先日アップした記事、「俺が調子に乗って “しまくぅとば” が普及しない理由を見つけた結果」に絡んで、ここ数日ブログ主は所蔵の琉球語関連の史料をチェックしてみたところ、興味深い一節を見つけましたので紹介します。
それは昭和41(1966)年9月に発行された、新垣信一訳「琉球語讃美歌(第五版)」の中の「第六番 降誕(111)」で、訳者は伊波普猷先生、つまり大正時代に使用されていた “うちなーぐち” が掲載されているのです。
先日アップした記事、「俺が調子に乗って “しまくぅとば” が普及しない理由を見つけた結果」に絡んで、ここ数日ブログ主は所蔵の琉球語関連の史料をチェックしてみたところ、興味深い一節を見つけましたので紹介します。
それは昭和41(1966)年9月に発行された、新垣信一訳「琉球語讃美歌(第五版)」の中の「第六番 降誕(111)」で、訳者は伊波普猷先生、つまり大正時代に使用されていた “うちなーぐち” が掲載されているのです。
今月4日のQAB琉球朝日放送のネットニュース “「しまくとぅば普及推進室」沖縄県庁に新設で看板設置「聞く・話す機会を創出しよう」” によると、沖縄県庁内に「しまくとぅば」の保存・普及に向けて県庁内に専任の部署が新設されました。
(続く)前回の記事において “72返還の怨念” が明治12(1879)年の廃藩置県の歴史認識に大きな影響を及ぼしている件についてブログ主なりに説明しました。
ちなみに廃藩置県という歴史的事件を否定的に捉えているのは、復帰前後から現代までのわずか50年程度であり、それまでは大雑把にいって世間では肯定的に認識されています。それはつまり、伊波普猷先生の廃藩置県に対する解釈が絶対的な影響を及ぼしていたわけであり、今回はこの点について言及します。
(続き)前回の記事にて、沖縄の復帰運動における、一部沖縄県民のやり場のない怒りが、明治12(1879)年の廃藩置県に対する歴史認識に大きな影響を及ぼしている件についてブログ主なりに言及しました。今回は、この点についての補足説明を加えながら、「琉球処分」という用語がいかにマイナスイメージに染まっていったかを説明します。
今回は、前々回に公開した「県政百年の知事メッセージ(昭和54年)」に関連して、同時期の沖縄タイムスの記事と比較したところ、「県政百年」に関する認識の違いにじわじわきたので、試しに記事にまとめてみました。
今回は、プライベートな “とある疑問” を解決すべく、ブログ主が那覇市若狭の「Hotel Blue moon ~ ホテル・ブルームーン ~」についうっかり入室したレポートをアップします。これまでブログ主が投稿した記事を再チェックすると、去年の5月あたりから “歴史的建造物” の記事(殿堂入り)が散見されるようになりましたが、意外にも女性需要が多かったので、不定期ではありますが今後もアップし続ける予定です。
今月1日の琉球新報DIGITAL版によると、石垣市議会(我喜屋隆次議長)は3月定例会最終本会議において、「陸上自衛隊石垣駐屯地開設に伴い自衛官やその家族および駐屯地関係者の人権を尊重する決議」を全会一致で可決し、野党の7人は退席したと報じられていました。
先月30日の琉球新報DIGITAL版によると、「沖縄県議会(赤嶺昇議長)の2月定例会は20日、最終本会議を開き、公共の場やインターネット上での差別的言動(ヘイトスピーチ)の解消を図る『県差別のない社会づくり条例』を賛成多数(賛成29、反対19)で可決した。」とあり、”反ヘイトスピーチ” に対して初の県条例が制定されたと報道されていました。
今月はWBCに始まり、春のセンバツ、そして春季高校野球大会(沖縄)と野球イベントが続く影響もあって、当運営ブログも事実上のお休み状態でしたが、(野球イベントが落ち着いてきたので)今回はひさびさに真面目なコラムをアップします。
昨日、ブログ主はツイッターをチラ見した際、沖縄タイムスの〈大弦小弦〉に対する複数の呟きが目に留まりました。「なんかまたやらかしたのか」と思いつつ、本日改めて該当のコラムをチェックしたところ、興味深いことに気が付きましたので、試しに当ブログにてまとめてみました。
今月16日、ブログ主は沖縄県立図書館に出向いて、『おもろそうし』の写本、ほか家譜のチェックなどで充実した時間を過ごしました。ただし、ちょっとはりきり過ぎたせいか、精神的にバテてしまった感があったので、那覇市辻のホテルでついうっかりひと休み&ブログネタの思索に耽ってきました。
ここ数日、ブログ主らしからぬ真面目かつちょっとホラーな記事を掲載してますが、史料作成中たまたま琉球独立に関するじわじわくるツイートを見かけましたので、息抜きがてら調子に乗って言及します。
※「二代目聞得大君の謎 – その3」は次回アップします。
すでにご存じの読者もいるかと存じますが、今月17日に「高校生失明事件」に端を発した沖縄署襲撃事件に関し、”襲撃を主導” したとみられる22歳の暴力団構成員が逮捕されました。
本日、ブログ主は沖縄県立博物館に籠って、「おもろそうし」の写本や必要な史料をコピーしてきました。ひさびさの写本作業はさすがに疲れたので、帰りがけに疲れ直しに那覇市辻町を散策中、じわじわする光景に出くわしました。せっかくなので写真撮影し、当ブログでアップします。最近真面目なネタが多かったので、読者の皆さん、息抜き代わりにお愉しみください。
(続き)10代の経験が、後年に及ぼす影響についてはよく知られていますが、今帰仁さんも例にもれず、13歳から17歳までの4年間に受けた教育がその後の生きざまに決定的な影響を及ぼしたことは間違いありません。
その前に、彼女が如何に “特別な存在” であったかについて同級生の証言を紹介します。