(続き)前回の記事において、ロックと “おクスリ” について言及しました。ハッキリ言って70年代の音楽シーンではごくありふれた話なので、何をいまさらと思われる読者もいるかと思われますが、今回はオキナワン・ロックの重鎮たちの証言から当時の “おクスリ” とバンドマンとのかかわりについて言及します。
現代史いろいろ
辺野古訴訟 県敗訴の考察
既にご存じの読者もいらっしゃると思われますが、普天間基地の名護市辺野古移設に関して、県が国を訴えている「是正の指示」訴訟は、最高裁第一小法廷は4日、是正指示を適法とした福岡高裁那覇支部の判決を維持し、県の上告を棄却しました。
ロックとコザと “おクスリ”
ご存じの読者もいらっしゃると思われますが、これまで当運営ブログでは「オキナワン・ロック」はNG扱いでした。理由は複数ありますが、その一つに(すでに言及してますが)公開史料の乏しさがあります。80年代中盤以降からインタビューやドキュメンタリーを中心に、オキナワン・ロックの史料が散見されるようになりますが、それを裏付ける彼らの全盛期、すなわち昭和40年(1965)から昭和52年(1977)までの史料がなかなか見つけられないのです。
オキナワンロックと “後継者”
当運営ブログは、今年で7年目を迎えましたが、実は近現代の大衆文化(風俗等含む)は積極的に取り上げて来たブログ主が、長年オキナワン・ロックには手を付ける気になりませんでした。
オキナワンロックの “最期”
すでにご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、沖縄アリーナにて絶賛開催中のFIBAバスケットボール・ワールドカップにおいて、日本代表はグループステージ1次ラウンド(27日)でフィンランド代表相手に大金星をあげました。
オキナワンロックの “黄昏”
すでにご存じのことかと思われますが、本日(25日)からFIBAバスケットボールワールドカップ2023の1次ラウンドが沖縄で開幕します。なお、この大会を契機に沖縄市は琉球ゴールデンキングスの本拠地としての認知度を世界中にアピールする機会を得たわけであり、ブログ主は大会が無事成功することを祈ってやみません。
お、おう……
本日ブログ主は、台風6号の影響で自宅に缶詰め状態のため、これまで蒐集した史料をチェックしたところ、OneNote に保存していた風俗関連の史料が同期エラーで全滅している件に気が付きました。
売春宿エレジー 食う者は食われる
緊張のせいか被告人新里幸子(四十二歳)=仮名=の顔は青ざめている。左手に花柄のハンカチを強く握りしめ、判決宣告に対する不安に耐えている様子である。新里の罪名は売春防止法違反。新里の経営する小料理店「小菊」=仮名=において、売春婦二人が多数回にわたって不特定の遊客らを相手方として売春するに際し、その情を知りながら、「小菊」の客室を売春婦らに使用せしめ、もって売春を行う場所を提供したというのが公訴事実である。
ある有名な野球選手の兄弟がいまして
ご存じのとおり当運営ブログでは、今年の4月21日から「ロックとコザ」の川満勝弘編(愛称:カッちゃん)を不定期連載しています。ただし、カッちゃんの証言は時系列があいまいなところがあるので、これまた不定期ながら沖縄県立図書館に出向いて、裏付け史料を集めています。その際についうっかり沖縄ヤクザなど複数のじわじわくる記事を発見したりするわけですが、今回は「ロックとコザ」の喜屋武幸雄編からきわめて興味深い証言と、その裏付け(らしい)史料を見つけましたので、(時効だからいいだろうと思いつつ)当ブログにて紹介します。
りうきうと北朝鮮
4年前になりますが、ブログ主は “学びの国…がぴったり” と題した記事を配信し、沖縄教職員組合の石川元平氏による朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)への訪問記事を紹介しました。
ロックとコザと “納税”
先月21日から「ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編」と題して、故川満勝弘さんの証言を写本し、当ブログにて公開していますが、その過程でいろいろな “気づき” があったので、試しに記事としてまとめてみました。
廃藩置県と琉球処分の考察 – その2
(続き)前回の記事にて、沖縄の復帰運動における、一部沖縄県民のやり場のない怒りが、明治12(1879)年の廃藩置県に対する歴史認識に大きな影響を及ぼしている件についてブログ主なりに言及しました。今回は、この点についての補足説明を加えながら、「琉球処分」という用語がいかにマイナスイメージに染まっていったかを説明します。
廃藩置県と琉球処分の考察 – その1
今回は、前々回に公開した「県政百年の知事メッセージ(昭和54年)」に関連して、同時期の沖縄タイムスの記事と比較したところ、「県政百年」に関する認識の違いにじわじわきたので、試しに記事にまとめてみました。
県政百年の知事メッセージ(昭和54年)
本日は、(ブログ主的に)野球シーズンがひと段落したので、ブログネタになりそうな史料を探しに、ひさびさに沖縄県立図書館を訪れました。そういえば4月4日は、明治12(1879)年に廃藩置県が施行されて140年以上経っているなと思いつつ、試しに復帰後の関連記事をチェックしたところ、興味深い史料を発見しました。
今帰仁延子さんの考察 – その3
(続き)10代の経験が、後年に及ぼす影響についてはよく知られていますが、今帰仁さんも例にもれず、13歳から17歳までの4年間に受けた教育がその後の生きざまに決定的な影響を及ぼしたことは間違いありません。
その前に、彼女が如何に “特別な存在” であったかについて同級生の証言を紹介します。