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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 イスラム教が普及しなかったこと その2

イスラム教とは何ぞや?と問われると「預言者ムハンマドによって爆発的に布教したの教え」と回答して間違いないでしょう。神の教えはムハンマドの死後聖典として編纂され、アラビアのみならず西はアンダルス(スペイン)やアフリカ大陸、東はインドを経て東南アジアや中国大陸、フィリピンのミンダナオにまで広まります。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 プロローグ

ここまで調子に乗って琉球王国末期までの歴史の概要を記事にしました。近現代史は後日記載することにして、しばらく個人的に思う琉球・沖縄の歴史の謎について記載します。それは以下の通りです。

1.イスラム教がまったく普及しなかったこと。

2.男色の慣習がなかったこと。

3.近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと。

日本史や世界史を俯瞰して、個人的に気になる点を記事にしました。現時点で勉強不足の点は否めませんが琉球・沖縄の歴史を学ぶ上での参考にしていただくと大変ありがたいです。

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琉球・沖縄の歴史の概要その11

ここまでは調子に乗って1260年(正元2)から1872年(明治4)までの歴史を記載しました。1872年(明治5)以降の通史は後日記載するとして、ざっと目を通したところ過去の成功体験が結果として琉球の社会全体を疲弊の極に追いこんでしまった印象があります。

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琉球・沖縄の歴史の概要その10

斉彬くんの死後は島津家では久光くん*が実権を握ります。久光くんは斉彬くんの時代と違って諸外国のネットワークにはあまり関心を示しません。ただし薩摩藩内で銅の価格が高騰したことによる対策として尚泰くんに無慈悲な指令*を下してPCを破壊一歩手前までに追い込みます。

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琉球・沖縄の歴史の概要その9

1849年(嘉永2)に尚泰くん*が新しいPCユーザーになりますが、すでにPCはポンコツ1歩手前の状態でした。こんなときに登場したのがアメリカ合衆国のペリィのおっさん一味*です。尚泰くんに大して「新たに合衆国とのネットワークを敷設しろ」と無理難題を吹っかけます。

*尚泰(しょう・たい:1843~1902):尚円王統最後の琉球王。即位は1849年(嘉永2)で冊封は1866年(慶応元)。1872年(明治5)に明治天皇より琉球藩主に封じられます。

*マシュー・ペリー(1794~1858):アメリカ海軍の軍人。旗艦サスケハナ号など数隻の軍艦を率いて1853年(嘉永5)3月に琉球王国に来航。首里城訪問を果たします。

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琉球・沖縄の歴史の概要その8

18世紀前半になるとPCの動作はまたまた機能不全の一歩手前に陥ります。羽地の爺さんがせっかく精魂こめてアップグレードを施してもやはり時代の変化には対応できなかったのです。そこで満を持して蔡温先生が登場してOSのアップグレードを敢行します。

*蔡温(さいおん:1682~1761):那覇久米村出身。1392年に明国より帰化した中国人の末裔。時の国王である尚敬の信任厚く、1728年(享保13)に三司官に任命されて琉球国の建て直しに尽力する。当事としては異例の長寿であることも注目。

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琉球・沖縄の歴史の概要その7

さて、琉球に戻ってきた尚寧くんはPCユーザーとしての地位は確保されましたが、薩摩おいどんに配慮しながら操作せざるを得ない立場になります(下図参照)。

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*本来であれば尚寧くんは管理者としてPC利用できる立場です。ただし1609年(慶長14)の薩摩入りで管理者権限を剥奪され、標準ユーザーとしてPCを操作せざるを得なくなります。御国許(おくにもと)とは薩摩藩のことをさし、管理者としてPCにアクセスできる権限を獲得するも、実際の操作は尚寧くんが担当します。

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閑話 訴え続ければ何時かは願いが叶うなり その4

琉球・沖縄の歴史を俯瞰すると、1879年(明治12)以前には異様なまでにおとなしかった住民が1945年(昭和20)以降では激しい住民運動を展開するまで戦闘的になっていることには驚かざるをえません。そして島ぐるみ闘争や祖国復帰運動を展開することで大きな成果を勝ち取ります。

敗戦国民の悲哀を嘗め尽くした当時の沖縄の人に大きな自信と誇りを与えますが、その反面「訴え続ければ何時かは願いが叶うなり」というエートス(行動様式とそれを支える思考)を植えつけることになってしまったのです。

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閑話 訴え続ければ何時かは願いが叶うなり その3

ブログ主が知っている限りですが、1879年(明治12)までの琉球・沖縄の歴史において一揆は一度たりとも起こっていません。日本史、とくに室町中期から江戸時代末はでは一揆の時代と言っても過言ではないほど一揆が多発します。国人一揆、国一揆など一揆に関する用語も多彩です。

1879年(明治12)までの琉球の歴史には一揆はおろか住民暴動の痕跡が見当たりません。1650年に初めて編纂された通史「中山世鑑」をはじめ、他の史書にも記載が見当たらないのです。黒歴史として抹消したのでは?との仮説も成り立ちますが、琉球王国末期で社会が疲弊して村や間切の破産が社会問題になっているにも関わらず住民暴動が一件も確認できないのは腑に落ちません。

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閑話 訴え続ければ何時かは願いが叶うなり その2

アメリカ軍の占領行政を経験した世代のことをブログ主は戦後世代と呼びます。翁長雄志知事はまさにその世代で60~70代の世代が該当します。この時代の特徴の一つは住民運動が激しかったことです。きっかけはアメリカ軍による強制的な土地接収に対する反対運動ですが、やがて祖国復帰の運動に発展して1972年(昭和47)に日本国への復帰を勝ち取ります。

終戦直後のアメリカ兵たちが如何に横暴だったか、5月31日の沖縄タイムスにこのような記事が掲載されていましたので参考にしてください。

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閑話 訴え続ければ何時かは願いが叶うなり その1

今回は「元海兵隊員の米軍属による女性死体遺棄事件について思うこと」の記事を作成している時に気が付いた点を掲載します。以前に実現不可能な要求は結果として現状維持につながる旨を記載しましたが、沖縄県に於ける基地問題へのアプローチがまさにその通りで、日本国へ復帰して40年以上経過も解決には至っていません。

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閑話 元海兵隊員の米軍属による女性死体遺棄事件について思うこと 4

今回の事件では県外の方から「政治利用するな」との批判があります。ブログ主も沖縄県議会の抗議決議には不愉快な気持ちになったことは否めませんが、決議を採択した議員さんの気持ちは理解できるのです。県外の方に対して言いたいことは沖縄県民が抱える米軍人・軍属に対する本能的な恐怖心を理解して欲しいのです。

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閑話 元海兵隊員の米軍属による女性死体遺棄事件について思うこと 3

2016年5月26日の県議会の抗議決議の採択はまさに沖縄県民の米軍人・軍属に対する感情を露わにしたと言えます。意外かもしれませんが決議を採択した議員さんは何らかの下心があって今回の事件を政治利用するつもりは無いと断言できます。「米軍人・軍属がトラブる→出て行け!」の発想で行動しているだけです。それ故に今回の決議には賛成する県民のほうが多いに違いありません。特にアメリカ軍の占領行政を経験している世代はほとんど賛成するでしょう。

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