ハジチ考

ここ数日、当ブログのアクセス数が異常な伸びを示していたので、Google Analytics を使ってその原因を探ってみました。どうやら令和元年8月26日の沖縄タイムス電子版の記事がきっかけで、当ブログの該当記事にアクセスが集中したようです。

その記事は『沖縄女性の入れ墨「ハジチ」禁止令から今年で120周年 法令で「憧れ」から「恥」に変わった歴史【Web限定】』で、そういえば昔ハジチについてちょっとした記事を掲載したことあったなと思い出し、当時の記事を読み返しながらハジチついて再考してみました。

【参考】過去7日間の当ブログの検索パフォーマンス。

ハジチの特徴は何か、それはズバリ(女性限定ではありますが)、

我が琉球・沖縄の歴史において階級の差を超えて存在した民俗

です。つまり王族だろうが、士族だろうが、最下層の農民だろうがすべての女性がハジチをしていたということです。琉球・沖縄の歴史を振り返ると階級の差を超えた民俗というのは本当にめずらしく、身分格差が極めて厳しかった琉球社会において奇跡の存在といっても過言ではありません。ただしすべての女性が同じレイアウトでハジチを入れたわけではなく、階級や地域によって文様が異なります。

ブログ主が沖縄タイムスの電子記事に違和感を覚えたのは、階級の垣根を越えて数百年続いた慣習が一片の法令で撲滅できたことをうまく説明してないと思ったからです。そこで今回調子に乗って「何故ハジチの慣習が沖縄社会から消えたのか」を考察してみたところ、興味深いことに気が付きましたので記事に纏めてみました。

ハジチは学校教育の現場から追放された

明治32(1899)年、入墨禁止令が施行され、沖縄の歴史上はじめてハジチは法令によって禁止されます。だがしかし禁止当初は実効性に乏しく、沖縄県人の女性はこれまで通りハジチを施していました。ブログ主は実際に大正生まれの父方の祖母の未完成のハジチを見た事あります。

ただしこの措置によってハジチセークー(入れ墨職人)がダメージをうけ、専門職が激減することで民間におけるハジチの慣習がなくなっていきます。ブログ主はこれが主因ではないかと考えていたのですが、どうもそれだけではなかったのです。

実は我が沖縄の歴史において最初にハジチが追放されたのは教育現場からです。そしてハジチ追放に大きな役割をはたしたのが女子教員たち、とくに初期の女子講習科卒の女性教員たちです。ちなみに琉球・沖縄の歴史においてはじめてハジチを落とした県人は安村つる子女史(旧姓久場ツル)です。彼女らの努力のおかげで教育現場からハジチが追放され、そして昭和の時代になると「白い手の女性」が社会の多数を占めるようになったのです。

教育を受ける慣習への劇的な変化

かつての琉球社会におけるハジチの位置づけは「大人の女性になるための通過儀礼」でした。つまりハジチを施さないと大人の女性と看做されなかったのです。具体的には結婚もできないし共同体内で生きていくことができません。それゆえにすべての女性は長い時間をかけて痛みに耐え、高いお金をかけてハジチを施したのです。

廃藩置県後に明治政府は教育に力をいれます。すなわち我が沖縄の歴史においてはじめて女子が就学することになりますが、日清・日露戦争後に就学率が格段に向上することによって新教育が軌道に乗ります。それに伴いハジチに対する認識も激変していくのです。

具体的に言えばヤマト世の時代になってハジチを施さなくても生きていける、だがしかし女性も学問がないと暮らしていけない社会に変わったのです。どっちが女性にとって幸せかは一概には言えませんが、少なくとも「必要なくなった慣習」を手間暇かけて存続させる理由はありません。女性たちが時間とカネを就学のほうに回したため、結果的にハジチの慣習は沖縄社会から消えていったと考えたほうが事実に近いのではと思われます。

「白い手」はヤマト世の象徴

ハジチの慣習は昭和期にはいるとほとんど廃れ、旧慣として白眼視されるようになります。これは男子の”カタカシラ”と同じく社会慣習が激変する際の副作用そのもので、「憧れから恥へ」というフレーズも間違いではありません。ただしこれは法令によってではなく、女子教育の普及が結果的にハジチの認識に決定的な影響を与えたわけで、沖縄タイムスの電子記事はこの点にまったく言及していません。

いわば現代女性の「白い手」はヤマト世の象徴で、この慣習は沖縄戦敗北後のアメリカ世27年でも復活することはありませんでした。この点は極めて重要であり、つまり沖縄の女性にとってハジチの追放は「琉球王国時代との決別」を意味しているのです。もう二度とあのような時代には戻らない、という意思が現代女性たちの両手には込められているのです。

「廃藩置県後に導入された”女子教育”という新しいシステムが結果として旧慣を駆逐した」、ただそれだけの話であり、そこに「差別」だの「ノスタルジー」などの感情を持ち込むのは不要です。ハジチの慣習を研究するのは何の問題ありませんが、そこに「沖縄がうけた差別」をリンクさせるのは間違っている。ブログ主はそう確信して今回の記事を終えます。