前回の記事で日清戦争後の結果、残念な日本人の態度に沖縄県人(とくに知識人たち)の顰蹙を買った件を掲載しました。もちろん内地人の目に余る態度は日清戦争前からもあったでしょうが、戦争の勝利に浮かれた一部日本人が調子に乗り過ぎたことは否定できません。
この後に沖縄一中ストライキや公同会事件という異常な事態が起こるのですが、いちいち説明するとすごく時間がかかるため、後日記事にします。当時の沖縄県人たちは内地人(他府県出身者)に対して一種の被差別感を持っていました。実はこの時初めて被差別意識から生じる劣等感を何とかしたいとの発想が生まれるのですが、当時の知識人たちは日本人になることで被差別意識を克服しようと考えます。
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前回の記事でちょっと情けない頑固党の士族たちの話をしましたが、彼らが明治政府に対して大々的な抗議活動ができなかったもう一つの理由があります。それは尚泰候(元国王尚泰)が東京に在住していたことです。
仮に沖縄社会において士族が大規模な反乱を起こした場合、結果として東京在住の尚泰候の身に危険が迫ることになります。おそらくこっちの理由のほうが大きかったのでしょう、結局頑固党の皆さんは大人しく日々を過ごすことになります。
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前回の記事は予想の斜め上を行く反響がありました。その記事は11月1日に掲載したのですが、公開済み10時間で、当ブログのアクセスランク2位を達成するという謎現象が発生しました。”投稿者の親川さんって一体何者” という突っ込みは取り敢えず置いといて、今回から少し真面目に琉球・沖縄の歴史における差別からの解放の概念について説明します。
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先日 Facebook をちら見していたときに気になる投稿がありました。日時を確認すると、10月19日、投稿者は親川志奈子さんで、この時点で彼女の経歴は寡聞にして知りませんでした。10月18日の高江における機動隊員の土人発言に対する投稿のようです。全文を書き写しましたので是非ご参照ください。。
*彼女が日本国からの独立を志向している件はあとから知りました。琉球民族独立総合研究学会の一員です。
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今回はなぜユタを信じるか(友寄隆静著、月間沖縄社)をベースに、ブログ主が当時の琉球新報に記載された記事もチェックして計4回の公判を掲載しました。
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前回の続きです。本件とは無関係ですが、息抜きにお笑いポーポーのカマド体操の動画をどうぞ。
https://youtu.be/I8fh5UIhU5A
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ここまで延々と1913年(大正2)のユタ裁判の公判記事を掲載しました。第3回公判で被告仲地カマドを拘留20日の刑に処す判決が下され一件落着と行きたいところですが、そこは往生際の悪いカマドさん、区役所の判決を不服として地方裁判所に控訴したため、当時の沖縄社会はまたまた大騒ぎになります。
本日から1913年3月17日行われた那覇地区地方裁判所での第二審公判の内容を掲載します。
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しばらくユタ裁判の記事のアップをサボっていましたが(汗)、今日から第3回公判の記事を再開します。 その前にこれまでの公判のあらすじを説明しますと 、
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前回の公判で城間ゴゼイさんの証言のよって仲地カマドさんはピンチに陥ります。ロールプレイングゲームに例えるとクリティカルヒットを食らった状態です。しかもそれだけではなく、第三回公判においてもう一人の主人公である具志堅マウシさん(49)が証人として出廷することで、カマドさんは絶体絶命の状態に追い込まれます。では具志堅マウシさんが殺る気満々で登場した1913年(大正2)3月4日に行われた第三回の公判の記事をアップします。
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今回は1913年(大正2)3月1日に行われた第二回の公判の全文をアップします。
証人城間ゴゼイの証言次第で運命が決まるユタ側では、かたずを呑んで待ち受けた。ゴゼイは、深く心に決するものがあるようで、判事の偽証罪についての注意にもキッパリ誓って訊問に応じた。
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前回までに記述した第一回の公判の内容をまとめると
仲地カマドさん
1.2月17日に具志堅マウシさん宅を訪問したことは認めるも、容疑内容については「覚えていません」。
2.自分はユタをする身分ではない。
3.祈祷は自分のために行うもので、他人に対して行ったことはない。
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1913年(大正2)2月27日の那覇区裁判所で行われた第一回の公判の続きです。
長野判事 被告が警察で自白したことによれば、東町の大火後、具志堅マウシ宅に行き、西、東町の人たちが上波之上、下波之上、及び天尊小堀に祈祷するという話があり、また泉崎の小娘が、人々に神の宣託を授けているということだが、自分の所にもこの間観音様が現れ、世界の宝は何と何かと質問されたので、自分は知らないと答えたら、神様は、世界の宝は火と水じゃ、世間の無知な者たちは、天に神があることは知っているが、知の神を知らない。地の神は、天の神より一層大切に拝むべきもので、人間の家も草木も、一切の作物も、すべて地の恵みで生まれているのである。然るに世人はそれを知らずに、今まで地の神をおろそかにしてきたのは不都合である。何時大難が起こるか知らないぞ、との御告げがあったというが、本当ですか?
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本日から1913年(大正2)2月27日より、計4回行われたユタ裁判について記述します。登場人物や時代背景などできる限り説明しつつ、友寄隆静氏の口語訳をベースに公判の全文を掲載します。
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前回の記事でユタについて取り上げました。ついでと言っては何ですが、今回の記事から近代においてユタの問題が社会的にクローズアップされた事件を取り上げます。
タイトルが何処かで聞いたことのあるもろパクリですが(笑)、琉球・沖縄の歴史において、現代の歴史教科書には記載がなくても社会的に反響を呼んだ事例は多くあります。現代人にこのまま忘れ去られるのも勿体ない面白い事件もありますので、この場を借りてブログ主が調子に乗って幾つか紹介します。
*追記、タイトルを変更しました。大日本帝国時代の出来事にまとめます。
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重要なことなので繰り返しますが、沖縄県民(とくに本島)は祖先を敬うことと崇めることの区別ができません。典型的な例がトートーメーの男系継承(長男)で、女系が継承すればご先祖さまがお怒りになるという観念は迷信以外何物でもありません*。
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