先月28日の沖縄タイムス一面に、「小中学高校来週から休校」との題字で政府が全国の小中学校、高校および特別支援学校に対して臨時休校を要請した旨の記事が掲載されてました。
ブログ主はこの記事を一読して、瞬時にある沖縄方言が思い浮かびました。高嶺朝光著『新聞五十年』から該当部分を抜粋しますので、読者の皆さんぜひご参照ください。
先月28日の沖縄タイムス一面に、「小中学高校来週から休校」との題字で政府が全国の小中学校、高校および特別支援学校に対して臨時休校を要請した旨の記事が掲載されてました。
ブログ主はこの記事を一読して、瞬時にある沖縄方言が思い浮かびました。高嶺朝光著『新聞五十年』から該当部分を抜粋しますので、読者の皆さんぜひご参照ください。
本日ブログ主は、新型コロナウィルスの影響により観光産業がダメージを受けている現状を視察するべく、海洋博記念公園を訪れました。事前にホームページ等で園内施設の休館情報をチェックした上での訪問でしたが、予想の斜め上を行く現状にショックを受けました。
ブログ主は21世紀に入ってから数知れず海洋博記念公園を訪れています。だがしかし、今回の訪問は首里城焼失に匹敵するあるいはそれ以上の衝撃でした。生きているうちにこんな光景は二度と見ることないだろうと思いつつ、園内の様子を撮影しました。読者のみなさん是非ご参照ください。
最近ネットサーフィン中に偶然ではありますが、少し前の琉球新報社説が目に留まりました。その内容が(ブログ主からみて)失笑そのものでしたので、早速突っ込み記事を作成しました。
今月21日、ブログ主は読売ジャイアンツのキャンプを見学するため沖縄セルラースタジアム那覇を訪れました。その際に「読売ジャイアンツは首里城の再建を応援します」のポスターが貼られているのが目に留まりました(サムネイル画像参照)。
同月14日、原辰徳監督そして県内出身者の2選手(與那原大剛投手、大城卓三捕手)が那覇市役所を訪れて義捐金(300万円)を寄付したニュースを聞いてましたので、沖縄でキャンプを張る球団が首里城再建に一役買っていることに対し一県民として大変うれしく思った次第であります。
今回は昭和に限定して、本土と沖縄の暴力団組織の違いについて言及します。本土のヤクザ映画などの主要なテーマのひとつに”兄弟間の相克”がありますが、実は沖縄ヤクザをモデルにすると兄弟対立を主とした物語を描くことができません。なぜそうなるのかをブログ主なりに説明しますので読者のみなさん是非ご参照ください。
今回はちょっと意地悪いお話をします。我が沖縄において人口に膾炙した言葉に”命どぅ宝”があります。この語句は特に米軍基地反対運動などの反戦平和活動の分野で利用されますが、文字通り解釈すると「(なにはさておき)命こそ宝」になりましょうか。
ちなみにこの価値観を身をもって実践した人物が尚泰候(1843~1902)です。その一例を紹介しますので読者のみなさん是非ご参照ください。
今回は50年前(昭和45年)にタイムスリップしたと仮定して、当時の琉球住民たちに「50年後はこうなっている」と説明しても信じてくれない出来事で打線を組んでみました。
当然ブログ主は当時を体験していませんが、その前後の新聞その他史料については数多く参照してきましたので、その情報を元に記事を作成しました。ちなみに50年前は復帰2年前ですので沖縄県民ではなく “琉球住民” の表記を利用しています。読者のみなさん是非ご参照ください。
先日、沖縄県立図書館にて昭和11(1936)年の新聞切り抜き集をチェックしていたところ、『綠蔭閑話』と題した又吉康和さんの論説を3話見つけました。その中で義村按司朝明について言及した箇所があり、当時疲弊の極みにあった東風平間切(旧東風平町、現八重瀬町)の建て直しに彼が尽力したエピソードが記載されています。
ブログ主の注意を引いたのは東風平間切の疲弊ぶりで、その箇所を抜粋すると、
先日、沖縄県立図書館で明治時代の琉球新報をチェックしていた時に、三遊郭(辻、仲島、渡地)の赤札娼妓についての記事が目に留まりました。”赤札娼妓”とは”性病持ち”を意味し、当時は若狭町に設置されていた若狭病院で定期的に検査が行われていました。
本日ブログ主は那覇市辻地区を散策してきました。実は前にも同地区はチェックしたのですが、どうしても気になる点があったので、過去のゼンリンの地図などを参照して本日再度訪れた次第であります。
結論を申し上げると、現在の辻地区はかつての華々しさは感じられず、街全体に”黄昏”を感じざるを得ません。ブログ主が撮影した辻町の現状を紹介しますので読者のみなさん是非ご参照ください。
以前”【暫定】大日本帝国が沖縄に対して行った残虐非道な所業で打線を組んでみた”と題した記事を掲載したところ、予想の斜め上を行くアクセス数がありました。2番煎じになりますが、今回は沖縄戦以降のアメリカ世から復帰後の施政権者(米国民政府、琉球政府および日本政府)が我が沖縄に対して行った悪行について打線を組んでみました。
以前、ツイッターをチェックしている際に、11月13日付の沖縄タイムス社の阿部岳記者のツイートが目に留まりましたので全文を書き写します。
”尊敬する歴史家から「為政者の悪行は石碑に刻んで、100年、200年後の子どもたちに伝えるべきだ」という話を聞いた。”
この尊敬する歴史家が誰か記載はありませんが、ここはひとつブログ主が『球陽』を参照に為政者の悪行を紹介しますので読者のみなさん是非ご参照ください。
先月30日から本日にかけてブログ主は沖縄市上地(なかのまち)や中央(パークアベニューや一番街など)を所用を兼ねて散策しました。前日は”帯広豚丼炭火焼とんたん”のグルメレポートを掲載しましたが、今回は街中散策レポートを紹介します。
改めて実感したのですが、沖縄市中央地区の”じわじわくる”ポイントの多さにはびっくりします。その中からブログ主が厳選?した見所をまとめてみましたので読者のみなさん是非ご参照ください。
今回も(自称)名誉若狭民であるブログ主が旭ヶ丘公園などに設置されている”石碑”について記事をまとめてみました。若狭地区の散策で始めてわかったのですが、旭ヶ丘公園付近は沖縄を代表する”石碑のメッカ”です。本来ならじっくり時間をかけてひとつひとつ紹介したいところですが、限られた時間内なので主な石碑のみ撮影してきました。読者のみなさん是非ご参照ください。
今回は那覇市若狭(わかさ)の散策結果を紹介します。旧那覇からの由緒ある地名にも関わらず”存在感の薄さ”が際立つ若狭地区ですが、その理由はやはり”波の上”の圧倒的知名度にあります。
たとえば沖縄県民なら”波の上神宮”をよく知っていますが、その所在地が”那覇市若狭一丁目”であることを知る人は少ないはずです。”波の上ビーチ”も同様で”若狭海浜公園”の中にあります。那覇市民であればご存知かもしれませんが、典型的な宜野湾民であるブログ主にとっては、