先日ブログ主は川瀬俊治著 『琉球独立は可能か』 を購入しました。金城実さんと松島泰勝氏の対談形式で果たして琉球独立が可能かどうかについて考察した著作です。この著書は全八章からなり、実はまだ第八章 (琉球連邦共和国を目指す)は読んでいませんが、面白いことを発見したので先に記事にします。
琉球独立論
続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 最後に
今までの記事で、現在の沖縄においてもしも独立するならば、どのような条件が必要か考察しました。おさらいすると、
・戦後世代が抱える被差別意識を超える、琉球独立のための新しいイデオロギーの作成。
・東アジアにおいて中国共産党が冷戦に勝利すること
になります。ハッキリ言って両方とも絶望的に無理ではありますが、実際に上記の2条件は必要不可欠です。その条件を満たすことができなければ、沖縄の独立は不可能と断言しても構いません。
続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 番外編5
現代の沖縄における独立論、あるいは自己決定権の議論は、ハッキリ言って「国会において普天間基地の辺野古移設反対、県外移設」に賛同する勢力が極めて小さい点に対するいらだちです。国会(特に衆議院)において多数派を確保できる可能性は極めて低いため、「いっそのこと独立して自分たちが多数派になっちゃえ」という次元の発想です。
もしも本当に独立したら、現在の日本の国体、すなわち「天皇陛下を中心とした国民共同体(天皇陛下の前では日本人は平等)」から離脱を意味します。これは革命を意味するのですが、果して独立や自己決定権を主張する面々はそこまでの認識があるか、極めて疑問に思わざるをえません。
続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 番外編4
前回の記事で、沖縄が独立するには2つの条件が必要であることを説明しました。今回は
・東アジアにおいて中国共産党が冷戦に勝利すること
について説明します。
続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 番外編3
前回の記事において、現在の沖縄県が独立するための必要条件として
・戦後世代が抱える被差別意識を超える、琉球独立のための新しいイデオロギーの作成。
・東アジアにおいて中国共産党が冷戦に勝利すること
の2点を挙げました。それぞれについて説明します。
続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 番外編2
平成29年(2017)現在において、沖縄県が日本から独立するチャンスはありません。理由は、前回の記事で説明した通り、日本への帰属が日米最強国の合意に基づいたものであること、現在の沖縄県民の大多数が本土復帰を良かったと思っているからです。
続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 番外編
前回までに、19世紀末の国際情勢と琉球藩の経済力では、王国として独立することは極めて難しい件を説明し続けました。では21世紀において沖縄県が独立して国家として運営できるかを(冷やかしではなくて)真面目に検討します。
とあるFacebookの投稿に対して思ったこと おまけ
とある Facebook シリーズの投稿に対して思ったことシリーズは前回で終了予定でしたが、本日書き忘れたことがあった件に気が付いたため、恥を忍んでおまけ記事を連載します。
このシリーズの記事を書くにあたって、琉球民族独立総合研究学会(ACSILs)の公式ホームページや、SNS投稿者である親川さんのツイッター等をチラ見しました。学会は発足して数年程度ですので、現時点では試行錯誤の段階かなという印象を受けました。(ただし言語に関しては本気のようです)
とあるFacebookの投稿に対して思ったこと その4
前回の記事で日清戦争後の結果、残念な日本人の態度に沖縄県人(とくに知識人たち)の顰蹙を買った件を掲載しました。もちろん内地人の目に余る態度は日清戦争前からもあったでしょうが、戦争の勝利に浮かれた一部日本人が調子に乗り過ぎたことは否定できません。
この後に沖縄一中ストライキや公同会事件という異常な事態が起こるのですが、いちいち説明するとすごく時間がかかるため、後日記事にします。当時の沖縄県人たちは内地人(他府県出身者)に対して一種の被差別感を持っていました。実はこの時初めて被差別意識から生じる劣等感を何とかしたいとの発想が生まれるのですが、当時の知識人たちは日本人になることで被差別意識を克服しようと考えます。
とあるFacebookの投稿に対して思ったこと その3
前回の記事でちょっと情けない頑固党の士族たちの話をしましたが、彼らが明治政府に対して大々的な抗議活動ができなかったもう一つの理由があります。それは尚泰候(元国王尚泰)が東京に在住していたことです。
仮に沖縄社会において士族が大規模な反乱を起こした場合、結果として東京在住の尚泰候の身に危険が迫ることになります。おそらくこっちの理由のほうが大きかったのでしょう、結局頑固党の皆さんは大人しく日々を過ごすことになります。
とあるFacebookの投稿に対して思ったこと その2
前回の記事は予想の斜め上を行く反響がありました。その記事は11月1日に掲載したのですが、公開済み10時間で、当ブログのアクセスランク2位を達成するという謎現象が発生しました。”投稿者の親川さんって一体何者” という突っ込みは取り敢えず置いといて、今回から少し真面目に琉球・沖縄の歴史における差別からの解放の概念について説明します。
とあるFacebookの投稿に対して思ったこと その1
先日 Facebook をちら見していたときに気になる投稿がありました。日時を確認すると、10月19日、投稿者は親川志奈子さんで、この時点で彼女の経歴は寡聞にして知りませんでした。10月18日の高江における機動隊員の土人発言に対する投稿のようです。全文を書き写しましたので是非ご参照ください。。
*彼女が日本国からの独立を志向している件はあとから知りました。琉球民族独立総合研究学会の一員です。
琉球独立論に対して常々思うこと その7
(続き)1972年(昭和47)に本土復帰を果たした後の世論調査では復帰してよかったと答えたのは5割程度でした。これが21世紀になると8割が復帰してよかったと回答しています。復帰後に日本政府および沖縄県庁が適切な政治運営を試みた結果ですが、沖縄県民が
琉球独立論に対して常々思うこと その6
(続き)琉球・沖縄の歴史において自治権の拡大運動は1件だけあります。1986年に頑固党*と開化党*の一部が主導して元琉球国王の尚泰を沖縄県知事に据えて自治権の拡大を目指す運動が起こります。これを公同会運動を呼びますが、この運動は明治政府に一喝されてあっという間に終息します。
琉球独立論に対して常々思うこと その5
(続き)では琉球独立論者や自治権拡大を唱える人は北朝鮮の工作員か?と問われると、ハッキリ言ってそんなことはありません。単に自分たちの都合のいいように主体思想を利用しただけで、現代のように北朝鮮のイメージが悪くなった場合は「市民からの提案」など別の言葉を使って独立あるいは自治権の拡大を唱えているだけです。その程度の人たちが仮に北朝鮮の手先として活動しても対して成果をあげることはできなかったのではと思いますね。