シリーズ

風呂文化と琉球

今回は琉球・沖縄の歴史における風呂文化について少し言及します。国王やその女官たちは別として、ブログ主は琉球・沖縄の歴史において”入浴”に関する記述が非常に少ないのが常に頭のなかにひっかかっていました。

衛生観念が皆無というわけではないのですが、それにしては入浴に言及する箇所が極めて見つけにくい。実はブログ主が最初に確認したのは河原田盛美著『琉球紀行』の一節です。全文を書き写しますのでご参照ください。

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義本王の墓

今回は『中山世鑑』に絡んだネタで、義本王の墓について言及します。今回わざわざ国頭村辺戸のお墓を訪れた理由のひとつに、「舜天王の墓の所在は確かではないが、義本王の墓は存在しているのは何故か?」の答えのヒントが隠されているのではと思いつき、つい調子に乗って辺戸までドライブしてきました。

その前に舜天王の墓について、笹森儀助さんの証言をご参考ください。

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突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 明治廣告編

今回の突っ込まざるを得ないシリーズは、明治時代の琉球新報に掲載されたじわじわくる広告を紹介します。明治33年(1900年)7月15日付で琉球新報は紙面を拡張しますが、実は17日付の2面で新聞広告についての論説を掲載しています。この論説は後日改めて紹介しますが、その内容は新聞広告は単に新聞社の利益のみならず、広告主や読者にも多大な利益になることを丁寧に説明しています。当時の琉球新報が如何に広告を重視していたかを伺わせる内容ですが、では実際にどのような広告が掲載されたのか気になるところです。

実際に当時の新聞をチェックすると大半は真面目な内容ですが、中には突っ込まざるを得ない広告もありましたので、今回はその中から選りすぐりの広告を抜粋しました。読者の皆さん是非ご参照ください。

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新聞と暦表記 – その2

以前「新聞と暦表記」と題した記事を配信しましたが、そのなかでブログ主は「大正時代の琉球新報を参照すると、ブログ主の手元にある25周年記念号(大正6年9月24日)の暦表記は元号で統一され、西暦も皇紀も表記されていません。いつから元号表記のみになったかは今のところ確認できませんが(中略)」と記述しましたが、やはり気になったので沖縄県立図書館に出向いてしらべてきました。

結論を先に申し上げますと、明治33年(1900年)7月15日の紙面から紙面上部の暦表記が元号に統一されていました。それと面白いことにこの日をもって琉球新報の題字が変更されて現在に至ってます。ためしに史料をコピーしてきましたので読者のみなさん是非ご参照ください。

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突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 大弦小弦

今回は平成31年4月7日付沖縄タイムス〈大弦小弦〉について言及します。まぁいろいろツッコミどころ満載の内容でしたが、要は普天間基地の辺野古移設反対運動をサポートする目的で執筆・掲載されたと見做して間違いありません。結論が決まっていて、それに合致する事柄をペタペタ貼り付けているので、どうしても文章に無理が生じます。しかも500字程度にまとめる制約がありますので、執筆者の苦労は察するに余りありますが、とりあえず全文を書き写しましたのでご参照ください。

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院外団と暴力

昭和37年(1962年)12月8日、琉球政府主席を指名するために開催された立法院の臨時議会において、琉球・沖縄の歴史に残る大騒動が起きました。大まかに説明すると、主席公選を主張する野党側(社会大衆党、社会党、人民党)が臨時議会における主席指名を阻止するために院外団(革新共闘会議、沖教祖など)を動員、そして彼等の一部(300人ぐらい)が立法院に乱入して与党議員を軟禁し最終的に琉球警察によって排除された事件です。

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不発弾の処理と自衛隊

今回も沖縄県と自衛隊に関する話題を提供します。昭和47年(1972年)に復帰した際の問題のひとつに不発弾処理があります。実はアメリカ世の時代(1945~1972)は沖縄戦の結果生じた大量の不発弾はアメリカ軍が処理しましたが、復帰後はアメリカ側が処理業務を断った経緯があります。この案件に関しては沖縄県と政府との交渉の結果、最終的に自衛隊が処理することで決着しました。その時の記事全文を書き写しましたので、読者のみなさん是非ご参照ください。

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突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 大正編

今回は突っ込まざるを得ない大正時代の事件を紹介します。大正2年(1913年)に県庁放火(1月18日)東町大火(2月11日)という歴史的な事件が発生し、それに関連して『琉球新報』の記事をチェックしていると目を疑うような内容のニュースを複数目の当たりにしました。その中から3つほど記事を紹介しますがブログ主判断で旧漢字を訂正し、必要に応じて句読点を配置しています。読者のみなさん、気合を入れてご参照ください。

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沖縄タイムス”創刊号”

今回は参考までに、昭和23年(1948年)7月1日付の沖縄タイムス創刊号1面の記事を紹介します。旧沖縄新報(大東亜戦争時の一県一紙統合政策によって誕生した新聞社)の社員が中心になり、そして米軍政府の発行許可を得て「沖縄タイムス」は誕生します。そのときの創刊号の記事を見ると、ブログ主からみて極めて興味深かったのが

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昭和あるある – 暴力追放宣言決議(全文)

昭和 51 年(1976 年)12 月 6日、暴力団上原組が那覇市安謝の曙町に”山口系大平組直系上原組”の看板を掲げたことで、地域住民および那覇市が大さわぎになった案件があります。第四次沖縄抗争のいきさつについての説明は割愛させていただきますが、同月 12 月 17 日の那覇市定例議会では、本会議冒頭にて「暴力追放宣言」を採択、同月 19 日には那覇市安謝で「暴力追放住民総決起大会」も開催され、その結果上原組は安謝から撤退せざるを得なくなりました。この件に関して 17 日付琉球新報から該当する記事を書き写しましたので、読者の皆さん是非ご参照ください。

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突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 戦果編

戦後から復帰前までの沖縄を舞台に「戦果アギヤー」をヒーローにした青春小説「宝島」が、沖縄県内で異例の大ヒットを飛ばしているようで、沖縄県立図書館にも貸出予約が殺到しているようです。

直木賞「宝島」、読めるのは3年後!? 沖縄県立図書館に予約殺到

残念ながらブログ主はまだこの小説を読んでいませんが、昭和 20 年から 27 年ごろにかけての”戦果”の実態についてはある程度把握してますので、今回蒐集した史料の一部を公開します。注意点として現代人にも読みやすいように記事の旧漢字は訂正し、必要に応じて句読点も追加しました。あと印刷つぶれの箇所は無理に推測はせず●で表記してます。ホントは怖い”戦果”のお話、読者のみなさんぜひご参照ください。

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突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – スポーツ編

平成30年(2018年)10月6日付の “Number Web” に “プロ野球選手の昔の風格が凄かった!衣笠祥雄の秘蔵写真とカメラマン秘話” と題したコラムが掲載されてましたが、その中の全日空ボーイング737機のタラップから降りてくる広島東洋カープの選手たちの写真を見たときに、ブログ主は最初絶句その後爆笑してしまいました。

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突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – ツミジュリの情夫狂い

気が付くと当ブログも今回で 600記事の配信となりました。平成28(2016)年5月19日から開始して2年余り、よくぞここまで続けることができたもんだとちょっと自分を褒めつつ、目標の 1000記事配信まで気合を入れて頑張ろうと決意を新たにした次第であります。

今回は600記事配信企画として、明治時代の鬼女のお話を紹介します。明治31(1898)年8月29日から3回にわたって琉球新報にて連載された『ツミジュリの情夫狂い』と題する物語で、現代の”鬼女速”に掲載されているような内容です。ただし現代ではあまり使われない用語が複数ありましたので、ブログ主でいくつか説明すると、

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突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – うるま新報編

今回の突っ込まざるを得ないシリーズは、昭和24年から25年にかけて『うるま新報』に掲載された記事をピックアップしました。沖縄戦後のドサクサで社会秩序が混乱していた時期らしく、じわじわくる事件が満載です。秀逸なのがタイトルの付け方で、この点は現代の記者よりも優れているのではと思います。読者のみなさん、ぜひご参照ください。

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突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 明治編

突っ込まざるを得ない記事シリーズも5回目になりますが、今回は明治時代の琉球新報から選りすぐり?の記事を掲載します。当時の新聞をチェックすると雑報として地域のニュースが報じられていて、これがなかなか面白く不覚にもブログ主ははまってしまいました。その中から無駄に文章がうまく、なおかつツッコミどころ満載の記事を書き写しましたので読者の皆さん是非ご参照ください。

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