以前、ブログ主は琉球新報特集記事「婦人の見た中国」(全6回)の全文およびまとめページを当運営ブログにて公開しました。昭和のりうきう知識人のちうごく感が伺える貴重な内容ですが、ただし現代人から見ると “お花畑” に思えるのも無理はありません。
現代史いろいろ
昭和のたくましいおばーたち – 偉人編
前に紹介した、復帰後の国際通りの夜店で働く女性の記事が思いのほか好評を得ましたので、今回も調子に乗って昭和のたくましいオバーの記事を紹介します。昭和49年10月6日付琉球新報朝刊に、ある老人ホームの嘱託医の記事が掲載されていましたが、何とその医者の名は千原繁子さん(1898~1990)。ご存じの方もいらっしゃるかと思われますが、我が沖縄の歴史における初の「女医」として知られる偉人中の偉人です。
昭和のたくましいおばーたち(1)
今年は我が沖縄が本土復帰して52年目になりますが、ブログ主は試しに復帰後の沖縄社会の史料、特に新聞記事を重点的にチェックしてみたところ、非常に興味深い高齢者に関する記事を見つけました。
あいろむノート – 方言札(7)
(続き)6回にわたって掲載しました “あいろむノート – 方言札” シリーズも、今回のまとめを以て〆ますが、これまでの当ブログにおける説明にて「方言札」は日清・日露戦役後に新しい時代に適応すべく、教育現場から誕生した件についてご理解いただけたかと思われます。
あいろむノート – 方言札(6)
(続き)今回は、アメリカ世時代の教育現場における「方言札」の運用について、新崎盛暉(あらさき・もりてる)先生の証言を紹介します。戦後の方言札運用について、ブログ主も伝聞ベースでは知ってましたが、それでも新崎先生の証言内容には驚きを覚えましたので、証言全文を紹介します(以下証言)。
トルコ風呂とりうきう
そういえば去年の今頃、ブログ主は沖縄市美里一丁目(旧吉原地区)を訪れ、昭和45年(1970)の地図と現在の区画を比較検討した上で、吉原地区における特殊婦人の「総数の推定」を試みたことがあります。ただしスナックやカフェーの数があまりにも多すぎるため、途中で作業を投げだしてしまいましたが、Aサインバーも含めて売春に従事している琉球住民(女性)が推定1万人近くの当時の新聞報道に強い説得力を覚えました。
オキナワンロックを超えた男たち
令和5年(2023)、当運営ブログではこれまでNG扱いだった “オキナワン・ロック” の記事を配信しました。「公開された史料のみを利用」との方針を堅持しつつ、ブログ主なりに考察してきましたが、その過程である人物たちの軌跡がオキナワン・ロックの歴史から不自然なまでに省かれている事実に気が付きました。
りうきうのシージャと “性風俗” とパワーワード
今月にはいってブログ主はこれまで蒐集した分と、新規入荷した史料を整理しています。時間に限りがあるため復帰前後の三面記事をチェックしていますが、米軍人・軍属の犯罪とりうきう住民のやらかしには明確な “違い” があることに気が付きました。
公式のやらかし
本日(12月24日)はご存じのとおりクリスマス・イブですが、当運営ブログでは数年前から “風俗関連” の記事をアップしています。ただし、今年はちょっと趣向を変えて、「公式のやらかし」のテーマで記事を作成しました。
実はこのネタを思いついたのは、今年8月に中央パークアベニューを散策した際に見つけた1枚の写真がキッカケです。そしてクリスマス前には複数の史料を仕入れることができましたが、今回は厳選した3つのネタを紹介します。ブログ主から読者へのささやかなクリスマスプレゼントを是非お愉しみください。
ついうっかりじわじわくる “神作文” を見つけてしまった件
以前、当ブログにて「おかあさんありがとう – 「母の日」の入選作文と図画」と題して、昭和39年(1964)5月8日付琉球新報に掲載された小学生の作文を紹介しました。その後、ブログ主はついうっかり、それを超える “神作文” を見つけましたので、(母の日ではありませんが)全文を紹介します。
あいろむノート – アメリカ世時代の犯罪統計を再チェックした結果
前回の記事で、「あいろむチェック」と題して復帰後の米軍人・軍属による犯罪発生件数について考察しましたが、その際に蒐集したデータを基に、今回はかつて公開した「我が沖縄社会の犯罪統計を調べてみた結果」のセルフ検証記事をアップします。
ちなみに、令和02年(2020)1月20日にアップした同記事は “現代の史料” を基にアメリカ世時代の犯罪発生率を算出しましたが、今回は琉球警察が編集した犯罪統計を利用して改めて犯罪発生率を算出しました。なお、参照した史料は以下の通りです。
ロックとコザ(1994)番外編 - サウンドシティー回の検証記事
今回は “番外編” として、「ロックとコザ(1994)」の “番外編” として、川満勝弘さんの証言に対する検証記事をアップします。実は、川満さんに限らずオキナワン・ロックの面々の証言には時系列が曖昧な部分があって、整合性が取れないケースが散見されます。
魂の叫びだけが愛と平和を勝ち取る(笑)
10月末から11月に入って、ブログ主はこれまで蒐集した “積み史料” の整理に追われています。そのためブログ更新も若干遅れ気味になってしまいましたが、たまった史料をチェックしている最中に「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」について気が付かされた件があり、試しに記事を作成しました。
学生運動とオキナワンロック
今月19日付沖縄タイムス23面に、「沖縄自立求め 一冊に / 元「沖青同」メンバー資料集発行」と題して、沖縄青年同盟の元メンバーたちが資料集を発刊した記事が掲載されていました。
LSDとオキナワ
今回は、世界のロックシーンに大きな影響を与えたと言われる「LSD(リゼルギン酸ジエチルアミド)」について言及します。もちろん、この “おクスリ” も当時のヒッピー文化とともに沖縄に上陸しており、それを裏付ける史料として、昭和45年(1970)4月25日付琉球新報朝刊07面によると「中部でLSD(幻覚剤)摘発 」と題した、LSDに関する初めての記事が掲載されていました。