今月8日に投開票が行われた令和6年9月8日執行宜野湾市長選(以下市長選)は、ご存じのとおり佐喜真アツシ候補が8000票近くの大差をつけて、桃原イサオ候補に圧勝しました。
今回の市長選は同年6月に行われた県議選の後ということもあって、傍目で見ると盛り上がりに欠けた感がありました。ただし、県議選の低投票率(44.65%)から10%ちかく得票率を伸ばしていますので(53.27%)、終わってみれば我が宜野湾市民の間でもそれなりの関心はあったかと思われます。
今回の選挙の特徴は一言で表すと「オール宜野湾保守vsオール沖縄勢力」という市長選では考えられない対立構図があった件です。そのこころはオール沖縄の支援をうけて立候補した桃原イサオ候補は、長年市議を務めてきたベテラン政治家ですが、選挙戦を通じて彼を支える野党市議団の印象が極めて薄かったからです。
一例をあげると、選挙期間中に配布された両陣営のチラシを見ると一目瞭然です。
大雑把に説明すると、桃原候補のキャッチフレーズは「市民が1番」ですが、その割には彼を支える市議団の数が非常に少ない。しかも野党市議が(ブログ主が知る限り)
全員集合していない
という身内をまとめることができない状態で選挙戦に臨まざるを得なかったのです。
さらに不可解なのは、たまき健一郎県議の動きです。ブログ主が確認できた限りでは、出馬記者会見、法定チラシの写真には健一郎氏は常に中心近くに配置されています。つまり宜野湾の革新勢力は彼を中心に活動を行うことを明示していたんですが、8日の開票速報の動画(OTV)を見ると、彼は最前列左側の(しかも映像に移らない)目立たない場所に席が配置されていました。
なお、桃原候補の右側には伊波洋一参議院議員※、その右側の目立つ場所になぜか赤嶺政賢衆議院議員(沖縄一区)が陣取っており、健一郎氏が弾き出された印象すら与えています。ちなみに健一郎氏は桃原候補落選に対し、SMS上で何一つコメントを発していません(9月10日時点)。
※伊波洋一さんは県議に初出馬する際、桃原さんの御両親にお世話になっており、イサオさんも伊波さんの選挙運動では一戦部隊として活動していました。かれこれ30年来の付き合いがあり、しかも今回の市長選でも伊波さんは選対委員長として活動しているので、桃原さんの隣に座るのは理解できますが……
今回の選挙戦で桃原陣営は「超短期決戦で知名度を上げることができなかった」と敗因を分析しており、たしかにその通りなんですが、ブログ主は知名度を上げる云々以前に宜野湾の革新は致命的な何かを抱えていると確信せざるを得ませんでした。ハッキリ言ってまともに稼働できるのが健一郎氏の個人人気と共産党の組織力だけなので、革新の再建は極めて厳しいと思わざるを得ません。
最後に、今年は県議選と市長選が同じ年に行われました。そして4年後にはまた県議選と市長選が同じタイミングで行なわれることになります。ということは4年後に健一郎氏はどちらかを選択せざるを得ない状況になります。宜野湾革新のトップとして彼がどちらを選択するのか、それによってたまき健一郎という政治家の力量が決まるだろうと想定しつつ今回の記事を終えます。
※宜野湾革新の “惨状” にも関わらず市長選に立候補し、最後まで戦い抜いた桃原イサオ候補と運動員たちに対して、ブログ主は心から敬意を表します※