コラム

メタボリック琉球

先日ひさびさに唐津一さんの著書を流し読みした際に、興味深い箇所を発見しました。全文を抜粋しましたので先ずはご参照ください。

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命あってのアイデンティティ

本日(8月8日)19時41分付、琉球新報電子版にて、『翁長雄志知事が死去 67歳』のニュースが報じられました。今年5月15日の記者会見で4月21日にすい臓がんの診断および摘出手術を受けた際のやつれた表情から”お察し案件”だったにも関わらず、実際に訃報に接するとショックを受けざるを得ませんでした。謹んでごめい福をお祈りします。

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戦後民主主義につきまといつづけた重大な誤解

以前、当ブログにて「選挙における候補者選びについて真面目に考えて見たところ」という記事を3回ほど掲載しました。その後、山本七平著『論語の読み方』という本を再読した際に、実に興味ある箇所を見つけましたので全文を抜粋します。読者の皆さんぜひご参照ください。

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木を見て森を見ず – その4

当ブログでめずらしく長々と取り上げることになった「新潮45」に寄稿された杉田水脈衆院議員の論文「LGBTの度が過ぎる」ですが、いろいろ調べているうちに面白いことに気が付きました。7月25日の朝日社説を筆頭に、彼女の論文を非難する論調が目立ちますが、これらを読むと彼女の論文を本当に読んで批判しているのか極めて疑問に思わざるを得ません。

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木を見て森を見ず – その2

前回の記事において「新潮45」に寄稿された杉田水脈さんの論文を掲載しました。個人的には全文を読んだかぎりごく当り前のことを淡々と述べた印象ですが、朝日新聞や沖縄二紙、そして立憲民主党などから杉田論文に関して非難の声があがっています。

今回、当ブログにおいて7月25日付朝日新聞の社説と、同日沖縄タイムス〈大弦小弦〉、そして26日の沖縄タイムス社説の全文を掲載します。これら3つの記事を参照したところ、共通して「生産性」という単語に過剰反応している印象があります。たとえば朝日新聞は、「異性のカップルであっても、子どもを産むか産まないかは、個人の選択である。それを『生産性』という観点で評価する感覚にぞっとする。歴史的に少数者を排除してきた優生思想の差別的考えとどこが違うのか。と激しく批判しています。

朝日新聞や沖縄タイムスの記事で気になったのは「生産性」の前後の文章を全く引用していないことです(下記参照)

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木を見て森を見ず – その1

今月18日発売の新潮社発行『新潮45』に掲載された杉田水脈さんの論文(57~60㌻)がどうやら物議をかもしているようです。たとえば25日付きの琉球新報3面には「LGBTカップル生産性ない」の見出しで批判記事が、同日沖縄タイムスの〈大弦小弦〉でも批判的なコラムが掲載されました。

杉田論文に対して批判的な人たちは、「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果していいのかどうか。」の部分を重要視して、彼女の人権感覚を疑問視しています。「そもそも人を「生産性」で区分けすること自体が、重大な人権侵害である(大弦小弦)」という論法で杉田さんの人権意識の欠如を非難するケースもありますが、はたしてこの指摘は正しいのでしょうか。

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大陸および台湾の中国人との付き合いについての考察

ここ最近、とあるSNS上で、台湾において我が沖縄のことを「琉球(沖縄)」と表記する旨の書き込みがあり、ちょっとした話題になっていました。ブログ主は中国の専門家ではないため、たとえば巷で唱えられている「中国脅威論」には一線をひいてますが、我が沖縄の隣国として中国大陸や台湾の政権および中国人たちの行動様式は無視することはできません。それゆえ彼らの行動パターンは如何なるものか、いろいろとブログ主なりに調べてみたことがあります。そのなかで今回は個人的に一番しっくりきたエピソードを紹介します。昭和61年(1986年)に刊行された長谷川慶太郎著『さよならアジア』からの抜粋で、読者の皆さんぜひご参照ください。

(中略)私は、1970年の大阪万博のとき、香港の華僑たちにそれこそ「脳天をなぐられた」感じをうけたことがある。それは、かれらが個人として二十五年前の戦争のことを一瞬たりとも忘れていないだけでなく、中国民族として、日本人にくわえられた戦争中の被害を一瞬たりとも忘れていないと思わせる事件を何度か経験したからである。

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差別のカベを破った偉大なる人物

今回は大日本帝国時代における人事についてのお話です。明治12年(1879年)の廃藩置県によって我が沖縄県が誕生しますが、普通町村制に移行が大正10年(1921年)と他府県に比べて遅れた影響か、県庁および各種学校や警察などの主要人事は他府県人の独占状態になってしまいます。このあたりの事情を高嶺朝光著『新聞五十年』を参照すると、

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テーゲーとシムサの実例

以前、当ブログにて”テーゲーとシムサ”についての記事を掲載しました。テーゲーは「いいかげん」、シムサは「これでいいだろう」のニュアンスで、この2つが合体すると、何事も適当に済ませてしまう”悪癖”になります。昭和の沖縄県民あるあるですが、平成の世になってもこの行動様式は散見されます。残念ですが今回実例を紹介しますので読者のみなさん是非ご参照ください。

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「戦前」の研究 なお未開拓

今回は、7月10日付の沖縄タイムス文化面(18)に掲載された上里隆史(うえざと・たかし)先生の論説を掲載します。戦前(大日本帝国の時代)の研究に未開拓の部分があるのでは、という内容ですが、たしかに現行の琉球・沖縄史は近現代史(ただし沖縄戦を除く)の記述がいまいちな気がしてなりません。ブログ主はその理由として、①経済に対する記述が貧弱であること、②ヤマト(日本)によっていかに差別されたかを強調しすぎなどが原因かと考えています。

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琉球・沖縄における”改名”についてのちょっとした考察

ふとしたきっかけで琉球・沖縄と中国大陸(および台湾)との文化の相違についてブログ主なりにあれこれ調べてみたところ、一番わかりやすい”違い”は”名前(姓名)”であることに気が付きました。よく考えてみると我が琉球・沖縄は権力者間(たとえば尚家と中華の皇帝)で長きに渡る付き合いがあり、アメリカ世の時代は台湾との交流も盛んでした。にもかかわらず民間の文化や民族に中国的なセンスが浸透しているとは思えない節があります。

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今帰仁城跡の崩れた石垣を見にいった件

先日(7月9日)ブログ主はひさしぶりに今帰仁村の「今帰仁城跡」を訪れました。7月上旬の台風7号による大雨の影響で一部石垣が崩落したニュースに接したのがきっかけです。実際に石垣の崩れ具合をみると、新聞などで報じられている以上の深刻な状況でした。せっかく現場を訪れたので(石垣が崩落した)様子を撮影してきました。読者の皆さん是非ご参照ください。

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昭和のにーけーやー(二階建て住宅)を見つけたお話

先日(7月7日)ブログ主は所用で首里崎山町にある瑞泉酒造ギャラリーを訪れました。道路を挟んで向い側に駐車場がありますが、そこで偶然ですが昭和の沖縄における典型的なにーけーやー(二階建て住宅)を見つけましたので当ブログにてアップします。ブログ主が知っているかぎり、復帰前後に建築された(と思われる)コンクリ造りの2階建て住宅が現存している箇所は数少なくなりましたので、ラッキーと思いながら写真撮影した次第であります。

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