(続き)前回の記事で、「方言札」は同化政策に基づく権力側からの押しつけ等ではなく、日清・日露戦役の結果、高等教育機関の生徒たちから始まった件について言及しました。ちなみにブログ主が注目したのは、外間先生が方言札に絡んで「軍隊生活の場で、移民先において、住民に日本語(普通語)を駆使することのできないウチナーンチュの言葉の悩み」との “りうきう・おきなわ近代史の盲点” について証言した件です。
シリーズ
あいろむノート – 方言札(1)
既にご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、先月18日に放送されたバラエティー番組で沖縄出身の俳優さん(二階堂ふみ)が「方言禁止記者会見」に挑戦する企画が行なわれました。
トルコ風呂とりうきう
そういえば去年の今頃、ブログ主は沖縄市美里一丁目(旧吉原地区)を訪れ、昭和45年(1970)の地図と現在の区画を比較検討した上で、吉原地区における特殊婦人の「総数の推定」を試みたことがあります。ただしスナックやカフェーの数があまりにも多すぎるため、途中で作業を投げだしてしまいましたが、Aサインバーも含めて売春に従事している琉球住民(女性)が推定1万人近くの当時の新聞報道に強い説得力を覚えました。
令和06年がはじまった(らしい)
既にご存じかと思われますが、令和06年は元日と2日に大災害・大事件が起きてしまいました。事のあまりの重大さに被災に遭われた方に対し語る言葉を持ち合わせていないブログ主ですが、とりあえず騒然とした世の中の雰囲気が一通り落ち着くまで、当運営ブログにて「おクスリ」や「凶悪犯罪」などの不謹慎ネタ、あるいは今回の大災害に関する政治的な投稿は控える方針で記事を配信していく予定です。
オキナワンロックを超えた男たち
令和5年(2023)、当運営ブログではこれまでNG扱いだった “オキナワン・ロック” の記事を配信しました。「公開された史料のみを利用」との方針を堅持しつつ、ブログ主なりに考察してきましたが、その過程である人物たちの軌跡がオキナワン・ロックの歴史から不自然なまでに省かれている事実に気が付きました。
りうきうのシージャと “性風俗” とパワーワード
今月にはいってブログ主はこれまで蒐集した分と、新規入荷した史料を整理しています。時間に限りがあるため復帰前後の三面記事をチェックしていますが、米軍人・軍属の犯罪とりうきう住民のやらかしには明確な “違い” があることに気が付きました。
公式のやらかし
本日(12月24日)はご存じのとおりクリスマス・イブですが、当運営ブログでは数年前から “風俗関連” の記事をアップしています。ただし、今年はちょっと趣向を変えて、「公式のやらかし」のテーマで記事を作成しました。
実はこのネタを思いついたのは、今年8月に中央パークアベニューを散策した際に見つけた1枚の写真がキッカケです。そしてクリスマス前には複数の史料を仕入れることができましたが、今回は厳選した3つのネタを紹介します。ブログ主から読者へのささやかなクリスマスプレゼントを是非お愉しみください。
ついうっかりじわじわくる “神作文” を見つけてしまった件
以前、当ブログにて「おかあさんありがとう – 「母の日」の入選作文と図画」と題して、昭和39年(1964)5月8日付琉球新報に掲載された小学生の作文を紹介しました。その後、ブログ主はついうっかり、それを超える “神作文” を見つけましたので、(母の日ではありませんが)全文を紹介します。
あいろむノート – アメリカ世時代の犯罪統計を再チェックした結果
前回の記事で、「あいろむチェック」と題して復帰後の米軍人・軍属による犯罪発生件数について考察しましたが、その際に蒐集したデータを基に、今回はかつて公開した「我が沖縄社会の犯罪統計を調べてみた結果」のセルフ検証記事をアップします。
ちなみに、令和02年(2020)1月20日にアップした同記事は “現代の史料” を基にアメリカ世時代の犯罪発生率を算出しましたが、今回は琉球警察が編集した犯罪統計を利用して改めて犯罪発生率を算出しました。なお、参照した史料は以下の通りです。
ロックとコザ(1994)番外編 - サウンドシティー回の検証記事
今回は “番外編” として、「ロックとコザ(1994)」の “番外編” として、川満勝弘さんの証言に対する検証記事をアップします。実は、川満さんに限らずオキナワン・ロックの面々の証言には時系列が曖昧な部分があって、整合性が取れないケースが散見されます。
りうきうの “シージャ” たち
ここ数日、ブログ主は年末年始の恒例企画、「クリスマスには風俗記事」「三が日には沖縄ヤクザ記事」のネタさがしのため、手持ちの積み史料や沖縄県立図書館の新聞記事等をチェックしています。その過程で ” 突っ込まざるを得ない” 小ネタを多数ゲットしましたので、ひさびさに当ブログにて紹介します。
魂の叫びだけが愛と平和を勝ち取る(笑)
10月末から11月に入って、ブログ主はこれまで蒐集した “積み史料” の整理に追われています。そのためブログ更新も若干遅れ気味になってしまいましたが、たまった史料をチェックしている最中に「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」について気が付かされた件があり、試しに記事を作成しました。
学生運動とオキナワンロック
今月19日付沖縄タイムス23面に、「沖縄自立求め 一冊に / 元「沖青同」メンバー資料集発行」と題して、沖縄青年同盟の元メンバーたちが資料集を発刊した記事が掲載されていました。
LSDとオキナワ
今回は、世界のロックシーンに大きな影響を与えたと言われる「LSD(リゼルギン酸ジエチルアミド)」について言及します。もちろん、この “おクスリ” も当時のヒッピー文化とともに沖縄に上陸しており、それを裏付ける史料として、昭和45年(1970)4月25日付琉球新報朝刊07面によると「中部でLSD(幻覚剤)摘発 」と題した、LSDに関する初めての記事が掲載されていました。
ロックとコザと “証言”
(続き)前回の記事において、ロックと “おクスリ” について言及しました。ハッキリ言って70年代の音楽シーンではごくありふれた話なので、何をいまさらと思われる読者もいるかと思われますが、今回はオキナワン・ロックの重鎮たちの証言から当時の “おクスリ” とバンドマンとのかかわりについて言及します。