今回は明治33(1900)年07月19日付琉球新報3面に掲載された “辻町ネタ” を紹介します。明治期の琉球新報を参照して印象的なのが、辻町に関する話題が不定期に掲載されていることです。それはつまり社会の関心が非常に高かったことの裏返しでもあります。
シリーズ
ことばに見る沖縄戦後史 ① – 26吉原
今回は琉球新報社編『ことばに見る沖縄戦後史 – パート1』から吉原の記事全文を掲載します。いまでこそすっかり寂れてしまいましたが、かつては沖縄を代表する特飲街として有名でした。
設立当時はあまりにも街が発展しすぎて犯罪が絶えず、しかも派出所も設置されていなかったため、山原派のこわいお兄さんたちが自警団として我が物顔で振舞っていました。ちなみに新城善史の自宅も吉原にあります。話がそれましたがアメリカ世時代の雰囲気が伝わる琉球新報社の吉原に関する記事を是非ご参照ください。
黑いりうきうルネサンスの時代
本日(6月18日)、ブログ主は巴志(=尚巴志)の足跡を調べるために『球陽』をチェック中、思いもよらぬ記述に遭遇しました。前に『蔡温時代の人民 – 1952年1月1日付琉球新報より』と題した記事を掲載し、蔡温が活躍した尚敬王(在位1713~1751)時代の暗黒面について言及しましたが、改めて『球陽』を読むと予想の斜め下を行く惨劇に背筋が凍る思いがしました。
ちなみに『球陽』は尚敬王あたりを境にして記述内容が素でエグくなります。参考までに Wikipedia の尚敬王の記述を参照すると、
大正9(1920)年から100年を経過して
我が琉球・沖縄の歴史において、大正9(1920)年は特別な年になります。今年で100周年を迎えますが、意外にもこの年に何が起こったかを知らない県民があまりにも多いのでブログ主が簡単に説明します。
大正9(1920)年の4月に明治41(1908)年から施行されていた島嶼町村制度(特別の地方自治制度の理解でかまいません)が改正され、その結果我が琉球・沖縄の歴史において、
沖縄の売春 – 私の見たその実態(3)
「しかし、売春禁止法ができたら、かえって売春を街頭に野放しにする結果となり、性病はもっとひどくひろがるのではないだろうか?」
キャラウェー高等弁務官が立法院に勧告した性病予防法改正と売春禁止法の立法に対して、当然予期される反対の声は、全世界の過去の実例から推測して「性病を野放しにする危険」である。良心的だが、売春の歴史と過去の諸事実に精通しているわけではない医師の間では、必ずこのような反対意見を述べる者が出てくるに違いない。
圍娼の情夫ぐるい(原文)- 2
明治31年9月3日付琉球新報3面
(つヾき)伊勢の海阿漕ケ浦に曳く網も度かさなれは顕はれにけり況んや人足繁き遊郭の中に於て如何に秘すれはとて隱せはとて惡事忽千里を馳せ何時か浮名の世間に漏れさる事ある可きかは左れはカマ眞榮里両人の密會は初の程は家内の人にのみ秘密として知られ両人に於ても亦た用心に用心を加へ餘所に漏さじとのみ勸めたれと
圍娼の情夫ぐるい(原文)- 1
明治31年8月29日付琉球新報3面
男ごヽろと秋の空と人はいへど尚それよりも變り易きは女の心ぞかし殊に一たび浮き川竹の流に身を沈めてし女の心はしも其定まり無こと恰も走馬燈の如く昨日の瀬は今日の淵と打替りて中々に油斷のならぬものとかや茲に那覇區字東渡地二百九十九番地に寄留して焼酎商を營める城間蒲と云へる平民あり當年四十八、九にして五十に近き班白の若年寄りなれど中々に壯者も及はぬ達者なりとの評判ある男なり
沖縄の売春 – 私の見たその実態(2)
「でも売春が禁止されたら性犯罪が増えて、堅気の娘たちが危険にさらされるのではないでしょうか?」
かなり知的な婦人でも、こういう心配に取りつかれている。
キャラウェイ高等弁務官は立法院(第二十三回定例議会)に送ったメッセージの中で、売春禁止法の立法を勧告している。行政府もまたそのための実態調査予算を計上した。売春禁止法の制定が問題になってくれば、かならず反対意見の中に「性犯罪増加の危険」がいわれてくるにちがいない。
沖縄の売春 – 私の見たその実態(1)
働く女子年少者保護育成週間が二十二日からはじまりました。対象は全流の各職場で働く年少者となっていますが、この「保護」からもれている万余の女性がいます。それはいわゆる赤線、青線地帯の女たちです。売春禁止法もなく、彼女たちの更正、福祉施設もないまま、売春が放任されている沖縄の現実……。しかし「必要悪」だからといって見て見ぬふりするわけにもいきません。働く女性の保護育成にちなんで、売春の実態と彼女たちの保護について、読売新聞那覇特派員中沢道明氏の寄稿を紹介しましょう。
かつて聖域が存在していたお話
以前ブログ主は、”我が沖縄社会の犯罪統計を調べてみた結果”の記事の中で
これを堕落と言わずして……
今月18日、県庁前の広場で1万枚のマスクを無料配布して現地を混乱に陥れた会社社長さん(68)についてですが、この案件について公開情報を調べたところ、実に面白いことが分かりました。
民意の証明
ブログ主が先日ツイッターをちら見していた際に、辺野古基地建設の賛否と琉球沖縄独立の賛否のアンケートを実施している投稿を見つけました。
投稿主の経歴に関しては寡聞にして存じませんが、当人は真面目にアンケート活動を行っているように見受けられましたので、現在の琉球独立の問題点についてブログ主もまた真面目に考えて所見を纏めてみました。その前にアンケート結果をシェアしますのでご参照ください。
乾いた笑いしか出てこない
最近ネットサーフィン中に偶然ではありますが、少し前の琉球新報社説が目に留まりました。その内容が(ブログ主からみて)失笑そのものでしたので、早速突っ込み記事を作成しました。
命どぅ宝とは
今回はちょっと意地悪いお話をします。我が沖縄において人口に膾炙した言葉に”命どぅ宝”があります。この語句は特に米軍基地反対運動などの反戦平和活動の分野で利用されますが、文字通り解釈すると「(なにはさておき)命こそ宝」になりましょうか。
ちなみにこの価値観を身をもって実践した人物が尚泰候(1843~1902)です。その一例を紹介しますので読者のみなさん是非ご参照ください。
沖縄の成人式 – 昭和54年以降番外編
(続き)これまで昭和54(1979)年から56(1981)年までの小禄地区における成人式関連の記事を掲載してきました。護憲反安保県民会議などの民主団体が中心となった反自衛隊闘争の裏面史になりますが、記事に目を通したあとに嫌な気分になった読者もいらっしゃるかもしれません。