コラム

あいろむノート – 方言札(4)

(続き)今回は、現時点で蒐集した史料を基に、ブログ主なりに昭和15年(1940)1月の「方言論争」について説明します。というかこの案件、「はじめはニワトリのつもりが、だんだんアヒルになった。めまぐるしいので私自身とまどった」と吉田嗣延氏が証言している通り、単なる座談会での討論がマスコミ上に登場するや、一気に火がついた感があります。

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あいろむノート – 方言札(3)

(続き)今回は方言札に絡んで、大雑把ではありますが、昭和15年(1940)1月に勃発した「方言論争」について言及します。ただし、ブログ主が蒐集した史料を基に、方言論争の流れについてのみ簡潔に説明します。

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あいろむノート – 方言札(2)

(続き)前回の記事で、「方言札」は同化政策に基づく権力側からの押しつけ等ではなく、日清・日露戦役の結果、高等教育機関の生徒たちから始まった件について言及しました。ちなみにブログ主が注目したのは、外間先生が方言札に絡んで「軍隊生活の場で、移民先において、住民に日本語(普通語)を駆使することのできないウチナーンチュの言葉の悩み」との “りうきう・おきなわ近代史の盲点” について証言した件です。

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あいろむノート – 方言札(1)

既にご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、先月18日に放送されたバラエティー番組で沖縄出身の俳優さん(二階堂ふみ)が「方言禁止記者会見」に挑戦する企画が行なわれました。

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【普天間基地】宜野湾市の苦難の歴史で打線を組んでみた

普天間基地の枕詞が「世界で最も危険な飛行場」であることはよく知られています。一例として防衛省・自衛隊の公式サイトによると「沖縄県宜野湾市に所在する普天間飛行場は、市街地に位置し、住宅や学校で囲まれ、これを利用する航空機が市街地上空を飛行するため、世界で最も危険な飛行場と言われています」との記述があります。

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トルコ風呂とりうきう

そういえば去年の今頃、ブログ主は沖縄市美里一丁目(旧吉原地区)を訪れ、昭和45年(1970)の地図と現在の区画を比較検討した上で、吉原地区における特殊婦人の「総数の推定」を試みたことがあります。ただしスナックやカフェーの数があまりにも多すぎるため、途中で作業を投げだしてしまいましたが、Aサインバーも含めて売春に従事している琉球住民(女性)が推定1万人近くの当時の新聞報道に強い説得力を覚えました。

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もっとも注意すべきは愚かで勤勉なもの

ネット上で、ドイツの軍人であるハンス・フォン・ゼークトが提唱したとされる有名な「組織論」があります。ただし、ウィキペディアによると、ゼークトではなく別の軍人さんが提唱した分類法のようですが、現在においても非常な説得力を持つ内容のため、今回はブログ主なりに “もっとも注意すべきもの” について言及します。

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パヨクとは何か

パヨクという言葉があります。ご存じのとおりサヨク(左翼)に韻を踏ませてもじった用語ですが、Wikipedia などを閲覧しても定義がいまいちピンとこないブログ主は、今回も調子に乗ってパヨクの定義づけを試みました。

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令和06年がはじまった(らしい)

既にご存じかと思われますが、令和06年は元日と2日に大災害・大事件が起きてしまいました。事のあまりの重大さに被災に遭われた方に対し語る言葉を持ち合わせていないブログ主ですが、とりあえず騒然とした世の中の雰囲気が一通り落ち着くまで、当運営ブログにて「おクスリ」や「凶悪犯罪」などの不謹慎ネタ、あるいは今回の大災害に関する政治的な投稿は控える方針で記事を配信していく予定です。

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オキナワンロックを超えた男たち

令和5年(2023)、当運営ブログではこれまでNG扱いだった “オキナワン・ロック” の記事を配信しました。「公開された史料のみを利用」との方針を堅持しつつ、ブログ主なりに考察してきましたが、その過程である人物たちの軌跡がオキナワン・ロックの歴史から不自然なまでに省かれている事実に気が付きました。

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代執行の実施と “二重思考”

すでにご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡り、斉藤国交省は(今月)28日、防衛相による地盤改良工事のための設計変更申請を沖縄県に変わって承認する「代執行」を実施しました。新聞報道によると、地方自治法に基づき国が自治体の事務を代執行したのは初めてとのことで、結果的に我がりうきう・沖縄の歴史に新たな “黒歴史” が刻まれることになりました。

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公式のやらかし

本日(12月24日)はご存じのとおりクリスマス・イブですが、当運営ブログでは数年前から “風俗関連” の記事をアップしています。ただし、今年はちょっと趣向を変えて、「公式のやらかし」のテーマで記事を作成しました。

実はこのネタを思いついたのは、今年8月に中央パークアベニューを散策した際に見つけた1枚の写真がキッカケです。そしてクリスマス前には複数の史料を仕入れることができましたが、今回は厳選した3つのネタを紹介します。ブログ主から読者へのささやかなクリスマスプレゼントを是非お愉しみください。

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【2年連続2度目】クリスマス前にサンタがやって来た

12月某日、ブログ主は沖縄県立図書館へ年末年始のブログネタ蒐集に訪れましたが、併せて “歴史的建造物” もチェックしてきました。去年も同じ企画で記事をアップしましたが、今年は那覇市若狭の「波の上クリスタルホテル」への潜入レポートをアップします。

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あいろむノート – アメリカ世時代の犯罪統計を再チェックした結果

前回の記事で、「あいろむチェック」と題して復帰後の米軍人・軍属による犯罪発生件数について考察しましたが、その際に蒐集したデータを基に、今回はかつて公開した「我が沖縄社会の犯罪統計を調べてみた結果」のセルフ検証記事をアップします。

ちなみに、令和02年(2020)1月20日にアップした同記事は “現代の史料” を基にアメリカ世時代の犯罪発生率を算出しましたが、今回は琉球警察が編集した犯罪統計を利用して改めて犯罪発生率を算出しました。なお、参照した史料は以下の通りです。

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あいろむチェック – 米軍人・軍属の犯罪発生件数編

ここ数日、ブログ主は昭和47年(1972)の新聞記事をチェックしていますが、印象的なのが(現代に比べると)米軍人たちのやらかしがとにかく酷い件です。この年の(県内の)犯罪発生率は大雑把に言うと現代の3倍ぐらいですが、それにしても同年だけで加害者米兵、被害者沖縄県民の殺人事件が4件も発生してますので、当時の人達が「米軍は諸悪の根源」と叫びたくなる気持ちは理解できます。

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