1年ほど前に、当ブログにて “沖縄市中央のじわじわくる戦闘力の高さは異常” と題した散策記事を掲載しましたが、今回はその続編です。ここ数カ月、新型コロナウィルス禍で散策記事も自主規制してましたが、前回アップした普天間の記事が予想の斜め上を行く反響がありましたので、満を持して解禁します。
散策ネタ
沖縄県民が忘れてはいけない人々 – 医生教習所の卒業生たち
(続き)前回の記事において、医生教習所の碑が波の上宮にあった件について言及しましたが、その前に明治19(1886)年に起きた天然痘の大流行について興味深い記事を見つけましたので紹介します。
沖縄県民が忘れてはいけない人々 – 医生教習所の話
4月30日時点でグーグルニュースが公開している我が沖縄の新型コロナウィルス感染者は141名、そのうち死亡が4名となっております。この数字が多いか少ないかブログ主は専門家ではないため判断できませんが、歴史的に見ると未知の病の蔓延にしてはきわめて少ない印象があります。
美ら海水族館に行ってきたお話
本日ブログ主は、新型コロナウィルスが沖縄の観光にどのような影響を及ぼしているか確認するべく、去る16日に営業再開した沖縄美ら海水族館を訪れました。
同月5日に海洋博記念公園を訪れた際は、不気味なほど静まりかえっていたのが印象的でしたが、今回は本土からの観光客も多数訪れていたため多少活気を取り戻した感があります。その様子を撮影してきましたので読者の皆様、ぜひご参照ください。
ひさびさに那覇空港に行ってきたお話
本日(12日)、ブログ主は新型コロナウィルスが県内経済に及ぼす影響を確認すべく、那覇空港の様子を見にいきました。国内線と国際線ターミナルが連結(平成31年3月18日)後に初めて空港を訪れたのですが、驚くほど空港内が広くなったことと、そして国際線ターミナルが開店休業状態に陥っていた現状にショックをうけました。
ヤバいものを見てきた・・・
本日ブログ主は、新型コロナウィルスの影響により観光産業がダメージを受けている現状を視察するべく、海洋博記念公園を訪れました。事前にホームページ等で園内施設の休館情報をチェックした上での訪問でしたが、予想の斜め上を行く現状にショックを受けました。
ブログ主は21世紀に入ってから数知れず海洋博記念公園を訪れています。だがしかし、今回の訪問は首里城焼失に匹敵するあるいはそれ以上の衝撃でした。生きているうちにこんな光景は二度と見ることないだろうと思いつつ、園内の様子を撮影しました。読者のみなさん是非ご参照ください。
俺が調子に乗って那覇市辻町を散策した結果…
本日ブログ主は那覇市辻地区を散策してきました。実は前にも同地区はチェックしたのですが、どうしても気になる点があったので、過去のゼンリンの地図などを参照して本日再度訪れた次第であります。
結論を申し上げると、現在の辻地区はかつての華々しさは感じられず、街全体に”黄昏”を感じざるを得ません。ブログ主が撮影した辻町の現状を紹介しますので読者のみなさん是非ご参照ください。
沖縄市中央のじわじわくる戦闘力の高さは異常
先月30日から本日にかけてブログ主は沖縄市上地(なかのまち)や中央(パークアベニューや一番街など)を所用を兼ねて散策しました。前日は”帯広豚丼炭火焼とんたん”のグルメレポートを掲載しましたが、今回は街中散策レポートを紹介します。
改めて実感したのですが、沖縄市中央地区の”じわじわくる”ポイントの多さにはびっくりします。その中からブログ主が厳選?した見所をまとめてみましたので読者のみなさん是非ご参照ください。
那覇市若狭の存在感を探しにいった結果……
今回は那覇市若狭(わかさ)の散策結果を紹介します。旧那覇からの由緒ある地名にも関わらず”存在感の薄さ”が際立つ若狭地区ですが、その理由はやはり”波の上”の圧倒的知名度にあります。
たとえば沖縄県民なら”波の上神宮”をよく知っていますが、その所在地が”那覇市若狭一丁目”であることを知る人は少ないはずです。”波の上ビーチ”も同様で”若狭海浜公園”の中にあります。那覇市民であればご存知かもしれませんが、典型的な宜野湾民であるブログ主にとっては、
那覇市久米付近を散歩してみた結果…
今回は史跡めぐりの一環で那覇市久米を散策したところ、予想の斜め上をいく”じわじわくる”ポイントが複数見つかりましたので、ためしに記事にまとめてみました。
ちなみに旧久米村は以前は唐栄(閩人=福州出身の中国人)たちの居住地で、廃藩置県後に那覇に合併された歴史があります。琉球・沖縄においては古い歴史を持つ地区であり、いまでもその痕跡は残されています。読者のみなさん、ぜひご参照ください。
新春企画 – コザ吉原社交街の現在
本日(1月2日)、ブログ主は沖縄市美里一丁目(コザ吉原社交街)の散策に出かけました。いまや旧真栄原社交街と同じく廃墟と化していましたが、アメリカ世および昭和の名残をとどめている数少ない場所でもあります。今回の訪問で一番驚いたのは、正月用のしめ縄を飾っている店舗をほとんど見かけなかったことです。なお撮影した写真はバックライトを強めに加工していますが、現在のコザ吉原社交街の雰囲気を十分醸し出していると思います。読者のみなさんぜひご参照ください。
今帰仁城跡の崩れた石垣を見にいった件
先日(7月9日)ブログ主はひさしぶりに今帰仁村の「今帰仁城跡」を訪れました。7月上旬の台風7号による大雨の影響で一部石垣が崩落したニュースに接したのがきっかけです。実際に石垣の崩れ具合をみると、新聞などで報じられている以上の深刻な状況でした。せっかく現場を訪れたので(石垣が崩落した)様子を撮影してきました。読者の皆さん是非ご参照ください。
昭和のにーけーやー(二階建て住宅)を見つけたお話
先日(7月7日)ブログ主は所用で首里崎山町にある瑞泉酒造ギャラリーを訪れました。道路を挟んで向い側に駐車場がありますが、そこで偶然ですが昭和の沖縄における典型的なにーけーやー(二階建て住宅)を見つけましたので当ブログにてアップします。ブログ主が知っているかぎり、復帰前後に建築された(と思われる)コンクリ造りの2階建て住宅が現存している箇所は数少なくなりましたので、ラッキーと思いながら写真撮影した次第であります。
【地元散策】宜野湾市喜友名(きゆな)の石獅子群巡りをしてきたお話
先日(6月18日)、唐突ではありますがブログ主は我が宜野湾市喜友名にある石獅子群をチェックしようと思い立ち、今回はそのときの散策記事を掲載します。
ちなみに平成27年(2015)に喜友名区自治会から発行された地元史『喜友名誌 ちゅんなー』によると、これら石獅子は「村落獅子」に分類、喜友名集落が碁盤型集落になったのは1737年以降のためおそらく18世紀ごろに作られたのではと記載があります。喜友名の石獅子に関する詳細な説明は後日史料として当ブログで掲載しますので、今回は先に7対のシーサーめぐりの記事をアップします。地元史好きの読者のみなさん、是非ご参照ください。
俺が調子に乗って天皇陛下奉迎提灯大パレードを見学した結果……
今回は前日(3月27日)に行われた「天皇陛下奉迎提灯大パレード」の見学レポートをアップします。ちなみにブログ主は帯状疱疹発症3日目、パレードに参加すると本当に介護車両のお世話になりかねない状況だったため単なる見学に留めました。今回のパレードで確認したかったのはただ一つ、”参加者の年齢層”ですが、意外に幅広い年代が参加していることも分かりました。早速ですが、パレードの様子をご参照ください。