新型コロナウィルス禍も落ち着いた今日この頃、当運営ブログでも自主規制してきた “散策ネタ” を解禁してきましたが、今回は昭和45年のゼンリン地図を参照に、沖縄市照屋地区の現状をアップします。前回の普天間や沖縄市中央の記事とは違い、今回は歴史ネタを絡めた内容でまとめてみました。
コラム
沖縄市中央のじわじわくる戦闘力はやはり異常
1年ほど前に、当ブログにて “沖縄市中央のじわじわくる戦闘力の高さは異常” と題した散策記事を掲載しましたが、今回はその続編です。ここ数カ月、新型コロナウィルス禍で散策記事も自主規制してましたが、前回アップした普天間の記事が予想の斜め上を行く反響がありましたので、満を持して解禁します。
【緊急投稿】沖縄タイムス編集局の苦悩を察する
今月13日、沖縄タイムス社社員らが持続化給付金の不正申請を行ったニュースが大々的に報じられ、その後タイムス社長が急遽謝罪会見を行う事態となりました。金融詐欺に沖縄タイムス社員が関わった案件、いわゆる反社会的行為によって社長が謝罪に追い込まれたわけですが、タイムスの歴史においてもこのような不祥事は初めての出来事かもしれません。
プロボクシング人気低迷を憂うお話
来月26日に、元WBC世界フライ級チャンピオンの比嘉大吾選手(Ambition GYM)が、後楽園ホールで復帰第2戦を行うとのニュースに接し、ボクシング好きのブログ主は、いちファンとして比嘉選手の試合を今から楽しみで仕方ありません。
武寧(ぶんにぃ)さんの名誉回復を望む
琉球・沖縄の歴史を眺めると、嫌でも “過小評価” されている人物が複数目に留まります。近現代史を例にとると、安村つる子女史(1881~1943)が代表格ですが、ほかにも又吉康和さん(1887~1953)や松岡政保さん(1897~1989)あたりも生前の業績が過小に評価されている傾向があります。
くにがほろぶとき
今回はちょっと真面目なコラムを掲載します。慶長の役(1609)から明治12(1879)年の廃藩置県までの琉球国をふりかえると、実は何度か王家存続の危機があり、その点について言及します。
明治29年のクラスター騒動
今回は明治29(1896)年に首里区(現在の那覇市首里)で発生した天然痘のクラスター騒動について言及します。『琉球敎育巻2』の明治29年11月号に、首里区内の天然痘流行に伴い “女子講習科” および “首里高等小学校” などの敎育機関が一時休校になった旨の記事が掲載されていました。
アフターコロナの沖縄社会
今月7日の沖縄タイムス経済7面に気になるニュースが掲載されていましたので紹介します。”コロナで観光客625万人減ると・・・” の題字で新型コロナが県経済へ及ぼす影響の試算記事ですが、予想の斜め上をいく衝撃的な数値が公表されていました。
米兵「沖縄はパラダイス」
ご存知の読者もいるかと思いますが、令和2年8月9日付沖縄タイムス1面に、きわめて興味深い記事が掲載されていました。7月に発生した在沖米軍のクラスターに関する特集記事ですが、題字のつけ方が現代の沖縄タイムスらしいというかブログ主は複雑な心境にならざるを得ませんでした。
ためしに全文を書き写しましたので、読者の皆さん是非ご参照ください。
笑いの神
前回、小渡三郎兄弟のやらかし記事 “カーハガリンドウ” をアップしましたが、今回はその続編で同事件を琉球新報がどのように報道したかを紹介します。
少し話がそれますが、新型コロナウィルスが県内で再び蔓延している状況のため、しばらくは散策やグルメレポートは控えて “積み史料” 中心に記事を作成しますのでご了承ください。では小渡兄弟のやらかしの第一報記事をご参照ください。
佐敷のヒャッハー考 – その2
(続き)ブログ主にしてはめずらしく15世紀の琉球をテーマにした “巴志” の考察記事を提供する際、以前から強調しているとおり史料をチェックする際に儒教のセンスを意図的に頭から取り除く、いわゆる “朱子学フィルター” を設定して読み解く方法を用いています。
今回はその理由の一つを紹介します。ためしに喜舎場朝賢著『東汀随筆』に掲載されていたお話を書き写しましたので読者の皆さん是非ご参照ください。
明治時代の衛生に関する県令・訓令
新型コロナウィルスに関連して、我が沖縄における医療・衛生の沿革をチェックしている際に明治31(1898)年4月の琉球新報に興味深い記事が掲載されていることに気が付きました。
今回は同年同月19日の県令(県知事が発した命令)、および28日の訓令(上級官庁が下級官庁に下す命令)全文を紹介します。ただし読者の便宜を図るべく、旧漢字を訂正および句読点を追加しました。是非ご参照ください。
ブログ主が蒐集したゆるいネコの画像を紹介する記事
最近沖縄ヤクザネタを放出していなので、かわりといってはなんですが、ブログ主が蒐集したネコの画像でもお楽しみいただけるとありがたいです。
ただし画像を貼り付けするだけでは面白くないので、ちょっとした解説もつけてみました。小さいことは気にせずに、ネコおよび沖縄ヤクザネタが好きな読者の皆さん、是非お楽しみください。
佐敷のヒャッハー考
今回は前回の記事”佐敷のタックルサー考”の続きで、巴志さん(と愉快な群臣たち)が大里を領有後に今度は首里に向けて進撃する様を『球陽』の記述を主として考察します。
平和教育の致命的な欠点
本日は昭和36(1961)年に琉球政府によって慰霊の日が制定されてから59年目にあたります。この時期になると毎年恒例で沖縄戦体験や平和学習に対する記事が激増しますが、近年「沖縄戦の体験が次世代に伝わっていない」「平和学習のあり方を見直すべき」などの論調が目立って増えてきました。