史料

大正シルー・クルー政争 史料その1

大正時代に沖縄県全域で発生した政争についての史料です。近現代の沖縄における屈指の黒歴史ですが、近代デモクラシーの本質を考える上で極めて重要な事件なので、可能なかぎり史料を掲載します。今回は『沖縄大百科事典』と『近代沖縄のあゆみ』からの抜粋です。

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裁判移送問題と中村議員の失踪

昭和41年(1966)7月5日、東京で起こった中村晄兆(なかむら・てるあき)立法院議員失踪事件の顛末について、当時立法院の議長を務めていた長嶺秋夫さんの回想録『私の歩んだ道』(昭和60年刊行)に事件の詳細が記載されていましたので掲載します。ブログ主が確認できた限り、この事件の詳細を記載しているのはほか昭和41年7月の琉球新報縮小版と、この回想録の2つだけです。

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俚諺によりて説明されたる沖縄の社会 – 伊波普猷

先日ブログ主は伊波普猷先生著の『古琉球』をチェックしていたところ、面白い論文があったので当ブログにて紹介します。きっかけは今回の内容とは全く関係ありませんが、「沖縄独立の影に琉球王国復活をもくろむ?!あの勢力」という Web ページを参照したのがキッカケで、久米人(クニンダンチュ)についてあれこれ調べている最中に伊波先生の論文を発見した次第です。

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琉球見聞録 – 序

20170524

今回は史料として『琉球見聞録』の序文を掲載します。歴史的に有名な伊波普猷先生の「琉球処分は一種の奴隷解放也」の論文が有名ですね。琉球見聞録の著作者である喜舎場朝賢氏の序文は意訳等はなしでそのまま掲載します(伊波先生の論文は旧漢字を訂正しました)

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資料 琉球王国時代の民家 その3

前回記事において、琉球王国時代の田舎百姓の民家(再現)をアップしました。古代から20世紀初頭まで、百姓階級の民家の作りがほとんど変わってなく、しかも一定期間権力者によって強要されていたことは余り知られていません。この事実は現代の歴史家にとって余程都合が悪いのでしょうか、歴史書で大きく取り上げることはありません。

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資料 琉球王国時代の民家 その1

 

今回は琉球王国時代の田舎百姓の民家について記事を掲載します。その前に当ブログを訪問される皆様にとって琉球・沖縄の民家のイメージはおそらく下図のような感じでしょうか?

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資料 右翼とウヨク、左翼とサヨクを分かつもの

「右翼とウヨク、左翼とサヨクを分かつもの」関連の資料をまとめました。

・史記列伝 伯夷列伝 第一 君臣の義とは何かを明示した逸話で、幕末の尊王思想に多大な影響を与えます。

・拘幽操 山崎闇斎著 ブログ主の現在のレベルではまだ歯が立たないのですが、湯武革命論の否定とは何かを明示した内容です。

・闇斎の学問の特徴 少年日本史(平泉澄著)内の山崎闇斎(上)から抜粋 平泉澄教授の『少年日本史』の中でも山崎闇斎の項は傑作といっても過言ではありません。本当は全文を掲載したいのですが、今回はその一部を抜粋します。これだけでも崎門の学の本質が看破できます。

・靖献遺言:現代語訳 浅見安正著(他)明治44.6 刊行 言わずと知れた幕末のスーパーベストセラー。近代デジタルライブラリに現代語訳があったので、リンクを貼り付けします。

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太田朝敷関連の史料

太田朝敷関連の史料まとめです。史料は随時追加します

※令和05(2023)年1月15日、ブログの大整理のため、当ページの誤字脱字の訂正、レイアウト変更、および資料を追加します。今回のチェックで興味深いのが、「おおた姓」の表記に関して、大正5(1916)と昭和12(1937)の資料では「大田」と表記されている点です。ちなみに、昭和5(1932)年に刊行された『沖縄県政五十年』では「太田」と名乗っているため、案外当時はどっちでも良かったのかもしれません。

ちなみに、旧漢字は読者の便を図るべく訂正済なので、原文は引用元リンク先でご確認いただけると幸いです。

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琉球新報ほか沖縄のマスメディア関連の資料 

琉球新報ほか、沖縄のマスメディア関連の資料を掲載します。

※令和05(2023)年1月19日、一部記事を削除し、関連リンクを挿入しました。あと読者の弁を図るべく、記事レイアウトも変更済です。今後、沖縄マスメディア関連の資料は、新規の記事として当ブログにてアップするのでご了承ください。

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公同会関連資料

datusinnjinn

現時点(2016年11月12日)で確認できた公同会関連資料です。新資料を入手しだい更新します。(アイキャッチ画像は脱清人、左端が琉球人(田名真宜)です)。

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