太田朝敷

自由と平等の観念に対する誤解を憂うお話

いまさらブログ主が指摘するほどの案件ではありませんが、廃藩置県以前の琉球社会において “自由と平等” という観念は全くといっていいほど存在しませんでした。先日『太田朝敷選集』をチェックしている際に、そのことに触れた箇所を見つけましたので今回当ブログにて掲載します。(今回取り上げた史料の全文『琉球新報は何事を為したる乎』は後日当ブログにて掲載します)

※令和5(2023)年1月16日、アイキャッチ画像を変更ました。4年ほど前に調子に乗って書いた “作文” ですが、令和の今日でも「うちあたい」する輩が多いと感じるのは気のせいだと思いたいです。

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クシャミ発言は問題にするに足らず

最近ブログ主は10月14日の沖縄タイムスの記事に触発されて、尊敬する太田朝敷先生の史料を複数入手および当ブログにて一部掲載しました。同コラム執筆者の伊佐眞一さんは「それでも彼を語るときに、真っ先に出てくるのは、たぶん「クシャミ発言」でしょうか。クシャミまでヤマトゥンチューの真似をしろ、と高等女学校の開校式典で言ったものですから、のちのちまで多方面に拡がり、戦後の太田さんを一躍悪名高くした言説です(下略)。」と記載しておりますが、たしかに現代の沖縄では太田先生イコール「クシャミ発言」というレッテルが独り歩きしている感があります。

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女子教育と本縣 – その2

今回は明治33年7月5日付琉球新報2面に掲載された『女子教育と本県』の後半部を掲載します。太田朝敷先生のイメージを悪くした「クシャミ発言」はこの中に記載されていますが、演説全文を通してみますとそこまで大騒ぎする発言ではありません。「沖縄は差別されている」という観念をいったん頭に中から意識的に取り除いて通読することをお勧めします。後半部も前半と同様に現代文への翻訳と原文を併記しています。

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女子教育と本縣 – その1

今回は明治33(1900)年7月1日、沖縄高等女学校開校式における太田朝敷先生の演説『女子教育と本県』の全文を掲載します。正確には同年7月3日の琉球新報に掲載された前半部と、7月5日に掲載された後半部に分けています。琉球新報の原文は旧漢字かつ句読点がついていないため、試みにブログ主にて訂正した部分と、原文書き写しをアップしました。太田先生を語るうえで必ずと言っていいほど出てくる「クシャミ発言」は後半部にあります。まずは前半部をご参照ください。

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平成30(2018)年10月14日、沖縄タイムス29面

平成30年(2018)年10月14日の沖縄タイムスに掲載されていた太田朝敷関連のコラムを掲載します。著者の伊佐眞一さんは『太田朝敷選集』の編集者でもあり、それ故に当コラムも実に読み応えのある内容となっています。沖縄タイムス購読者が好みそうな内容でまとめ、なおかつ太田先生の経歴を上手に紹介しているあたりはさすがの一言でブログ主も大変参考になりました。全文を書き写しましたので、読者の皆さん是非ご参照ください。

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太田朝敷関連の史料

太田朝敷関連の史料まとめです。史料は随時追加します

※令和05(2023)年1月15日、ブログの大整理のため、当ページの誤字脱字の訂正、レイアウト変更、および資料を追加します。今回のチェックで興味深いのが、「おおた姓」の表記に関して、大正5(1916)と昭和12(1937)の資料では「大田」と表記されている点です。ちなみに、昭和5(1932)年に刊行された『沖縄県政五十年』では「太田」と名乗っているため、案外当時はどっちでも良かったのかもしれません。

ちなみに、旧漢字は読者の便を図るべく訂正済なので、原文は引用元リンク先でご確認いただけると幸いです。

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