に文字が読めたであろう女性について記事をまとめてみました。

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琉球・沖縄の歴史上最も偉大な女性の思い出話

先日ブログ主は沖縄県立図書館において、昭和7(1932)年に琉球新報に掲載された『あの頃を語る』の記事を閲覧中に、ずっと探していた安村つる子女史(1881~1943の思い出話を見つけることができました。安村つる子(旧姓久場ツル)さんは明治14(1881)年首里にうまれ、沖縄初の女性教員として首里尋常高等小学校に勤務、琉球・沖縄の歴史上初めて学業によって身を立てた女性です。実はそれだけではなく、安村女史は

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明治29年4月20日の女子講習科の入学試験

今回はブログ主が確認した限りですが、おそらく歴史上初の女子に対する選抜入試試験の内容を紹介します。

琉球・沖縄の歴史において女子が小学校へ入学したのは明治18(1885)年ですが、それから11年後の明治29(1896)年に女子講習科(速成の女子教員養成学校)の選抜入試試験が行われます。その内容が非常に興味深いので今回ブログで公開します。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 挿話

今回は、すこし横道にそれますが前回の記事に貼り付けしたアイキャッチ画像について説明します。撮影時期と場所は不明ですが明治時代から昭和にかけての女子学生の服装の変遷がハッキリわかる貴重な写真です。

写真は「那覇百年のあゆみ、那覇市企画部市史編集室、昭和55年刊行」から抜粋したもので、写真右から順に明治→大正→昭和の順になっています。「那覇市百年のあゆみ」の説明文を参考に女生徒の服装の移り変わりを説明します。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その13

前回ハジチの慣習が廃れた理由の一つに明治32(1899)年に施行された入墨禁止令がきっかけで沖縄県内からハジチセークが激減したことを挙げました。今回はもう一つの理由として女子教育の普及について述べます。

沖縄における女子教育は男性に比べるとだいぶ遅れてスタートします。ブログ主が確認できた最初の記録は明治19(1885)年に那覇市西町にあった師範学校付属小学校に女性徒3名が入学した件です。(那覇百年の歩み、那覇市企画部史編集室、昭和55年発行より確認)

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