考察

琉球人と二重思考

前回の記事において、喜屋武幸雄さんの証言を元に、アメリカ世時代における琉球住民の「二重思考」について言及しました。今回は、令和05年07月12日、13日付琉球新報に掲載された野村浩也氏の論文「制度的差別を問う ㊤㊦」を元に、現代における「二重思考」について考察します。

続きを読む

二重思考とりうきうの考察

前回の記事 “二重思考とりうきう独立芸人” において、ブログ主は小室直樹著『日本の1984年』を参考に、りうきう独立芸人たちの行動様式を考察しました。その際に言及した「二重思考」が、りうきう・沖縄の歴史を分析するツールとして極めて有用なことに気がついたので、今回は沖縄県民(特に高齢者)が一番突っ込まれたくない部分について調子に乗って言及します。

続きを読む

琉球譯讃美歌の考察

前回紹介した「琉球語讃美歌 – 降誕(111)」について、明治41(1908)年12月25付琉球新報1面に発表された原文、および大正4(1915)年の「琉球語讃美歌及箴言」の初版に掲載された同歌をチェックしたところ、前回の記事で紹介したブログ主の意訳に一部誤りがあることが確認できたので、今回改めて考察記事を纏めてみました。

続きを読む

廃藩置県と琉球処分の考察 – その3

(続く)前回の記事において “72返還の怨念” が明治12(1879)年の廃藩置県の歴史認識に大きな影響を及ぼしている件についてブログ主なりに説明しました。

ちなみに廃藩置県という歴史的事件を否定的に捉えているのは、復帰前後から現代までのわずか50年程度であり、それまでは大雑把にいって世間では肯定的に認識されています。それはつまり、伊波普猷先生の廃藩置県に対する解釈が絶対的な影響を及ぼしていたわけであり、今回はこの点について言及します。

続きを読む

廃藩置県と琉球処分の考察 – その2

(続き)前回の記事にて、沖縄の復帰運動における、一部沖縄県民のやり場のない怒りが、明治12(1879)年の廃藩置県に対する歴史認識に大きな影響を及ぼしている件についてブログ主なりに言及しました。今回は、この点についての補足説明を加えながら、「琉球処分」という用語がいかにマイナスイメージに染まっていったかを説明します。

続きを読む

“琉球国民” の考察

ここ数日、ブログ主らしからぬ真面目かつちょっとホラーな記事を掲載してますが、史料作成中たまたま琉球独立に関するじわじわくるツイートを見かけましたので、息抜きがてら調子に乗って言及します。

※「二代目聞得大君の謎 – その3」は次回アップします。

続きを読む

今帰仁延子さんの考察 – その3

(続き)10代の経験が、後年に及ぼす影響についてはよく知られていますが、今帰仁さんも例にもれず、13歳から17歳までの4年間に受けた教育がその後の生きざまに決定的な影響を及ぼしたことは間違いありません。

その前に、彼女が如何に “特別な存在” であったかについて同級生の証言を紹介します。

続きを読む

今帰仁延子さんの考察 – その2

(続き)今回は、ブログ主が確認できた史料を基に、作成した今帰仁延子さんの年表をアップします。すると、幼少期の体験が今帰仁さんに決定的な影響を与えていたことが理解できますので、そのあたりをできる限り、そして調子に乗って分かりやすく説明していきます。

続きを読む

今帰仁延子さんの考察 – その1

年末から年始にかけて、ブログ主は可能な限り時間をつくり、過去に蒐集した史料の整理・整頓を行ないました。その際、昭和43年(1968)7月5日に起こった「琉球銀行若松支店強盗事件」の新聞史料をチェックしたところ、驚くべき記事を発見しました。

続きを読む

“長寿県沖縄” という戦後最大のユクシムニーの考察(3)

(続き)前回の記事の〆で、「長寿県沖縄というブランドを確立してジン儲けしようという品性卑しい大人が存在する限り、県民が本気で生活習慣の改善に乗り出すことは絶対にありえない」などど、ブログ主らしからぬ(?)キツいことを言ってしまいましたが、実はちゃんとデータがあっての発言なのです。

続きを読む

“長寿県沖縄” という戦後最大のユクシムニーの考察(2)

(続き)前回の記事において、「平均余命の順位低下は生活習慣があまり好ましくない面があるのも否めません」と言及しましたが、ハッキリいって我が沖縄における平均余命の順位急降下の直接的な原因を特定するのは極めて難しいと言わざるを得ません。というのも、実はこの案件、「必ずこうなる」との十分条件なんてどこにも存在しないのです。

続きを読む