今回は昭和37(1962)年3月の新聞記事より、じわじわくる事件(女性版)を紹介します。当時の記事を参照すると、少数ながらも目を疑うような女性のやらかし事件が散見されますが、やはりアメリカ世の時代は現代と違う部分があるなと痛感します。
シリーズ
突っ込まざるを得ない記事 / 修羅の邦
今回はブログ主が入手した新聞史料の一部から、突っ込まざるを得ない内容の記事をピックアップしました。アメリカ世時代の “カオス感” は現代人であるブログ主からみると驚きの一言ですが、”沖縄裏面史” が伺える内容でもありますから、いろいろ調べるのが意外に楽しくなります。
深淵を除いてしまった時
平成28(2016)年5月19日に当運営ブログは第一号記事を配信し、本日めでたく “893回目の記事” をアップすることになりました。これもひとえに読者様のお力添えとご支持の賜物であり、今後もご期待に添えるよう良質の記事を配信する所存であります。
普天間アンダーグラウンド
今回は昭和44年と46年のゼンリン地図を参考に、地元宜野湾の普天間地区の散策記事をアップします。前回の沖縄市照屋地区の散策で痛感したのですが、昭和44年のゼンリン地図が建物名の誤記が意外に多いため、今回は昭和46年および必要に応じて現代の地図も参照しました。
突っ込まざるを得ない記事 / 戦後カオス編
今回はちょっと趣向を変えて、沖縄戦直後の社会について言及します。うるま新報などのマスコミが終戦直後の沖縄社会をどのように報じたかについて興味を抱いたブログ主はためしに調べたところ、予想の斜め上を行くカオスぶりに衝撃を受けました。
連帯が崩壊するとき
以前に当ブログにて “突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 戦果編” のタイトルで沖縄戦後の “戦果アギャー” について言及しましたが、今回はその続編です。戦後沖縄におけるアシバーを語る上で戦果アギャーは避けて通れないため、試しに昭和20~21年ごろのうるま新報を調べたところ、予想のはるか上を行くエグい記事を見つけました。
ちゃーすが
さる12日に発覚した沖縄タイムス社員の持続化給付金の不正受給に関し、ブログ主は関連記事をチェックしている際に、偶然にもじわじわくる記事を見つけました。菅義偉氏の自民党総裁選出(14日)、及び内閣の発足(16日)に対し、沖縄タイムス側でも菅氏に対する記事を複数掲載していましたが、その中で異彩を放つ見出しの記事がありました。
子孫までたたります
先日ブログ主は、ひさびさに沖縄県立図書館に出向いて新聞史料をチェックしたところ、またまたじわじわくる記事を複数発見しました。昭和48年当時の社会面を中心にアシバー関連のニュースを検索したところ、同年6月だけで18記事も印刷して持ち帰る羽目になりました。復帰前後の昭和の時代のすごさを痛感しつつ、持ち帰った史料からブログ主が厳選した記事を紹介します。
旭琉会関連のやらかしは後日改めて紹介するとして、今回は昭和の沖縄の裏面を象徴する “風俗” に関する内容です。記事本文に一部どぎつい表現がありますが、このあたりに昭和の時代のおおらかさを感じます。読者の皆さん、気合を入れてご参照ください。
エロと泥棒と貴族
今回は、台風10号襲来のため “やーぐまい(家籠り)” せざるを得ないブログ主が暇つぶしがてら厳選した “じわじわくる” 記事を2本紹介します。
刃物を持たない運動
今回はアメリカ世時代の先輩たちのハイレベルなやらかしを紹介します。昭和40(1965)年4月19日に “凶器を追放しよう” とのスローガンで “刃物を持たない運動” が全琉一斉で始まった記事を見つけました。
同記事は同月16日に起った勝連村南風原、松島料亭街で起った殺人事件の記事をチェックした際に偶然見つけましたが、まず刃物を持たない運動自体がじわじわきます。松島料亭街の事件は後日紹介するとして、先ずは “刃物を持たない運動” の記事を紹介しまず。読者の皆さん是非ご参照ください。
琉球独立論の前提が崩れ去る日
平成28(2016)年5月にブログ運営を開始して以来、不定期ではありますが “琉球独立” に関する記事を複数発信してきました。改めて当時の記事を読んでみると言い尽くされてる感がありますが、独立論について最近気がついたことがありましたので記事にまとめてみました。
風なまぐさく
今回は昭和の沖縄の一コマとして、沖縄二中(現在の那覇高校)野球部のエピソードを紹介します。昭和49(1974)年10月26日付琉球新報8面に平良浩著『昔の野球裏話 / 昭和初期のころ』と題した連載記事がありましたが、そのなかからじわじわくるお話をピックアップしました。
カーハガリンドウ
昭和48(1973)年11月13日付琉球新報夕刊1面に “ユーモアを理解したい” と題したコラムが掲載されていました。ただし突っ込みどころ満載の内容ですので、全文書き写しにブログ主が解説を添えて紹介します。
在家のまま仏道の人となる
本日ブログ主は沖縄県立図書館にてとある事件関連の新聞記事をチェック中、偶然にもじわじわくる記事を発見しました。昭和48(1973)年11月14日付琉球新報夕刊3面に高名な作家の “得度式” に関する小さな記事が掲載されていましたが、ちなみにこのお方は令和2年においても存命でしかも現役で活動をされています。
アメリカ世時代の悲しい出来事
今月7日の普天間飛行場に端を発する在沖米軍の新型コロナウィルスのクラスター騒動ですが、17日の時点でも治まる様子がなく事態が収拾する気配が見えません。
今回の案件は誤解を恐れずにハッキリいうと “言語道断” と言わざるを得ません。だって在沖米軍の皆さんは沖縄県民のコロナウィルス対策を目の前で見ているんですよ。致命的なダメージを負うことを覚悟の上で自粛要請に従った業者も数多くいることを分かっているんです。そしてコロナ禍を最小限に抑えてきた流れでの今回のクラスター騒動でしょう。在沖米軍側にも言い分はあるでしょうか、さすがに今回は分が悪すぎます。