すでに当ブログに取り上げた案件ですが、伊波普猷先生の『古琉球』の論説 – 沖縄人の最大欠点 – についてブログ主が調子に乗って言及します。
ちなみにこの論説が『沖縄新聞』掲載されたのは明治42年(1909)2月21日であることを考慮の上で下記引用をご参照ください。
すでに当ブログに取り上げた案件ですが、伊波普猷先生の『古琉球』の論説 – 沖縄人の最大欠点 – についてブログ主が調子に乗って言及します。
ちなみにこの論説が『沖縄新聞』掲載されたのは明治42年(1909)2月21日であることを考慮の上で下記引用をご参照ください。
今回はちょっと真面目に我が沖縄県の学力低下の原因を歴史的に考察します。正直なところ現在のブログ主のレベルでは手にあまるテーマではありますが、歴史的にさかのぼって考察すると面白い仮説ができあがりましたので、この場を借りて紹介します。拙文ではありますが読者の皆さん是非ご参照ください。
その前に琉球藩時代の士族における学問の目的について言及します。明治8年(1875年)に来琉した河原田盛美(かわらだ・もりはる)氏の『琉球紀行』より、那覇士族の実態について言及している箇所を抜粋します。
今月14日の沖縄タイムス社会面(30)に『デマの訂正が必要』と題した記事が掲載されていました。内容は先の県知事選におけるネット上の誤情報に対する会合が開かれ、ジャーナリストの津田大介さんが講演したとのこと。さっそくですが該当記事の全文を抜粋しましたので、読者の皆さんぜひご参照ください。
先月30日に投開票された2018年沖縄県知事選挙は周知のとおり玉城デニー氏が佐喜眞淳候補に圧勝しました。すでにWebやSNSでは選挙に関する記事や書き込みが目立ちますが、ブログ主も調子に乗って今回の選挙結果の歴史的意義などについて言及します。ただしブログ主は選挙の素人のため勝因あるいは敗因について語る資格がありません。あくまで第三者の立場から見た所感になります。この点を考慮したうえで読者のみなさん是非ご参照ください。
以前、当ブログにて『琉球・沖縄における国防意識の変遷』と題して旧革新勢力の日米安保および在沖米軍に対する考え方について言及しました。これまで革新共闘会議(かくしんきょうとうかいぎ)は日米安保反対、在沖米軍の即時撤退のテーゼで国政および地方選挙を戦ってきましたが、その根拠の一つに「基地があるから沖縄は戦争に巻き込まれる」との発想があります。
以前は小室直樹著『ソビエト帝国の最期』からの一節を紹介して、彼らの安全保障に関する考え方を説明しました。小室博士の指摘は日本人の戦争に関する観念を上手に説明していますが、我が沖縄の場合はそれだけではありません。「日共の対琉要綱」も大きな役割を果たしていることが分りましたので今回当ブログにて言及します。
今月30日、我が沖縄県では2018年沖縄知事選挙が予定され、現時点で届出順で佐喜眞淳(さきま・あつし)、玉城デニー(たまき・でにー)、渡口初美(とぐち・はつみ)、兼島俊(かねしま・しゅん)の4人が立候補して激しい選挙戦が展開されています。今回は佐喜眞、玉城両候補が想定しているであろう支持者の構造について図解しましたので、読者のみなさんぜひご参照ください。(渡口、兼島両候補については今回は言及しません)
いきなりですが、もしも現代社会に伊波普猷先生が降臨されたらこのような論文を掲載するのではと思いつき、調子に乗って書き下してみました。『古琉球』に掲載された『沖縄人の最大欠点』のパクリですが、現代沖縄県民の欠点を普猷先生風に指摘するとこのようになりました。是非ご参照ください。
宮里松正著『米国支配27年の回想』の179㌻に沖縄返還に関する周恩来首相(当時)のコメントが掲載されていました。その内容は下記参照ください。
先日、ブログ主は東恩納寛惇著『尚泰候実録』の351㌻(明治11年候36歳)の項目を読んでいたところ、同年10月7日付で在日清国公使の何如璋(か・じょしょう)が寺島宗則外務卿宛てに出した書簡についての記述に目が留まりました。その一部分を抜粋しますので、読者のみなさんぜひご参照ください。
今月30日投開票の沖縄知事選に関連して、ブログ主は沖縄における県知事選挙の原型ともいえる昭和43年(1968年)の琉球政府主席公選について調べてみました。この時の主席公選は前年(1967年)11月15日の佐藤・ジョンソン声明に対する是非を問う選挙になりました。その声明における沖縄返還に関する項目は下記を参照ください。
8月31日のとあるツイートがちょっとした炎上騒ぎになっていました。その本文を書き写しましたのでご参照ください。
有田芳生@aritayoshifu-1時間前
沖縄の人たちは、日本に復帰する1972年までの27年間、本土に行くには「日本政府総理府」が発行する「身分証明書」が必要でした。この女性は鹿児島に行くために、この証明書を入手しました。
かつて政治学者の小室直樹博士は、「日本人は中国に対してコンプレックスがある」と喝破しました。よく考えると日本文化の元ネタは中国発が多いですし、実際に古代から近世にかけて中華帝国は世界の超大国でした。想像を絶する巨大な領域を統治してきた歴史に対して隣国である日本は常に何等かの影響を受ける立場であったことは否定できません。
言い換えると、つねに「大」であった中国に対して「小」を意識せざるを得ない日本人はある種の劣等感から免れることができなかったのです。この点は沖縄も同等で、大である隣国の呪縛から免れることができない地理的宿命を抱えています。しかも戦後は「戦勝国と敗戦国」の関係が追加され、中国に対しては”配慮すべき”という妙な空気が社会全体に蔓延してしまいます。
8月8日の翁長雄志氏の逝去に関連して、同月14日の沖縄タイムスに佐藤優氏の論説が掲載されていました。今回は「命あってのアイデンティティ」の第2弾として当ブログにて全文を紹介します。この作文を読んだとき真っ先に思い付いたのは、同月4日の琉球新報にて「沖縄人の矜持 翁長氏は知事選出馬を」という論説を発表した手前、何か弁解しないといけない佐藤さんの”おとなのじじょう”です。(自称)沖縄人って大変だなと思いつつも、ブログ主はこういう輩に囲まれたことが結果として翁長氏の寿命を縮めてしまったのではと疑わざるを得ません。
先日ひさびさに唐津一さんの著書を流し読みした際に、興味深い箇所を発見しました。全文を抜粋しましたので先ずはご参照ください。
本日(8月8日)19時41分付、琉球新報電子版にて、『翁長雄志知事が死去 67歳』のニュースが報じられました。今年5月15日の記者会見で4月21日にすい臓がんの診断および摘出手術を受けた際のやつれた表情から”お察し案件”だったにも関わらず、実際に訃報に接するとショックを受けざるを得ませんでした。謹んでごめい福をお祈りします。