人物

阿麻和利の謎 – 勝連按司(2)

前回の記事において、ゑそにやすゑ(恵祖根屋末)について言及しました。もちろん勝連按司と関わりがある歴史用語なので説明したわけですが、それ以上に古代から16世紀におけるりうきう社会において、王や按司たちの権力の継承ルールが17世紀以降とは違うことを認識していただきたいからです

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阿麻和利の謎 – 勝連按司(1)

今回からは勝連城の城主こと按司〔?aNzi:ア”ンジ〕について言及しますが、その前に17世紀以前のりうきう社会において為政者たちから最も意識された「王」について説明します。

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阿麻和利の謎 – 玉ノミウヂ御嶽

前回の記事において勝連城における最も重要な場所である「玉ノミウヂ御嶽」について言及しました。おもろさうしでは「たまのみうち(玉の御内)」と表記され、意訳すると「美しい御庭」になります。

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阿麻和利の謎 – 肝高(2)

前回の記事にて、肝〔cimu:チム〕の原義について言及しました。「霊気」または「霊気が宿る」の意から転じて「心」になったのではと推測ましたが、ちなみに肝には「中心(もっとも重要な場所)」のニュアンスが含まれます。となると勝連城の中心はどこかについて考察する必要がありますが、その答えは現地を訪れたことですぐにわかりました。

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阿麻和利の謎 – 番外編(3)

今回は番外編として謝名もい〔zanamee:ヂァナメー〕こと察度の伝説について考察します。今回取り上げるのは察度が勝連按司の娘を娶る物語ですが、ちなみにこの話の初見は羽地朝秀著「中山世鑑」です。つまり17世紀の意識高い為政者が、りうきうの伝説をどのように解釈していたかを知る貴重な内容と言えますが、先ずは物語の大意を紹介しますので是非ご参照下さい。

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阿麻和利の謎 – 肝高(1)

今回は勝連の対語である「きむたか」について言及しますが、その前におもろさうしの対語表現について説明します。

おもろさうしでは対語が多数見受けられますが、これは「同じ言葉をくり返し使わない」という理にかなった文学表現です。ちなみにおもろそうしの対語表現は、最初に人名(あるいは地名)を唱え、別行で性質や特性を表記するケースが多く、たとえば首里森(首里城のこと)の対語は真玉森であり、意訳すると「美しい首里王城」になります。

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阿麻和利の謎 – 勝連(2)

前回の記事で、かつれんの方言読み(カッチン)から、ブログ主なりに語源を考察してみましたが、実際に勝連城跡を訪れた際に、謎があっさり解けた感を覚えました。確かにあの場所は「古りうきうの住民たちにとって神の恵みを実感できるところ」で間違いないのです。

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阿麻和利の謎 – 勝連(1)

今回から数回にわたって「勝連」の名称についてブログ主なりに考察します。というのも「おもろさうし」に登場する「かつれん」は二つの意味を含んでいることに気が付いて、強い興味を抱いたからです。

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阿麻和利の謎 – 番外編(2)

前回の記事において、おもろさうし巻10「ありきゑとのおもろ御さうし」にあるりうきう開闢のオモロについて言及しましたが、今回は「中山世鑑」に掲載されている天地開闢物語との違いについて深堀します。

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阿麻和利の謎 – 番外編(1)

今回は阿麻和利の謎の番外編として、おもろさうしに掲載されているりうきう天地開闢のオモロについてブログ主なりに解説します。というのも古りうきうの神観を伺うにはこのオモロは格好の史料だと確信しているからです。ただし非常に長く、わかりにくいオモロでもありますので、今回は大意と解説を先に、そしてオモロ本文は最後に掲載しますのでご了承ください。

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阿麻和利の謎 – 聖名(2)

前回の記事において古代りうきう社会における「聖名」について言及しましたが、今回は「あまわり」の名称について考察します。鳥越憲三郎先生はあまわりの語源を「天降り」であると主張していますが、この点はブログ主も完全同意です。

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阿麻和利の謎 – 聖名(1)

前回の記事において、ブログ主は阿麻和利の呼称について、俗名ではなく「聖名」であると仮定しましたが、今回は古代りうきう社会における権力者の「聖名」について説明します。

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阿麻和利の謎 – プロローグ

6月22日から絶賛開催中の第106回全国高等学校野球選手権沖縄大会(以下夏の沖縄大会)も終わり、高校野球の熱狂から少しづつ冷めつつあるブログ主ですが、今月から(試験的に)定期連載として「阿麻和利」に関する記事の配信を行います。

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ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その32

(続き)例えば、私たちのおじいちゃん、おばあちゃんの、そのまたおじいちゃん、おばあちゃんたちが味噌汁を食べてたという歴史があって、朝はパン食にするにしても、どうしてもゴーヤーチャンプルー(ニガウリの炒めもの)というものが沖縄にある、食べたことないけどあるんだというのはわかるわけです。こういう味噌汁の余韻というのがあるわけです。おかず、漬物というのがまだ残っているわけです。

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ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その31

□音楽の現状とルーツ こういうアメリカの若者を相手にしているから、ロックをやっていると、アメリカでは音楽のどこを大事にしているということがすぐダイレクトに伝わるし、そういう基本的なものがわかってくると、こことこことここの三つを大事にすればだいたいのものは、あとは時間が経てばマスターできるものだというのがわかるんです。これを見失って枝葉だけのものを仕上げていっても、アメリカでは通用しないというのが実状です。

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