現代史いろいろ

グロリア台風のお話

先月29日に非常に強い勢力で沖縄本島を通過した台風24号(チャーミー)は風害の凄さをまざまざと見せつける結果となりました。沖縄県民にとっての一番のダメージは広範囲で発生した停電で、ブログ主も今更ながら電気のありがたさを実感した次第であります。不幸中の幸いは現時点で死者が1人もいないことですが、これは沖縄社会のインフラ整備が万全である故の結果です。

今回は昭和24年(1949年)7月23日に沖縄本島を襲撃したグロリア台風について言及します。読者の皆さんぜひご参照下さい。

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2018年沖縄県知事選挙についての考察

先月30日に投開票された2018年沖縄県知事選挙は周知のとおり玉城デニー氏が佐喜眞淳候補に圧勝しました。すでにWebやSNSでは選挙に関する記事や書き込みが目立ちますが、ブログ主も調子に乗って今回の選挙結果の歴史的意義などについて言及します。ただしブログ主は選挙の素人のため勝因あるいは敗因について語る資格がありません。あくまで第三者の立場から見た所感になります。この点を考慮したうえで読者のみなさん是非ご参照ください。

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翁長知事の遺志を受け継ぐとは

以前、当ブログにて『琉球・沖縄における国防意識の変遷』と題して旧革新勢力の日米安保および在沖米軍に対する考え方について言及しました。これまで革新共闘会議(かくしんきょうとうかいぎ)は日米安保反対、在沖米軍の即時撤退のテーゼで国政および地方選挙を戦ってきましたが、その根拠の一つに「基地があるから沖縄は戦争に巻き込まれる」との発想があります。

以前は小室直樹著『ソビエト帝国の最期』からの一節を紹介して、彼らの安全保障に関する考え方を説明しました。小室博士の指摘は日本人の戦争に関する観念を上手に説明していますが、我が沖縄の場合はそれだけではありません。「日共の対琉要綱」も大きな役割を果たしていることが分りましたので今回当ブログにて言及します。

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短銃で射たれ重傷 – 壷屋、暴力団のヤミ打ちか

前回ひさびさに沖縄ヤクザ関連の記事を掲載しました(『縄張り”暁に死す”』)。予想通りアクセス数が凄かったので、今回も調子に乗って昭和 37(1962)年11月13日に発生した又吉世喜銃撃事件について言及します。この事件は本土から”ヒットマン”を派遣して銃撃という沖縄ヤクザ史上初の事件であることと、この後抗争事件で銃撃が多発する歴史的?な出来事になりました。今回は当時の新聞と警察関係者、および昭和38年3月号の『月間沖縄』からの資料を掲載します。是非ご参照ください。

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縄張り”暁に死す”

今回は当ブログ読者のみなさんお待ちかね?の沖縄ヤクザネタを掲載します。ブログ主の手元にある史料から、昭和36年11月号『月間沖縄』に掲載された西原飛行場における暴行事件について掲載します。その事件の概要は下記ご参照ください。

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とある有名な政治家の隠し子?のお話

9月13日付週刊文春に、今月30日予定されている沖縄県知事選挙に立候補する候補者2人に関する記事が掲載されていました。(沖縄知事選<与野党候補>「隠し子疑惑」を連続直撃)。真偽はともかく「作文」としてはなかなか面白いこの記事に対して、ブログ主は該当の候補者がどう振る舞うか非常に興味あります。

それと、この記事を読んだ際に、ブログ主はとある有名な政治家の「隠し子?」について思い出したので当ブログにて言及します。昭和38年(1963年)5月10日発行『月間沖縄』の中で仲宗根源和さんが『現代人物評伝』の記事のなかでこの政治家の隠し子?に触れていましたのでその部分を抜粋します。なお一部伏字ですが、おそらく賢明な読者の皆様なら誰のことかはうすうす察することができるはず、是非ご参照ください。

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革新共闘会議とオール沖縄会議との共通点について

Chobyo_Yara

今月30日投開票の沖縄知事選に関連して、ブログ主は沖縄における県知事選挙の原型ともいえる昭和43年(1968年)の琉球政府主席公選について調べてみました。この時の主席公選は前年(1967年)11月15日の佐藤・ジョンソン声明に対する是非を問う選挙になりました。その声明における沖縄返還に関する項目は下記を参照ください。

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アメリカ世を象徴する建築物

先日、松岡政保(まつおか・せいほ)氏の回顧録『波乱と激動の回想』を流し読みした際に、実に興味深い箇所を発見しました。それは同著343㌻から「歴代高等弁務官の思い出」について記している中で、琉球政府行政府ビルから米民政府が移転したエピソードを追記していることです。

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長嶺秋夫さんのいい話 – その2

今回も長嶺秋夫さんのいい話を掲載します。以前、当ブログにて『台湾および大陸の中国人との付き合いについての考察』という記事を配信しました。その中で長谷川慶太郎著『迷走する中国』からのエピソードを抜粋して、台湾および大陸の中国人との交際には事実に基づいた率直な態度が必要であることを明記しました。長嶺秋夫さんは複数回台湾を訪問していますが、彼も台湾の中国人と接する際に”率直さ”をもって対応しています。

台湾の中国人は我が沖縄のことを”琉球”と呼び、日本と琉球は別であると認識する傾向があります。長嶺さんはこの点について、「沖縄県民は、まぎれもない日本人であると同時に……」と明快に説明し、そのことが現地の人達からかえって好感をもって受け止められます。昭和40年(1965年)の話ですが、現在でも通用する内容ですので読者のみなさん、是非ご参照ください。

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長嶺秋夫さんのいい話 – その1

今回はアメリカ世の時代(1945~1972)における立法院(現在の沖縄県議会)の名議長として名を馳せた長嶺秋夫(ながみね・あきお)さんのいい話を掲載します。彼は昭和29年3月(1954年3月)に第2回立法院議員に当選して18年間立法院副議長および議長を歴任し、戦後沖縄の政治を語る上で欠かせない人物と言っても過言ではありません。

長嶺氏の自叙伝である『私の歩んだ道』(昭和60年刊行)はブログ主もよく参照しますが、その中に佐藤栄作首相のエピソードが記載されていました。該当部分を抜粋します。長嶺さんの短い証言から佐藤首相の沖縄に対する”格別な想い”を感じ取ることができます。

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【地元散策】宜野湾市喜友名(きゆな)の石獅子群巡りをしてきたお話

先日(6月18日)、唐突ではありますがブログ主は我が宜野湾市喜友名にある石獅子群をチェックしようと思い立ち、今回はそのときの散策記事を掲載します。

ちなみに平成27年(2015)に喜友名区自治会から発行された地元史『喜友名誌 ちゅんなー』によると、これら石獅子は「村落獅子」に分類、喜友名集落が碁盤型集落になったのは1737年以降のためおそらく18世紀ごろに作られたのではと記載があります。喜友名の石獅子に関する詳細な説明は後日史料として当ブログで掲載しますので、今回は先に7対のシーサーめぐりの記事をアップします。地元史好きの読者のみなさん、是非ご参照ください。

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【再考】 キャンプ・シュワブ誕生の経緯 – その4

今回は、“キャンプ・シュワブ誘致説”の根拠の一つでしょうか、平成4年(1992年)9月18日の沖縄タイムスに連載された『弁務官周辺の秘話 – ジョージ・サンキ語学将校の証言』の全文を抜粋します。読者のみなさん是非ご参照ください。

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小渡三郎さんのエピソード

唐突ですが、なんとなくゆるい記事を書きたいとの思いつきから、今回は小渡三郎(おど・さぶろう)さんのエピソードを掲載します。ちなみにこの人、追悼録を読むと打線が組めるほどエピソードが豊富ですが、今回はその中のひとつで昭和19(1944)年に海軍兵学校を受験するために鹿児島で起こした事件を紹介します。

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【再考】 キャンプ・シュワブ誕生の経緯 – その3

今回は昭和31年12月の土地接収に関する記事を掲載します。前述したとおり、昭和30年(1955)年の2度の接収予告では比嘉村長を始め久志村の地主は反対の立場でした。ただし3度目にあたる昭和31年12月20日の新規接収予告においては、「契約を前提」として話がすすみ、そして同月28日にスピード契約という異例の展開となります。

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