この度、ブログ主は50年ほど前の新聞史料を整理・収集している際に、極めて興味を覚えた記事を見つけましたので、当ブログにて全文を公開します。ただし、現代の沖縄県民には理解しにくい部分もあるかと思われるため、ブログ主なりに解説したまとめ記事も作成しました。
まとめページ
方言札 – まとめページ
ご存じかと思われますが、当ブログにて1月31日から複数回 “方言札 “ についての記事を配信しました。本来ならば2~3回程度で終わるつもりが、気が付いたら1カ月の長期に連載になってしまいましたので、読者の便を図るべくまとめページを作成しました。
おクスリとオキナワ – まとめページ
これまで当運営ブログでアップした “おクスリ” 関連の記事に関して、読者の便宜を図るべく、まとめページを作成しました。アメリカ世時代の矛盾、そして復帰前後のポップ・アートの暗部を象徴する事例として、ブログ主が見つけ出した史料を不定期にアップしていきます。
金城正雄 – まとめページ
今年の6月30日から数回にわたって金城正雄(三代目旭琉会金星一家総長)関連の記事を数回にわたってアップしましたので、読者の便を図るためにまとめページを作成しました。
基地の街エレジー まとめページ
昭和32年(1957年)9月13日から全20回にわたって琉球新報で掲載された “基地の街エレジー” のまとめ・解説ページを作成しました。理由は、当時の時代背景をある程度説明しておかないと、記事内容を理解できないのではと考えたからです。
血ぬられたゼネスト – まとめページ
昭和46年(1971)年11月10日に浦添市勢理客の国道58号線(当時1号線)で発生した警官殺害事件、いわゆる “沖縄ゼネスト警察官殺害事件” のまとめページを作成しました。
多和田真山 – まとめページ
以前にも言及しましたが、沖縄ヤクザ史において最も興味深い人物は誰かと問われるならば、ブログ主は多和田真山(1933~1982)と即答します。それゆえに不定期ではありますが、ブログ主が蒐集した新聞史料を当運営ブログでアップしたところ、ネット上では “多和田ウォッチャー” として認知された感があることに気が付きました。
コザ暴動 – まとめページ
昭和45(1970)年12月20日に発生したコザ暴動のまとめページを作成しました。おそらく琉球・沖縄の歴史において “語り継ぎたい歴史” のひとつかと思われますが、当運営ブログでは事件を “美化することなく” 当時の新聞など史料を参考に記事を作成してきました。
りうきう・おきなわの歴史はしに面白いわけさぁ / まとめページ
令和2(2020年)10月1日に Amazon 他で発売中に拙著 “りうきう・おきなわの歴史はしに面白いわけさぁ” で参照した文献や史料をまとめページで随時公開します。
組織暴力団 – 火を吹く抗争 まとめページ
昭和52(1977)年5月20日付琉球新報11面から10回に渡って連載された特集記事 “組織暴力団 – 火を吹く抗争” のまとめページを作成しました。
ちなみにこの特集記事が掲載されたきっかけは、同年5月18日に那覇市牧志の十貫瀬で発生した旭琉会組員による射殺事件です。同年3月から旭琉会による上原組・琉真組に対する襲撃事件が頻発するようになり、その流れで射殺事件が起こったわけですが、さすがにこの事件は沖縄県警および世論の怒りを買います。
沖縄の特飲街 – まとめページ
これまで当ブログにて掲載した特飲街関連記事のまとめページを作成しました。先日アップした記事、『沖縄の売春 – 私の見たその実態(1)』が予想の斜め上を行くアクセス数で、ブログ主の思った以上に読者の皆さんはアングラネタが好きなんだと実感しました。そのため今回読者の便宜を図る上でまとめページを作成しました。
続・沖縄の証言 変転10年を刻む – 暴力団抗争まとめページ
これまで4回に分けて掲載してきた『続・沖縄の証言 変転10年を刻む – 暴力団抗争』のまとめページを作成しました。ブログ主がこの記事に非常な興味を抱いたのは、アメリカ世時代の沖縄タイムスは暴力団関連にはあまり力を入れてなかった印象があるからです。
大正六年の沖縄の野球 – まとめページ
大正6(1917)年9月から数回に渡って琉球新報で掲載された「本社主催第二回県下野球大会」に関する記事のまとめページです。参加チームの紹介、沖縄県の野球に関する論説や試合結果などを随時更新しますので、野球好きの読者の皆さんぜひご参照ください。
芋の葉露(田舎生活)- まとめページ
これまで6回にわたって掲載した太田朝敷先生の論説「芋の葉露(田舎生活)」のまとめページです。当ブログでは琉球新報に掲載された原文および写しと太田朝敷選集(中巻)に掲載された旧漢字訂正分(の一部をブログ主が校正)を掲載しました。
参考までに太田朝敷選集の編者である伊佐眞一先生の書誌改題を紹介します。
久高島印象記 – まとめページ
今回は読者の便宜を図る上で、『沖繩敎育』(大正13年6月、9月、12月)の3号にわたって掲載された又吉康和著『久高島印象記』のまとめページを作成しました。同年6月8日に実際に久高島を訪れた際の訪問記ですが、当時の島の様子を伺える第一級の史料と言えます。
ちなみにこの印象記を読んだブログ主の感想は、伝統主義(現在の社会的な慣習は “これまで続いてきた” という理由だけで正しいと考える行動様式のこと)の束縛の強さです。そして興味深いのがこの一節で