ご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、10月1日に緊急事態宣言が解除されたことに伴い、沖縄県立図書館の入館が再開され、ブログ主は早速ですが新ネタを入手するために図書館を訪ねてきました。
今回は本来であれば “修羅の邦りうきう – コザその1” の続編を予定していましたが、ブログ主の予想の斜め上を行くじわじわくるネタを仕入れてきましたので先に紹介します。3面記事好きの読者のみなさん、是非ご参照ください。
ご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、10月1日に緊急事態宣言が解除されたことに伴い、沖縄県立図書館の入館が再開され、ブログ主は早速ですが新ネタを入手するために図書館を訪ねてきました。
今回は本来であれば “修羅の邦りうきう – コザその1” の続編を予定していましたが、ブログ主の予想の斜め上を行くじわじわくるネタを仕入れてきましたので先に紹介します。3面記事好きの読者のみなさん、是非ご参照ください。
前回はユタとりうきうと題してブログ主なりにユタについて言及しました。既出ですが我が琉球・沖縄の歴史においてユタの存在を歴史的に解明し、その解決策を明示したのは伊波普猷先生が最初です。
大正2年(1913)3月11日から琉球新報に掲載された「ユタの歴史的研究」の〆の部分で、伊波先生はユタ対策について以下のように言及されております。
昨今の新型コロナウィルス感染症対策に絡んで沖縄県立図書館が休館中のため、残念ながら新ネタをゲットできないブログ主は、暇つぶしにこれまで蒐集した新聞記事を再チェックしたところ、予想通り素でエグい内容の記事を多数発見しました。
少し前に当ブログで “りうきうにおける神権政治” についての記事をアップしましたが、今回はそのついでにりうきう社会におけるユタについて言及します。
その前にブログ主なりにユタを定義すると、大雑把には “民間から自然発生した神に操られる者たち” で、この点が重要ですが彼ら(あるいは彼女らは)琉球王国時代の神女組織とは(原則として)独立した存在だったのです。参考までにりうきう社会の神女組織について、伊波普猷著『ユタの歴史的研究』を参考にまとめてみると、
(続き)前の記事で廃藩置県以前の琉球社会には(一部の例外を除いて)結社の概念がなかったことを説明しましたが、今回は補足として女性たちの世界についても言及します。女性たちの世界の代表的なものに辻町、仲島、渡地(わたんじ)などの花街と那覇東町を代表とする市場があります。
(続き)琉球・沖縄の歴史を俯瞰すると、意外に思われるかもしれませんが、廃藩置県以前のりうきう社会には “結社の概念” を(もちろんゼロではありませんが)見つけることが非常に難しいです。その前に結社について定義すると “目的を達成するために結成された機能集団” のことであり、成立のために条件として
今回から数回にわたって古琉球から戦前の琉球・沖縄社会にヤクザが存在しなかったかをまじめに考察します。ご存じのとおり、琉球・沖縄の歴史において反社会的勢力が階級を作り上げたのは昭和20年(1945)以降で、それ以前の社会ではヤクザが存在する余地はありませんでした。沖縄社会にヤクザが存在しなかったことに関して、以前当ブログでも取り上げましたが、宮城嗣吉(みやぎ・しきち)さんの証言を再掲載しますのでご参照ください。
今回は昭和50(1975)年7月17日に起こった “ひめゆりの塔” 事件に対する沖縄二紙の取り扱いの違いについて言及します。この事件は “コザ暴動” と “沖縄ゼネスト警官殺傷事件” と比べてみるとよくわかりますが、民間の反応が全然ちがうのです。
昭和50(1975)年7月17日に起こった “ひめゆりの塔事件” に関して、当時の新聞をチェックすると極めて香ばしいコメントが見つかりました。事件概要について今回は詳細な説明を割愛しますが、この事件に関して当時の沖縄県民は総じて “暴力で訴えるのはよくない” と批判的に受け止めています。
基地の街の話題といえば、コザの外人車、焼きうち事件でもちきりである。積年の米政策に対する怒りが爆発したのだ!というのが一般の世論?と受けとられがちだが、声なき声どころか、これはマスコミのつくりだした風潮だと嘆く人々の多いことを知るべきである。
今回もまじめにコザ暴動の歴史的教訓について言及します。参考までに事件当時(昭和45年)のコザ暴動に対する琉球住民の評価は “事件の責任は米軍側にあり、起こるべくして起こった” で一致しています。
“「建前」は必要なものだ。誰の中にも潜む差別、怒り、ねたみを「本音だから」とそのままぶちまければ、やがて暴力が社会を破壊する。トランプ氏の「本音トーク」4年間の帰結を見れば、はっきりしている。”
昭和45(1970)年12月20日に発生したコザ暴動のまとめページを作成しました。おそらく琉球・沖縄の歴史において “語り継ぎたい歴史” のひとつかと思われますが、当運営ブログでは事件を “美化することなく” 当時の新聞など史料を参考に記事を作成してきました。
今回は昭和45(1970)年12月21付琉球新報に掲載されたコザ暴動の “ドキュメント” 全文を紹介します。ドキュメント記事に関しては同日発行の沖縄タイムスにも掲載されていましたが、複数の史料を参照の上、琉球新報の記事がもっとも真実を伝えている内容と判断しました。
今回は昭和45(1970)年12月20日付、および同月21日付琉球新報のコザ暴動に関する記事を紹介します。この事件のすごさは新聞記事にも反映されて、コザ暴動が発生したのが20日午前2時ごろですが、なんと当日朝刊13面に事件の一報が掲載されているのです。