コラム

うちなー高齢者あるあるを調子に乗って列挙してみた件

今回は軽い気持ちで、平成30年度版“うちなー高齢者あるある”を書き綴ってみました。ちなみに昭和25年(1950年)前後の第一次ベビーブームに生れた世代(つまり70代後半)を念頭においています。実際にどれだけあてはまるか、よろしければ読者の皆さん是非ご検討ください。

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ひさびさに公の場に姿を見せたお話

本日(6月22日)19時から嘉手納町商工業研修等施設において“沖縄県横断キャラバン世直し庶民の会”が開催されるとの情報を得ていたブログ主、せっかくの機会なのでひさびさに公の場に姿を見せることにしました。我那覇真子さん等の活動については事前にある程度情報を得ていたので、どのようなお話をされるかおよその予測はついていましたが、実際に同月17日に浦添市における彼女たちのポスティング活動の様子を(影ながら)観察をして、そのときの雰囲気がよかったのを目の当たりにしたのが決め手になりました。早速ですが会合参加のレポートを掲載します。読者のみなさん是非ご参照ください。(今回の記事は主催者の許可を得て記事を掲載します)

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【地元散策】宜野湾市喜友名(きゆな)の石獅子群巡りをしてきたお話

先日(6月18日)、唐突ではありますがブログ主は我が宜野湾市喜友名にある石獅子群をチェックしようと思い立ち、今回はそのときの散策記事を掲載します。

ちなみに平成27年(2015)に喜友名区自治会から発行された地元史『喜友名誌 ちゅんなー』によると、これら石獅子は「村落獅子」に分類、喜友名集落が碁盤型集落になったのは1737年以降のためおそらく18世紀ごろに作られたのではと記載があります。喜友名の石獅子に関する詳細な説明は後日史料として当ブログで掲載しますので、今回は先に7対のシーサーめぐりの記事をアップします。地元史好きの読者のみなさん、是非ご参照ください。

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琉球・沖縄の歴史における社会階層の変遷を図解してみた

先日Hatena Blog(はてなブログ)にて”それ、僕が図解します。“というタイトルの面白いブログを発見しました。2018年5月23日付けの記事『日本大学アメリカンフットボール部はいつどのタイミングで誤ればよかったのか?』の図解まとめが実に秀逸で、それに触発されて今回ブログ主が調子に乗って琉球・沖縄の歴史における社会階層の変遷を図解してみました。現時点での仮説ではありますが、読者の皆さん是非ご参照ください。

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廃藩置県が沖縄社会にもたらしたもの

残念ながらいつのころか忘れてしまったのですが、とある新聞に「琉球処分が沖縄にもたらしたものはなにもない」と断言された投稿を読んだことがあります。はたして本当に何も無いのか?違和感を覚えつつ今日にいたるのですが、では実際に明治12年(1879)の廃藩置県が我が沖縄社会どのような影響を与えたかを考察してみます。

明治5年(1872)に時の明治天皇によって琉球国王尚泰は琉球藩に封じられます。そしてすったもんだのあげく明治12年の廃藩置県に至るのですが、その間の経緯説明は(今回は)割愛します。その詳細は喜舎場朝賢著『琉球見聞録』が最高の史料ですので、読者の皆さん是非ご参照ください。廃藩置県の結果、琉球藩は廃止され沖縄県が設置されるのですが、その後沖縄社会は漸進的ではありますが政治、社会および風俗文化の改革が行われます。その成果を振り返り、現代社会に影響を与えたものとして、

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選挙における候補者選びについて真面目に考えて見たところ ~ その2

前回記事において、選挙における候補者選びの際に、「民主主義=反ファシズムである」と考えている(あるいは支持者、支持団体がそう思っている)候補者には投票すべきではない旨を説明しました。ちなみにこのセンスは思いのほか現代社会に根強く残っていて、近代デモクラシーの精神を阻害する最大要因になっていることは否定できません。

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選挙における候補者選びについて真面目に考えて見たところ

本日は平成30年5月22日、ためしに当ブログの開始日を再確認したところ平成28年5月19日スタートですので、なんと地味に3年目に突入していることがわかりました。そうなると何か“記念企画”なる記事を提供したいところですが、残念ながら全くといっていいほどアイデアが浮かんできません。そこで今回は無理に運営3周年突入企画など行わずに平常運転で記事を掲載します。

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広告とヌード写真

ここ数日キャンプ・シュワブ関連で昭和30年前後の新聞をチェックしているのですが、やはり時代というかなんというか映画等の広告が現代基準ではありえないほど“エグい”描写になっています。具体的にいえば“よい子が見てはいけない広告”が目立つのですが、この件に関して昭和31年(1956年)12月25日の琉球新報にコラムとして掲載されていました。読者のみなさん、是非ご参照ください。

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恒産なくして恒心なし

ブログ主はできる限りの時間を設けて、毎日古典を読むことを日課つけています。以前当ブログにおいて“現代社会の古典離れを憂うお話 その2”と題して西銘順治さんのコラムを掲載したことがあります。記事として掲載した以上、古典の再読に取組まなければならないと思い、先ずは四書 (大学、論語、孟子、中庸)の通読を試みている最中です。

実際に古典を再読した後に(歴史)史料や新聞記事を読むと、いままで見えてこなかったものが見えてきたりして、これまで地道に取組んできた古典の再読はムダではなかったと実感しつつ、今回は孟子 – 梁恵王章句上から下記の一文を抜粋します。有名な諺ですが、読者の皆さんご参照ください。

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閲覧注意

すでに Facebook 上ではアップした平良研一さんの「論壇」を改めて書き写して当ブログに掲載します。まずは平成30年5月3日付けの投稿をご参照ください。

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理性を失った人たちの姿

ここ最近ブログ主は“教公二法”関連の史料集めを行っています。不定期に図書館等に通って当時(昭和42年)の新聞や関係著書をチェックしているのですが、その中に興味深い記事がありました。教公二法に関しての詳細は後日アップすることにして、今回は昭和42年2月25日の琉球新報のコラムの書き写しを掲載します。

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琉球の帰属

今回は、我が沖縄の先人たちが本土復帰についてどう考えていたかの記事を掲載します。アメリカ世の昭和26年(1951年)に、当時の沖縄タイムス一面に「琉球の帰属」という社説が掲載されました。執筆者は高嶺朝光さん、当時の心境は「新聞五十年」に掲載されているので、下記掲載します。

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「だから何?」って感じ

平成30年(2018年)4月23日の沖縄タイムス(社会 – 26)に以下の記事が掲載されていました。全文を書き写しましたので読者の皆さん是非ご参照ください。

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