コラム

琉球王国時代の穴屋を見にいったお話(2年ぶり2度目)

実は以前に当ブログにて掲載したことありますが、今回は2年ぶりに琉球王国時代の民家について言及します。明治34年1月11日付琉球新報に「芋の葉露」と題打ったコラムが6回掲載され、当時の田舎社会の暮らしぶりが詳しく記述されていました。その中に住宅に関する記述がありましたので、参考までに現存する海洋博記念公園内「おきなわ郷土村」に展示されている穴屋(あなや)を再び取材してきました。

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上級県民の一例

以前、当ブログにて「上級県民の考察」と題した記事を配信しました。今回は昭和52年(1977年)に実際に起こった出来事を例にして、ブログ主なりに上級県民の生態について言及します。

その出来事とは毎年15日に行われる那覇市主催の成人式に自衛隊員を招待しない問題で、昭和52年1月12日に自衛隊側が那覇市に対して質問状を提出したことから大問題になりました。その時の記事は以下ご参照ください。

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琉球古代史の難問

ここ最近ブログ主は血縁カリスマの考察のために、『中山世鑑』などの史料を中心に琉球古代史についてチェックしています。よく考えてみるとブログを運営して3年経過しましたが、琉球古代史はあまり触れてきませんでした。その理由が ① 四書五経など朱子学の知識が足りないこと、② 漢文や読み下し文の史料を読みこなす力が不足していたこと、③ そしてなにより琉球古代史は地雷原そのものなので、うかつに手を触れるのは危険かなと思ったからです。

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血縁カリスマの考察

以前、当ブログにて我が沖縄社会は血縁を通じてカリスマが継承されるという考え方がないことについて言及しました。その際になぜ血縁カリスマの発想が生まれなかったかについては触れませんでしたが、偶然にもその理由のひとつに気が付きましたので今回記事に纏めてみました。

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上級県民の考察

近年インターネットスラングから一般的に認知されつつある用語に上級国民があります。平成28年(2015年)7月に端を発した東京オリンピックのエンブレム騒動がきっかけですが、平成31年(2019年)4月19日に池袋で発生した悲惨な交通事故に対するマスコミ報道がこのネットスラングを結果的に拡散させてしまうことになりました。

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泉崎と旭町のまちがたり

先日ブログ主は那覇市泉崎にあるバスターミナルを散歩中に興味深い石碑を見つけましたので撮影してきました。「泉崎と旭町のまちがたり」と題した石碑には明治初期と現在の泉崎・旭町との対比および琉球八景図も掲載されて非常に充実した内容ですが、とりわけブログ主の目を引いたのが明治初期の那覇港の様子が描かれた『首里那覇絵図』です。説明文を書き写しましたので読者のみなさん是非ご参照ください。

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ホントは怖い鬼餅(ムーチー)のお話

ブログ主は先日、角川書店刊行の『沖繩文化史料集成5 – 球陽原文編』を参照していた際に、鬼餅(ムーチー)伝説について言及している箇所(巻 1-14)を見つけたので書き写してきました。試しに桑江克英氏による読み下し文もチェックしてブログ主なりに意訳を作成したところ、実に興味深いことが分かりましたので記事にまとめてみました。なお意訳とはいえ良い子の目に触れるのは憚れる箇所が複数ありますので、読者の皆さんも気合を入れてご参照ください。

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新聞と暦表記 – その2

以前「新聞と暦表記」と題した記事を配信しましたが、そのなかでブログ主は「大正時代の琉球新報を参照すると、ブログ主の手元にある25周年記念号(大正6年9月24日)の暦表記は元号で統一され、西暦も皇紀も表記されていません。いつから元号表記のみになったかは今のところ確認できませんが(中略)」と記述しましたが、やはり気になったので沖縄県立図書館に出向いてしらべてきました。

結論を先に申し上げますと、明治33年(1900年)7月15日の紙面から紙面上部の暦表記が元号に統一されていました。それと面白いことにこの日をもって琉球新報の題字が変更されて現在に至ってます。ためしに史料をコピーしてきましたので読者のみなさん是非ご参照ください。

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有難迷惑とはこのこと

先月(3月31日)の琉球新報に掲載された記事がネット上で物議を醸していたので、ブログ主もちょっと覗いてみました。『苦難覚悟で沖縄独立も』と題した仲宗根雅則さん(在イタリア、TVディレクター)のコラムで、たしかにツッコミどころ満載の内容でした。あまりの面白さに後世に残したい謎コラムと判断してブログ主が全文を書き写しました。読者の皆さん、是非ご参照ください。

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新聞と暦表記

政府は昨日(1日)11時40分ごろ平成に変わる新元号を正式に発表しました。ブログ主はニコニコ動画の生中継で菅義偉官房長官の記者会見の模様を見ていましたが、新元号「令和」に対して好意的なコメントが多かったのが印象的でした。従来のように中国の古典ではなく日本の古典(万葉集)からの出典が好意的に受け止められた感じです。

新元号の発表にともない、ブログ主も試しに沖縄の新聞における暦表記の変遷をチェックしたところ興味深い事実が確認できましたので簡単にまとめてみました。読者のみなさん是非ご参照ください。

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平成と新元号の時代

今回はちょっと真面目にブログ主なりに平成の時代をふりかえり、そして新元号の時代はどのような社会になるかについて言及します。我が沖縄社会における平成の一大事件の一つに天皇陛下のご来島(平成5年4月23日から26日)があります。ブログ主は当時の新聞をチェックしましたが、印象に残っているのが第44回植樹祭への天皇・皇后両陛下のご臨席を要請したのが大田昌秀知事であったことです。

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血縁が担うカリスマ

今回は沖縄社会における血縁カリスマについて言及します。タイトルの「血縁が担うカリスマ」という語句は聞きなれないかもしれませんが、大まかに説明すると血縁を通じてカリスマが継承される思考になります。もちろん血縁とカリスマは独立した概念であって、血のつながりによってカリスマが保持されるという考え方は一見すると奇妙に思えるかもしれません。だがしかし、昭和の日本社会にはこの発想が散見されたのです。

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不発弾の処理と自衛隊

今回も沖縄県と自衛隊に関する話題を提供します。昭和47年(1972年)に復帰した際の問題のひとつに不発弾処理があります。実はアメリカ世の時代(1945~1972)は沖縄戦の結果生じた大量の不発弾はアメリカ軍が処理しましたが、復帰後はアメリカ側が処理業務を断った経緯があります。この案件に関しては沖縄県と政府との交渉の結果、最終的に自衛隊が処理することで決着しました。その時の記事全文を書き写しましたので、読者のみなさん是非ご参照ください。

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自衛隊と沖縄

今回は自衛隊と沖縄について少しだけ言及します。我が沖縄では復帰後の昭和47年10月に自衛隊が配備されて以降、労組や教員組合などが目の敵にしてきた影響で、現在に至るまで「反自衛隊感情の強い地域」と誤解されている読者も多いかもしれません。

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沖縄県民の分類法

今回は現時点でブログ主が想定している沖縄県民の分類について言及します。歴史ブログを運営して3年弱、配信記事も600を超え、その過程でいくつかの”気づき”がありましたので、その点を踏まえながら誰にでもできる簡単な分類方法を説明します。

なぜこのようなことを思いついたのか。それは従来の保守革新や、右・左といった仕分けだけではもはや現実を理解することはできないと判断したからです。沖縄県民の底流には”現実主義”があり、その中でどのように区分けすることが可能か、この点に着目してブログ主なりに仮説を立ててみました。読者のみなさんぜひご参照ください。

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